竜王
小さな身体で精一杯偉ぶる“精霊”を見下ろしながら、朔海は呆然と繰り返した。
「魔狩りの一族……に、精霊樹? 姫様……?」
「そうとも! オレ様は、代々魔物刈りを生業とする一族を守護する大精霊様の御力を継いだえら〜い精霊様なんだぞ!」
小さすぎて、腹とも胸ともつかない胴体を突き出し、顔を精一杯仰向けて彼は言った。
「一族の女はな、子を宿すと、必ず大精霊様の宿る精霊樹にお参りするんだ。そして、そこで大精霊様からいただいた精霊樹の種子を授かる。子どもは、それを身の内に宿して産まれてくるんだ。そして、一族の掟で定められた節々での儀式を経ながら、オレ様はその子どもの――姫様の守護精霊として共に育つはずだったんだ」
朔海は、この小さいながら元気な“精霊”の言葉を真剣に受け止め、考える。
「姫様、って、咲月のこと……だよね? でも、それなら何で君は今ここに……? 君……潮は、咲月の守護精霊なんだろう?」
朔海の自然な問いに、潮は突然顔を真っ赤にしてぷんすか怒り出す。
「……っ、お前がそれを言うか!?」
目尻に涙を溜めながら人差し指で朔海を指差したまま、腕をぶんぶん振り回す姿は、……実に、可愛らしい。だが、勢いよく振り回されていた腕は、すぐに勢いをなくし、声がトーンダウンしていく。
「――一族の掟で定められた儀式は数多く存在するが、中でも12歳の誕生日に行われる儀式は特に重要な意味を持つ。それまで、身の内に宿していた精霊樹の種を、モノに宿らせ、種を芽吹かせる。モノは、人によってそれぞれ思い入れの深いものを選ぶ。装飾品だったり、武器だったり、防具だったり、皆それぞれだがな。……そして、姫様にとってのそれが、そいつ――お前のしてる腕輪のムーンストーンだったのさ」
最後には、しゅんと俯いて、面白くなさそうにぶすくれながら呟いた。
「……姫様は、これまでモノに思い入れを抱くような環境にいなかったから。本来の歳を過ぎても、オレは種のまま姫様の中にいた。けど、あの日。あの店でその石を見つけたとき。石の名が、月の石だと聞いたから、姫様はそれを買ったんだ」
「名前が、ムーンストーンだから?」
「そうだ。……聞いていただろう、お前。姫様は、咲月という名を気に入っているんだと。だから、自分の名前を思わせるその石を気に入って買って……お守り代わりにいつも持ち歩いてた。――特別な思い入れのある石で……だから、いつしかオレは自然とそれに宿ってた」
朔海の手首で光るそれを潮は切なげに見上げる。
「え……、でもそれを……。咲月は僕に……、そう、僕と葉月にくれて……。そうだ、石は二つあったじゃないか? あっち……葉月の方には……」
だが、朔海が浮かんだ疑問をポロリと言葉にして落とした瞬間、潮はキッと朔海を睨みつけた。
「何もない。精霊の種は、一人ににつき一つだけ。精霊の種を一度芽吹かせたら、もう他のモノへ移すことは出来ない。だから、オレが――精霊が宿っているのはお前のしてるそれだけ。……二つの石のうち、姫様がより気に入っていたそいつだけだ」
「じゃあ、咲月はそんなに大事にしていたものを僕に……? あれ、ってことは今君がここに居るのは僕がこれをしているせい?」
「だけだったら、オレは今ここに居なかっただろうな」
潮は小さな牙を見せつけながら呻る。
「12歳の誕生日の儀式で精霊を芽吹かせたその日から、精霊は、主の力を受けて育つ。主とともに魔狩りの者としての修行を重ね、一人前になるまでは普通は10年かかるが、……何せ姫様の御力は特別だからな。普通なら2、3年かかることもたった数ヶ月で済む」
つまり、普通より成長が早い、と。――だが。
