彼らの在り方
「えっ、ええ!?」
――どうやら相当衝撃的な質問であったらしい。咲月にとっても、もちろんそうだったが、朔海は彼女のセリフに思い切り手をすべらせた。
「いてっ」
ハサミの刃で掌を傷つけ、血を滲ませた彼の目にはほんの僅かに涙が浮かぶ。
「え、何? 稲穂様、晃希さんてば、娘さんの前で何してるんですか!?」
朔海の抗議に、稲穂はしれっと答えた。
「うん。姫とあれはな、いわゆるバカップルというやつでな。割と人目も気にせずいちゃこらしながら、そのついでにな。おかげで最近は、豊穣だけでなく縁結びのご利益でも評判になりつつある」
詳しい事情を説明されないままの咲月も、彼らの会話を拾いながら、そろそろ何となく事情を察し始めていた。
どうやら、この子は人間と吸血鬼の間に生まれた半吸血鬼……つまり、葉月と同様の存在であるらしい。
彼女の母が人間、そして父親が吸血鬼。
そして彼女のことを、この稲穂と――神だと名乗った女性は次代の巫女姫と呼んだ。
この子どもが次代であるなら、その母親が当代の巫女なのだろう。
葉月が言っていた恩人――龍神とその巫女姫は、葉月の持つ強力な毒を鎮めるほどの力を持っていたという。
でも、一体何故神社に吸血鬼が棲みつき、しかも巫女と子まで為しているのだろう?
半魔であるはずの子どもを見る稲穂の目は間違いなく保護者のものだ。
しかも、彼女の父である吸血鬼が、実の娘の前で母親の血を啜っている状況を知りながら、平然と放置しているらしい。
咲月は、うっかり先日のアレを思い出しかけ、慌てて頭を左右に振り、頭をよぎっていく光景を脳裏から追い出す。
あれだって相当恥ずかしかったのに、瑠羽や稲穂の言い様では更に数段刺激の強い光景が繰り広げられているようではないか。
朔海も、うっかりその光景を頭の中に浮かべてしまったのだろう、明らかに顔が赤い。
朔海は、無理矢理咳払いをして瑠羽に向き合う。
「うん。方法としては、ダメじゃないよ。むしろその方が、こんなものに頼るより遥かに効果的だからね。――でも、瑠羽ちゃん。お父さんが、お母さん以外にそれをするところを見たことはあるかな?」
朔海の問いに、瑠羽は首を横に振った。
「ううん、ない」
「だよね。……それにね、もしも僕が、君のお母さんにそれをしようとしたら、お父さんはすごく怒るはずだよ。あれはね、誰にでもしていいことじゃない。君のお母さんは、お父さんが吸血鬼だとちゃんと理解した上で……君のお父さんだから、それを許しているんだ。お父さんも、それを良く分かっているから、決して他の人から血を吸ったりしないんだ」
朔海は、真摯に語りかける。
「いつか、瑠羽ちゃんがもう少し大人になって、本気で信じてもいいと思える人を見つけたら――その人がそれを受け入れてくれたなら構わない。でも、そうじゃない人にしてはいけないことなんだよ」
朔海の、そのセリフは幼い少女に向けられたものだ。
けれど、それを後ろで聞いていた咲月は一度振り払ったはずの光景が再び脳裏に蘇り、全身の血が一気に頭へ登ってくる感覚をたっぷり味わわされる。
彼のあのセリフは、きっと彼自身の吸血行為に対する姿勢なのだろう。――そんな真摯な考えを、例の『魔界の方々』がしているとは到底思えないし。
朔海の言葉と、あの日の記憶が頭の中で勝手に合成されていく。
あれは、ほとんど事故のようなものだし、ちょっと血を舐められただけで、咬まれたわけでもない。
……でも、あんな行為を他の誰かにしている朔海を想像しようとしたら凄く嫌な気分になった。
――って、あれ? ……これって嫉妬? もしかして……さっきのも? ……ちょっと待って、私……こんな弱ってる――それもこんな小さな子を相手に何を考えてるの!?
そう気づいてしまったら、なんだかすごく居たたまれない気分になる。
でも、それ以上に彼らの話の中に出てくる「晃希」という名の吸血鬼と、そのパートナーの巫女様に対する興味がわいた。
吸血鬼と、人間の恋。
それも、『魔界の方々』とは違う、朔海や葉月のような考えを持った吸血鬼の彼を受け入れ受け止め、子供を産み育てながら、それだけ仲の良い夫婦でいるという彼らに会って、話を聞いてみたいと、咲月は思った。
「だから、今はこれで我慢して欲しい」
朔海は、封を切ったパックを瑠羽の前に差し出した。
少女は、黙って頷き、朔海からそれを受け取った。
チューブの差し込み口に口をつけ、吸い付く。――が、どうやら吸う力が足りないらしい。
思うように中身が彼女の口の中へ入っていかない。
やっとの思いで口に含めた分も、不味さ故か、咳き込み、吐き出してしまう。
「ううん、やっぱりこのままじゃ難しいか……」
その様子を見ていた朔海は、一度パックを瑠羽から預かると、棚から紙コップを取り出し、中身を搾り出した。
白地のコップの中に、まるで煮詰めすぎたトマトジュースのようなどろりとした赤黒い液体が溜まっていく。
少し鉄臭い、血の匂いもわずかに漂い、見た目だけを言うなら正直パックの状態より飲むのに勇気が要りそうだ。
「あの、ちょっと待って」
そのまま瑠羽に渡そうとする朔海を止め、咲月は急いで台所へ走り、アルミホイルとストローを持ってきた。
「……気休めにしか、ならないかもしれないけど」
コップの口にアルミホイルをかぶせ、ストローを刺す。
これで中身を直接見ずに済むし、匂いも少しは抑えられるだろう。
瑠羽は、半身を起こしながらそれを受け取り、ストローを咥えると息を詰め、溜めた呼吸が保つだけひたすら中身を吸い上げ、必死に飲み込む。
だが、どうやらそうとうに不味いらしく、時々えずく彼女の背を、朔海が撫でる。
その光景にまた少し、心がちくちく痛むのを、咲月はあえて気づかないフリをしながら見守る。
コップの中身を空ける頃には、彼女は目に涙を浮かべていた。
「よく頑張ったね。えらい、えらい」
朔海は瑠羽の頭を撫で、微笑む。
「――口直しに、ジュースでも持ってこようか?」
まだ不快そうに顔をしかめる彼女を見て、咲月が提案する。
「そうだね。お願いしていい? ……たしか冷蔵庫に缶入りのフルーツジュースがいくつかあったはずだ。瑠羽ちゃん、オレンジとグレープとリンゴ、どれがいい?」
「ぶどうがいい」
少女は即座に答えた。
咲月は再び台所へ走り、ジュースを少女に与える。
「――さてと。じゃあ、今度は僕が頑張る番だね」