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Need of Your Heart's Blood 1  作者: 彩世 幻夜
第八章 Beginning of trial
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新たな旅路へ

 あの日。――こうして、列車に揺られて車窓の景色を眺めたのは、ほんの数ヶ月前。

 卒業式のあと、3月末のまだ日の短い春の初めのあの日は、そういえば酷い風が吹き荒れていた。列車のダイヤも大きく乱れていたが、あの時の咲月はそれらに頓着することもなく、ただ何を思うでもなく車窓の景色を眺めていた。

 

 あの日と比べ、今日は風もなく穏やかな晴れ間が覗く。夏至はとうに過ぎ、梅雨まっさ中にしては、久々の晴れ間がのぞき、気温は少し汗ばむくらいだ。

 だが、普段は決して選ぶことのない特急列車は程よく空調が効いている。

 ――狛に言われ、まとめた荷物のは宅配便に預けた。最低限の手荷物だけを空の隣の席へ置き、咲月は窓の外の景色を眺める。

 

 たった、3ヶ月あまり。……どちらかといえば短いが、まあ、大体平均的な数字。

 前の預かり主の家から次の預かり主の家への旅路は、咲月にとっては年中行事のようなものだ。


 憂鬱なばかりの旅だが、もはや何の感慨もわかない――。 


 だが今、あの日とは逆の道のりを辿る列車の中、咲月はやり場のない思いを抱え、こうしてただじっと座っているだけの状況にやきもきしている。


 この特急の終着駅は、上野駅。そこから東京駅へ行って、中央線に乗り換え――。

 咲月は、必死にこの後の行程の確認に勤しむ。そうでもしていないと、叫びだすとか、暴れだすとか、泣き出すとかしてしまいそうだった。

 手に握ったメモには、懇切丁寧に行き方が書き出されている。どこどこ駅の何番線から出るどこ行きの列車に乗ればいいか。どこの駅で降り、どの列車に乗り換えればいいか。

 場合によっては駅構内図まで添付され、切符売り場の場所などもマーカーで印が付けてある。


 あらかじめ、こういう事態を想定し、もしもの場合の備えにと葉月が用意していたものだ。

 何も置かれていない、ガランとした印象の葉月の部屋の押し入れに、定形の茶封筒に入れられたこのメモと、数万円の現金、銀行通帳、印鑑――。

 咲月名義で作られた通帳を開くと、数百万円の預金があることが記されていた。


 もしも、何かあった時、当分の生活に困らないだけの額を、彼は予め用意してくれていた。

 

 もう、至れり尽せりだと、咲月は思う。

 これまで、最低限の荷物だけ持たされ放り出されるのが当たり前だったのに。一人、重い荷物をもって、何時間も電車に揺られて――。

 けれど、今は連れがいる。

 平日の始発列車。空席だらけの車内。通路を挟んだ向こうの座席を二つ独占し、狛が大きな体躯を丸めて伏せている。

 目を閉じ、眠っているようにも見えるが、耳が常に動き、辺りを警戒している。

 

 彼が、護衛としてついてきてくれるのはとても心強い。だが、こんな巨大な犬など連れて歩けば悪目立ちするし、一緒に連れて電車など乗れないだろう。

 咲月はそう懸念したのだが。

 「やあ、大丈夫。……普通の人間の目には視えないんだよ、俺。よっぽど霊感強いか、俺が意図的に姿を見せるんじゃなきゃあな」

 と、狛が言った通り、未だ彼の巨躯に気づく人間は一人も居ない。


 咲月は、自分の手を見下ろす。

 ――これまで、ごく当たり前に、普通の人間だと思ってきた。だが、狛の姿が見えるという事は、普通ではないのだ。

 それにあの時、自分はルーン文字を用い、現代科学では説明のできない力を使った。

 そして、あの葉月や朔海から聞いた自らの生い立ち。まだ謎は多いが、どうやら自分はごく普通の人間ではないらしい。


 行く先々で不幸を呼ぶ厄病神――。

 耳の奥で木霊する、聞きなれてしまった罵り文句。

 だが、その言葉がこれほど身にしみて痛むのは、これが初めてだ。


 ――山が遠ざかり、徐々に建物の密集度が高くなっていく。朝一番に乗った列車が、次々と駅を通過していく。時刻は、午前8時。ちょうど通勤通学時間とあって、ホームは人で溢れかえっている。この時間に普通列車に長時間乗り続けるのは相当キツかっただろう。

 だが、その分景色は飛ぶように後ろへ流れていく。

 (……やっと、初めて自分からそこに居たいと思える場所を見つけたばかりだったのに)

 その場所から、どんどん遠ざかる。


 咲月は、思う。……今回の不幸は、全て自分にもっと力がありさえすればきっと撥ね退けることができた。

 ――弱さは、罪。

 魔界の有り様は、正直馴染み辛い。……そして、そんな有り様を変えることこそが、葉月の願いだったのだ。


 だが、長年――それこそ、人の感覚では計り知れないほど長い時間の中で育まれた習慣は、そう簡単に変わるものではないだろう。

 今のまま、弱いままの自分では、きっとまた、繰り返す。

 葉月を失った今、心はぽっかり穴が開いたようで、痛くて寒い、が……。もしも――もし、朔海までも失うようなことがあったら、どうする?

