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Need of Your Heart's Blood 1  作者: 彩世 幻夜
第八章 Beginning of trial
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葉月の望む未来

 傍目には、真っ黒い竜が葉月の身体を呑み込んだように見えた。……が、その瞬間まで確かに質量をそなえていた体躯がすうっとホログラムの映像であったかのように霞のごとく消え去った。

 後には、葉月と、それを庇っていた狛がそれぞれ床にへばっている。

 咲月は急いで彼らのもとへ駆け寄り、傍にしゃがみ込む。

 「狛、葉月さん、大丈夫ですか!?」

 「ああ、俺はなんとかな。……やるねえ、お嬢さん。あれはなかなか効いたぜ……」

 さすがに疲れを隠せない声で呟きながら、狛は葉月の上に覆いかぶさったまま動こうとしない。――どころか、葉月の身体を咲月の目から隠すように己の身体をぴたりと伏せる。

 「――狛?」

 「……お嬢さんは、見ないほうがいい」

 狛は、怪訝そうな目をする咲月から視線をそらし、俯く。

 「狛……それはどういう……」

 だが、咲月が皆まで問うまでもなく、明確な答えがその視界に晒された。

 疲労に震える足が踏ん張りがきがず、一瞬ふらりとよろけたのだ。狛の身体は大きく、葉月一人くらいは簡単に覆い隠せる――が、いかんせんここまで体力を消耗しすぎていた。自分の体重で葉月を押しつぶすわけにいかない、と咄嗟の反射で動いた狛はごろりと床に身体を転がした。

 「――っ」

 葉月の意識はない。それはこれまでの様子から察していたが……

 「酷い……」

 思えば、ユルのルーンの結界から出たとき、空気の毒気に焼かれ、狛の毛皮が焼け焦げていたのだから、ずっとその毒気に間近で直接触れていた葉月の身体がどういう状態か……少し考えれば思い至れたはずの事だ。

 彼の、衣服に覆われていない肌は、まるで硫酸を浴びたような酷い火傷を負ったのに近い状態で、思わず目を背けたくなるのを、咲月は必死に堪える。

 辛うじて呼吸はあるが、酷く浅い。


 だが、たとえ半分でも彼が吸血鬼であるならば、まだ間に合うはずだ。

 咲月は服の袖を急いでまくり上げる。

 (……何か、刃物とかは)

 今の彼に、自らの牙で血を啜る余力があるとは思えない。咲月は、肌の下を流れる血を得る傷を拵えるための道具を咄嗟に求めようと部屋を見回すが――

 (ううん、今は時間が惜しい……)

 これという物がすぐに目につかず、咲月は自らの歯で肌を食い破ろうと、腕を口元へ運び――


 「……いけません。……言ったでしょう? あなたの血はもう、朔海様だけのものなのだと。もう、私ごときが口にして良いものではないのですよ」

 その腕を、しっかと掴む手があった。

 「……! 葉月さん……、でも……!」

 僅かに目を開けた葉月が、息も絶え絶えな状態のくせにそんなセリフを口にするのに、咲月は憤りをぶつける。

 「普段ならともかく、今は非常事態なんですよ! 朔海だって、そんな事は言わないはずです。……朔海が、葉月さんを失うような事、望むはずがないんですから」

 だが、葉月は静かに首を左右に振った。

 「私は、彼から咲月君を守るよう命じられました。……ですが、守りきるどころか、逆に助けられてしまいました。これからあの方が歩む道はこれまで以上に険しいものになるでしょう。その道のりに、私はむしろ足手まといになりかねない。……咲月君も、肌で感じたはずです。魔界の掟の非情さ、弱さが罪だという残酷な事実を」

 「――つ」

 咲月は息を詰めた。……そう、その理不尽さを今まさに感じている真っ最中だったから。

 「私一人では、魔界の者たちから身を守り続けられないのです。……だから、朔海様は私の身を案じてくださる。先日の、朔海様に下された命令の一件では、たまたまそれが幸いしましたが……。あれは、例外中の例外です。彼の足手まといにしかなれない保護者は、この辺で退場しておくのが一番良いのです」