「でも、ここ数カ月は僕が……」
そう、咲月に貰ったあとは常に朔海が身につけていた。……確かに咲月も身近には居たけれど。
「忘れたのか? お前、姫様の血を飲んだだろう。――姫様の血を介して、姫様の力を手に入れただろう?」
――そうだ。朔海が、葉月から『龍王の血の力』を手に入れるため、彼の心血を啜ったのは、葉月が半分とは言え吸血鬼であったからだ。
吸血鬼の魔力の源が心臓にあるから、心臓の血が必要なのであって。
だけど、咲月は特殊な力を持ちながらも、種族としては間違いなく人間だ。そして、その力が血で継がれていく類の力であれば、ただ、普通に血を吸うだけで力を得られる。
「お前が姫様の血を飲んだあの日から、お前はずっとその石を身につけ続けた。……精霊は、“主”の力を受けて育つ。――お前の力も受けている以上、オレは……」
潮は、心底悔しげにそっぽを向いたまま、小さく呟いた。
「お前も、オレの主だ。オレは……オレ様はお前と、姫様の、守護精霊だ」
そう言い捨てると、潮は完全にこちらに背を向けてしまう。背を向けたまま、足で地面を蹴飛ばしながら、更に小声でぽそぽそと付け足すように呟く。
「それに。……お前を守れ、と。姫様はオレに――その石に願いをこめた。姫様の守護精霊として、オレは姫様の願いを無視することはできない。……だから、仕方なくお前を助けてやるんだ」
「あの、じゃあもしかしてこの間僕の魔力を弾いたのは……、君の力……?」
咲月に、警告のつもりで仕掛けた軽い魔術を跳ね返され、心底驚いたが。それもこの小さな精霊の力だったのだろうか……?
そう思った朔海だったがしかし、潮は後ろを向いたまま首を左右に降った。
「いいや。あれは、代々魔を相手に戦ってきた一族の者が代を重ねながら少しずつ、少しずつ積み上げてきた魔力に対する免疫みたいなもんだ」
そして、潮は顔だけこちらへ向け、じろりと朔海を睨んだ。
「だから、今、お前、苦しくないだろう?」
朔海は、自分の手のひらを見下ろしながら、拳を握ったり開いたりを繰り返すが、先程までの苦痛はもう感じない。
「これも……咲月の力……?」
「――みたい、だなぁ」
突如、後ろから聞き慣れた声が降ってきた。朔海は思わず飛び上がり、慌てて声の主を振り仰いだ。
「――青彦!?」
「よう、坊ちゃん。お話中のとこ悪いが……時間がない。さあ、立て。行くぞ」
そう言って手を差し出してきたのは、常の黒猫ではない。――かつて、葉月の名で呼ばれていた青年の姿をした彼を朔海は見上げて驚く。
「ええ。今ここにいる私たちは、あなたが取り込んだ葉月の『龍王の血』の付属品でしかないから。ここではあまり長いこと存在を保ってはいられないの」
そして、さらに後ろからまた聞き慣れた声がする。――かつて、双葉の名で呼ばれていた娘。紅姫もまた人であった頃の姿でそこに立っている。
「龍王の血を、真実自分のものにしたいのならば、龍に己を認めさせなければならない。……知っているだろう、坊ちゃん。だから、今から奴らのところへ案内してやる。だから、立て」
青彦は、再度朔海を促した。朔海も今度はしっかりと頷き返してから立ち上がろうとして――ふと下を見下ろす。潮は、未だ不機嫌そうな表情をしたまま、朔海に歩み寄ると、大きく跳ね、ぴょんと朔海の頭の上へ上がり、ドスンとあぐらをかいてそこへ腰を落ち着けた。
重さは感じないが、頭に触れる感触が、何となくこそばゆい。頭に乗せた彼を落としてしまわないように気をつけながら、朔海はそっと立ち上がる。
相変わらず四方は白い薄もやに囲まれたまま、何も見えないその場所を、青彦と紅姫は迷いなく歩き出した。