 以前、ぼんやり考えただけで寒気に襲われたそれが、今、嫌に現実味を帯びて浮かぶ。


 咲月は、嫌なイメージを振り払うように首を振った。

 ――弱さが罪だというなら、強くなればいい。……朔海に頼るばかりでなく、自分自身の強さを磨かなければ、きっとまたいつか同じことを繰り返す。

 

 いつしか、車窓の外がビル群の灰色メインに染まり、「間もなく上野、終点です」と車内に自動アナウンスが流れる。 

 ここからは、おなじみ普通列車での旅となる。

 久しぶりに歩く上野駅は、記憶にあるそれとは様変わりし、駅の中に様々な商店が並んでいる。

 可愛いケーキや、食欲をそそる香りが漂う中、咲月は山手線のホームへ降りる。

 ……急ぐ必要はない。数分毎に次から次へとやってくる列車。にもかかわらず、乗り遅れまいと必死に駆ける人々。

 ここしばらく、のんびりとした生活を送るのに慣れはじめていた咲月の目には、それがひどく忙しなく映る。


 御徒町、秋葉原、神田、とアナウンスを聞き流しながら、咲月はドアの前に立つ。……神田で乗り換えても良かったが、ここからは長い旅路になる。できれば確実に席を確保できる始発に乗りたくて、咲月は東京駅で山手線を降りた。


 時刻は、午前九時半を回ったところだ。……通勤通学ラッシュのピークは過ぎたが、都心の一大ターミナル駅は人で溢れかえっている。

 何より、上野より更に広い商店が、あちらこちらに点在している。

 これが、今話題の駅ナカ、というやつらしい。


 「お嬢さん、まだ時間はあるだろう? ……そろそろ、朝飯にしたらどうだ? こんだけ色々店が揃ってるんだ、折角なんだから好きなもん食えばいい」

 狛が、気遣うように咲月を見上げる。

 「昨夜、まともに食えなかっただろう? こっからまだ5時間近くかかるんだ。……少しでも、何か腹に入れたほうがいい」

 

 正直に言えば、何かを食べたい気分には、到底なれそうにない。空腹など一切感じない。……蒸し暑いせいか喉だけはやたらと乾くので、水だけは列車の中の自販機で購入したのだが――

 それでも、この身体は栄養補給なしにいつまでも動かし続けられるほど便利にはできていない。咲月は、案内表示を探して視線をさまよわせた。


 普通列車での旅になる以上、駅弁を買って車内で……というわけには行かない。この場で食べてしまえるところ。あまり贅沢をする気分でもないから、軽く食べられるような何か……。

 だが、いくつも並んだお洒落な店名に、迷うのも面倒になった咲月は、一番近いカフェスタイルの店に入り、一番安いモーニング・セットを注文した。トーストとスクランブルエッグにソーセージと、サラダ、ドリンクのついたいたってシンプルなメニューを、咲月は苦労しながら胃に収める。

 普段なら数分とかからないだろう食事内容なのに、柔らかい焼きたてのパンが、まるで厚紙でも咀嚼しているよう。コーヒーで無理やり喉の奥に押し込み、卵をかきこむ。

 味など、良く分からない。機械的に食事を片付け、店を出る。


 中央線のホームも、やはり人が多い。この駅どまりの列車がやって来ては、すぐまた折り返し出発していく。

 今度の列車は――武蔵小金井駅止まり。向かいのホームの列車は……青梅行き。――途中で乗り換えても良いのだが、そうすると座席の確保の保証はない。

 その為にわざわざ東京駅での乗り換えを選んだのだ。

 既にその列車を待つ人の列もあるのを見た咲月は、その更に次の列車を待つ事にして、人の往来の邪魔にならないよう階段脇の壁に身を寄せた。

 間もなく、青梅行きの列車がホームに滑り込んでくる。扉が開き、どっと人が降りてくる。

 それを待ちきれないように、最期の降車が済むか済まないかのうちに、並んでいた客らが車内へなだれ込み、競って席に陣取る。


 ――ここでは、常の光景だ。咲月も、別段珍しいとも思わないが……。ここ数日で、これまでの常識などひっくり返されてしまった今、もしかして、という思いがぬぐい去れない。

 どう見ても人間にしか見えない、この人々の中にも紛れているのだろうか? あの、葉月の医院を訪れてきていたような、人外の存在が――。

 だが、さすがにこれだけ人目のある中で、人目に映らない狛に堂々と話しかけるわけにはいかない。

 人混みの中、うっかり足や尾を踏まれないよう身を縮こまらせる狛。そして、これだけの人間が居るのに、誰も彼に気づかない。


 咲月の目の前で、列車の扉が閉まり、ゆっくりと動き出す。咲月は、壁から離れ、乗車位置表示の前に立った。

 前の列車が見えなくなってしばらくの後、アナウンスが流れ、先ほどと同じように列車がホームへ滑り込んでくる。扉が開き、人が降りてくるのを待ち、咲月は列車に乗り込んだ。――扉脇、奥の角の席をサッと確保する。東京都内を貫くこの列車は、この先立川を過ぎるまで、ガラガラに空く、という事は滅多にない。

 混み合う車内で、咲月の前にも人が立つ。狛は、車両の連結部の人の来ない場所で縮こまった。

 この旅、咲月以上に狛には負担であるに違いない。彼だって、昨夜少なくない怪我を負ったばかりなのだ。怪我自体は治っているとはいえ、まだ毛並みは荒い。本調子とは程遠い状態であろうに、慣れないはずの人ごみで、あんな格好で何時間も過ごすのは相当辛いはずだ。

 終点の高尾まで約1時間半。そこから大月、甲府と列車を乗り継ぎ、小淵沢で列車を乗り換え……少なくとも3時間はかかる。

 まあ、高尾から先はここまで混みはしないだろうと思うが……。


 咲月は、つい息苦しさを感じため息を吐く。


 何か、することがあるわけでもなく、何か見るものがあるわけでもない。目のやりどころに困り、咲月は仕方なく目を閉じる。

 ……眠ったら、昨夜のことを夢に見てしまいそうで怖い。手慰みに駅で何か本でも買っておくべきだったかと少し後悔しながら、考える。


 ――得るべき、力について。


 

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