遠いぬくもり
約14年前の話だ――。
とある児童福祉施設の前に、白い男物のコートに包れた赤ん坊が捨てられていたのは。
……ここまでならば、そこまで珍しい出来事ではなかった。つまりは、捨て子だ。この施設には、そんな過去を持つ子供は沢山いた。
他にも、虐待されたりだとかで親元で暮らせない子供たちも沢山いた。
上は高校生から、下は幼児まで。……そのまま、あの施設で育っていたなら、今頃はどこかの公立高校に進学できていたかもしれない。
……親無し子と、苛められる事はあったかもしれないけれど。
自分を里子として引き取りたいと、施設へあの夫婦が訪れたのは、ちょうど小学校にあがる直前だったから――9年前の事だった。
夫婦共々子供好きだったが、奥さんの方は病気のせいで子供が産めない身体になってしまったのだとか。代わりに、施設から子供を引き取り、養子にしたいという事だった。
そして、彼らの目に留まったのが、咲月だった。
夫婦は、とても親切な人たちだった。
いっぱい優しくしてもらったし、毎日おいしい手作りご飯も食べさせてくれた。
休みには旅行へも連れて行ってもらったし、習い事もさせてくれた。
学校行事にはいつも揃って来てくれた。
……あのままの生活がもし続いていたなら、大学まで行かせて貰えていたかもしれない。
しかし、自分を引き取って僅か2年半後。――ちょっと、近所のスーパーへ買い物に行った帰り道、飛び出してきた子供を避けた拍子に反対車線へ飛び出し、対向車とぶつかって交通事故を起こし――そのまま、帰らぬ人となった。
人の良かった夫婦の葬式には、多くの人が集まった。実子のいなかった夫婦の、少しばかりの財産を目当てに、親戚らも大勢来た。
そして、その葬式の場で、夫婦の遺言を預かっていた弁護士が、それを発表し――大騒ぎになった。
――咲月を引き取った者に、彼女の養育費として財産の一部を分け与える。
喉から手が出るほど欲しい遺産と、邪魔なことこの上ない子供。
人々の頭の中で、それぞれ天秤やら算盤やらが活躍し、利益と不利益とをはじき出す。
……正直、子ども1人の養育費を引けば、残る財産はそう多くはない。こんな素性も知れない子供を引きうける面倒を考えれば、そんな少しばかりの財産では割に合うわけがない――。と、そう考えた者が大半を占めた。
だから、咲月を最初に引き取ったのは、ギャンブル好きが高じて作った借金に追われて、その僅かな財産がどうしても必要だった、養父の従弟だった。
割に合わない、子どもの面倒をみる事などしなかった。洋服も滅多に買っては貰えず、年々小さくなるつんつるてんの服を学校へ着て行ってはクラスメイトにからかわれた。
食事も、何かと理由をつけて抜かされる事が多かった。
そうして浮かせた分のお金を、彼は全てギャンブルにつぎ込んだ。
――そんな生活が、彼がパチンコ屋でけんか騒ぎを起こして警察沙汰になるまで続いた。
男による、虐待があった可能性があると疑う警察に対し、世間体を気にした養母の姉が咲月を引き取ったのだ。
ご飯は、普通に食べさせてもらえた。洋服も、3つ上の義姉のお下がりながら、ちゃんとしたのを着させてもらえた。
しかし、ぽっと出の咲月の存在が気に食わなかった義姉の執拗な嫌がらせに耐えながらの生活であった。
親の見ていない隙に、咲月の私物を荒らしたり、殴る蹴るの暴力も受けた。
――が、ここでの生活もそう長くは続かなかった。夫の浮気が原因で、親が離婚したのだ。
……義姉は、母親に引き取られることであっさり決着がついた。揉めたのは、咲月の引き取り手だ。
さんざん揉めた挙句、咲月を引き取ったのは養父の両親だった。
が、そもそも子どもの出来ない体の養母との結婚を猛反対していた親だ。身元の知れぬ子どもを引き取る事にも決していい顔はしなかった。
結果、事故で息子を早くに亡くした彼らは、心底咲月を嫌っていた。それを引き取ったのは世間体の為だけ。
食事は、自分で自分の分だけ作って食べるよう言われた。その他には、月に千円渡され、それですべてをまかなうよう言われた。
そうして、後はもう、咲月などいないものとして扱われた。
会話に加わる事は、許されていなかった。
かなり高齢だった義祖母が倒れたのは、それから約1年後。
元々糖尿を患っていた義祖母は、脳の血管を詰まらせ、意識不明の重体に陥った。――命だけは取り留めたが、当分の入院生活を余儀なくされた。
昔堅気の人間である義祖父一人では、食事も洗濯もままならない。やろうと思えば咲月ができたが、彼はそれを断固拒否したため、彼の娘は彼を老人ホームへ入所させた。
そして咲月は――またしても、居場所を失った。
行く先々で不幸を呼ぶ厄病神――。
それから、半年以上同じ場所にいた記憶はない。
誰も引き取りたがらなかった咲月を、一度は児童福祉施設へ預けるという案もあった。
――正直、咲月としてはそちらの方が余程有難い気がしたが、世間体が悪いとその案はあっさり一蹴された。
さんざん揉めた挙句、それぞれ3ヶ月だったり、半年だったりとノルマを決め、持ち回りで咲月を預かるという事で合意したのだ。
嫌々、義務として預かり、ノルマ分が済んだらとっとと追い出す。
もう、自分を引き取ったのが養父母の某かなんて、一々気にする気にもなれないほどあちこちを渡り歩かされた。
だから、今回も彼らが何者かなんて、全く考えもせずにここへ来たのである。
――こんなに良くしてもらった今、彼らが何者かなんて気にするつもりもなかった。
少なくとも、彼らの口から聞くまでは……。