「行くぞ、ついてこい。……間違ってもはぐれるんじゃねえぞ?」
青彦は、その姿をしていた当時に着用していたのだろう簡素な着物に、薄っぺらい草履という出で立ち。紅姫も、地味な色味の着物に、やはり足元は粗末な草履。それらは、5歩以上も離れるとたちまち薄もやがかかってぼんやりしはじめ、10歩も離れると殆ど影しか見えなくなる。
朔海は常に彼らの後ろ3歩の距離を維持するため、極力彼らのペースに合わせて歩く。
「ここは……一体……?」
「ん、ああ。いわゆる精神世界ってやつだな。つまり、心の内側の世界。誰しも、それこそ心を持つものなら誰でも、吸血鬼だろうが悪魔だろうが、人間であろうが必ず一人につき一つずつ与えられている世界だ。――ただ、こうして実際にその世界の内側に入り込んでどうこうできる奴ってのは限られてくるんだがな」
「つまり、要は僕の心の中、ってこと?」
「そう。……だから、この世界の主は朔海様。この世界で起こることの全ては、朔海様次第。私たち部外者に出来ることは手助けだけ。それ以上は全て、朔海様の御心にかかっているんだってこと、覚えておいて」
「まあ、ここいら一帯は少々特殊な場所だがな。……ほら、着いたぜ」
青彦のセリフと同時にさあっともやがほどけ、白一色だった景色が徐々に色づいていく。
まず、目に飛び込んできたのは――水の色。池……、いや、湖――? 透明度の高い、綺麗な水を湛えた泉。
その周囲をゴツゴツとした岩が積み上がった崖が取り囲み、その上から音を立てて水が落ち――巨大な滝が飛沫を上げ、その飛沫で薄く虹がかかっている。
その、泉の中心に。目測で4階建ての建物と同じくらいの高低差があると思われる滝の、約半分ほどもある巨大な影がある。
まるでティラノサウルスに翼をつけたような――まさに、西洋の宗教画に描かれていそうな姿の竜。そのいかにも、な竜を戒めるかのように、白銀の龍――こちらは東洋の宗教画に書かれていそな姿のそれ――が、その長い胴体でぐるぐる巻きついている。
先の西洋風の竜の瞳は、紅姫そっくりのルビーの瞳。そしてそれに巻き付く東洋風の龍の瞳は、青彦そっくりのサファイアの瞳。
その2対の瞳が、揃って朔海を射抜いた。
大口を開け、鋭い牙がズラリと並ぶ様を見せつけながらニヤリと笑いながら、竜王は一行を見下ろした。
「成程。お前が、奴の今世の末裔……王の子か。こうして見えるのは初であるな、“綺羅星”よ」
竜は慇懃にその名を口にした。
「お前の事は常に眺めて知っているつもりであったが……こうして検めればまた随分と生っ白い身体をしておるものよの。奴とは似ても似つかぬ」
竜は、朔海に嘲笑を浴びせる。
「あの、白露というのもまた、随分と頼りのない身体つきをしておったが……。あやつの世界は実に居心地が良かった。――ここと違ってな」
竜は、それを懐かしむようにうっそりと目を細め、空を見上げる。
「あやつの心は、常に怒りや憎しみ、屈辱といったほの暗い感情が渦巻き荒れ狂っておった。何より、己の父に対する感情――恐れ、憎しみ、復讐心……。まさに、わし好みの世界だったというに」
竜が不満気に呟き、再び視線を朔海に向ける。
「お前の周囲は常に蔑みの眼差しを向け、嘲笑や罵倒が溢れ、それ故の孤独に満ちておった。にもかかわらず、この世界は寂寥や寂寞、諦観といった陰の気で満ち、凪いだまま。何とも歯がゆく、物足りぬ世界にわしはもう飽いた」
そして竜はもう一度、ニヤリと嫌な笑いを浮かべた。
「今、ここでお前を喰ろうてしまえば、この世界の主はわしとなる。見目が好みでないのが難だがまあ、久方ぶりに己の肉体を得て暴れるのはいかにも楽しそうではないか?」