 「そんな……こと……っ、」

 咲月は、小さく呟きながら、しかし強くは言えなかった。

 「でも、……朔海は、そんな事絶対に望まない……!」

 「ええ、彼は本当にお人好しですからね。全く、あの紅狼と同じ生き物とは到底思えないほどに。それはそれは恨まれるでしょうねえ、きっと」

 葉月は苦笑を浮かべる。

 「……でも、あなたが――彼には、咲月君が居る」

 「けど、私だって朔海に頼らなきゃ何にもできないのに……!」

 「嫌ですねえ、……あちらも本調子ではなかったとはいえ、あの紅狼を退けておいて、何を言うんです?」

 葉月は、満足そうな笑みを浮かべる。


 「――朔海様は、私の望む未来さきの希望。その彼がこの先歩んでいく道に必要なのは私ではない、咲月君だ」

 「葉月さんの、望む未来……?」

 「ええ。……ただ腕力の強さだけが正義だと思い込んでいる魔界の馬鹿どもに、本当の強さとは何かを知らしめる事ができるのは、彼を置いて他にない」

 葉月は、確信に満ちた声でそう言い切った。

 「そしてその彼を、本当の意味で支えられるのは咲月くんだけです」

 苦しそうな呼吸を繰り返しながら、葉月はそれでもその苦しさを表情に出す事無く、笑う。


 「――咲月君。……大変無責任なお願いなのは重々承知の上で、それでもあえて言わせていただきます」

 彼は、真剣な眼差しで咲月を見上げる。

 「どうか、朔海様をよろしくお願いします」


 ……そんな事は、言われるまでもない。咲月はそう答えようとしたが、声が喉に詰まってうまく出てこない。目尻から溢れる涙が、とめどなく頬を流れ落ち、床を濡らしていく。


 「狛、……最期に頼んでおいたこと……よろしくお願いしますよ」

 牙を剥き出して呻る狛に、葉月は苦笑を向ける。

 「ああ、そういう契約だからな。この馬鹿野郎が」

 「――私としては、朔海様がお帰りになるまで咲月くんを守りきれなかったことを除けば、満足のいく最期なんですがね。……かつて闇しか映すことのなかった目に、これだけ多くの光を見出すことができたんですから」

 刻々と、光が失われていく彼の瞳が嬉しそうに細められる。


 (ダメ、私じゃ説得しきれない……。朔海、お願い、早く……今すぐ戻ってきて……!)


 咲月はもどかしく心の中で叫ぶが、それが無理なことは頭で分かっている。まだ、あれから1日経ったかどうかという時間が過ぎただけ。

 いくらなんでも、そんな短期間で戻って来れるはずがない。

 

 (でも、私じゃ……!)


 静かに閉じられていく、葉月の目。するりと、咲月の腕を掴んでいた手から力が抜け、床へと落ちる。

 咲月は、心に氷を詰め込まれた気分を味わいながら、その手を握った。


 まだ、暖かい。……けれど、その目が完全に閉じたその瞬間、浅いながらも続いていた呼吸が、止まった。


 咲月は、釣られるように息を詰めた。

 「……葉月、さん?」

 それを、信じたくなくて。今目の前にある現実を認めたくなくて、咲月は彼の名を呼んだ。


 全身から、力が抜ける。心を占めるのは、ただただ強い憤りだ。

 何故、どうして、彼がこんなことにならねばならないのか。……弱い、というだけで罪になる? でも、ここは魔界じゃないのに。

 彼はもう、長らくこの“人間界”で静かに暮らし続けていたのに。

 なのに、そんな理不尽な理由で、死ななければならないのか。


 涙でかすむ視界の中、葉月の輪郭が、さらりと崩れる。

 「え……?」


 さらさら、さらさらと、細かい砂粒のような灰色の粒子が、葉月の輪郭を削っていく。さらさら、さらさらと、それは輪郭だけにとどまらず、どんどんと葉月の身体が崩れていく。

 ――吸血鬼が死ぬと、灰になる。

 小説や映画の中では最早常識とも言える、吸血鬼の最期。……あれは、真実だったのか。


 思考回路が半分麻痺した脳で、咲月はぼんやり考える。


 ――彼の体の全てが、細かい灰色の粒へと姿を変えてしまうまで、それだけの時が経ったのかなど、考える余裕など、咲月にはなかった。

 だが、彼の亡骸だったそれを、この冷たく暗い地下室に放置するなど、有り得ない。

 

 咲月は、床に降り積もったそれを、素手で必死にかき集める。

 それは、触れると冷たいくせに、仄かに暖かかった。細かい粒子はサラサラと滑らかで、軽く掻くだけでは、指と指の隙間から流れてしまう。

 咲月は、床で肌が擦れ血が滲むのも構わず、一粒残さず集めようと、一心不乱に灰の山を築く。


 彼の亡骸だったはずのそれは、いざ出来てみれば、ほんの小さな山ができるほどの量しかない。子どもが砂場で作る山にも劣るサイズのそれを、咲月はそっと両手に掬う。

 ――両手で掬えてしまうほどのそれを、大事に抱え、咲月は地下室の階段を登る。


 まだ、先程のルーンの効果が残っているのか、階段も仄かに明るい。

 診療所の事務所を抜け、自宅の階段を登り、自室へ向かう。

 

 PCの置かれたデスクの脇に、色とりどりのビーズを収めた小さなガラス瓶が、いくつも並ぶ。

 その内の一つを手に取り、コルク栓を抜き、中身をぶちまける。


 咲月は、空になったそれに、灰を詰め、コルク栓を戻した。



 ――家は、とてつもなく静かだった。


 涙は静かに流れ落ちるけれど、……どうしてか、声が出ない。――大声で泣き喚きたい気分なのに。

 

 (……朔海)

 彼が戻ってきたら、どれほど嘆くだろう。

 (……ごめん、ね。私、何にもできなかった)

 

 心が痛い。同級生にいじめられた時より、咲月を引き取った先の家で辛く当たられた時より、ずっと、心が痛い。


 「……お嬢さん。……それどころじゃないのは、分かるんだが……すまない、ちょっといいか?」

 本当にすまなそうに、背後から遠慮がちに狛が顔を覗かせた。


 「……一応、紅狼は追っ払ったけどな。結界が用を為さないとなっちゃ、いつまでもこの家にとどまるのは危険だ。……あいつの、最期の頼みだ。俺が、護衛してってやるから。お嬢さん、まずは荷物をまとめるんだ」 



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