術式‐描き出されたもの‐
朔海は魔法陣の中央に立ち、小刀についた血を払って鞘へと刃を戻し、ポケットにしまうと、まだ左手に滲む血で、床のものと同じ、円の中に六芒星を描いた魔方陣を描き、ルーンを書き足していく。
中央に「門」のルーン、周囲の扇に「防御」のルーンは変わらない。――が、六芒星の外側の三角形の中に描かれたルーンが、「停止・凍結」と「束縛」のルーンではなく、「開始」を意味するルーンに変わっている。
苦しげに呼吸を荒げながらも朔海は、もう一度ポケットから小刀を取り出し、再び鞘を払った刃で、魔法陣の上から左の掌を切り裂き、それを天に掲げるように、いっぱいまで上へ持ち上げる。
「我が名は、綺羅星の朔海。古の悪魔より借り受けし魔に属する力よ、契約に従い、命じに応えよ」
朔海の、厳かな呟きに応じる様に、朔海の頭上に目がくらみそうになるほど眩しい、真白の光を放つ幾つものルーン文字が浮かび上がった。
「綺羅星の朔海、我が名において命じる。我が命を鍵とし、異界の門を閉ざせ。我が定めし血を持つ者共が持つ世界を渡る力を封じよ」
朔海の頭上に浮かんだルーン文字が、突如、散り散りに弾け、目を灼くような強烈な光を放ちながら、その中へと消える。
と、同時に燐光を放っていた魔法陣からも光が消え、ただの赤黒い血色の線へ戻り、光の壁も消滅する。
持ち上げていた手を下ろしながら、一瞬、朔海はふらりとよろけた。
「……朔海様」
葉月が、反射的に駆け寄ろうと動きかけた咲月を片腕で制してから、彼のもとへと歩み寄る。
「――ああ、……まだ、大丈夫」
小さく呟き、
「――葉月、……血を」
そして朔海が葉月に目配せする。
「承知しております」
言いながら、葉月はズボンのポケットを探り、朔海のものと形状の良く似た――しかし、朔海のものとは違い、随分素っ気ない造りの小刀を取り出した。
鞘を払い、その刃で自らの左の掌に一筋の傷を拵え、血を滴らせ、足元の魔法陣に落とす。
血は、中央の「門」のルーンに吸い込まれ、その瞬間、一瞬だけ青白い燐光が、魔法陣から放たれた。
「さあ、最後の仕上げだ。――葉月、戻れ」
朔海は葉月に命じ、彼が咲月のもとへ戻り、彼女を庇う位置に立つのを見届けた上で、三度小刀の刃を左の掌へと突き立て、「門」のルーンにその血を吸わせる。
――すると、今度は「門」のルーン文字のみ青白い燐光を放ち、そこから「保護」を意味するルーン文字が現れ、ふわりと宙へと浮かぶ。
青白い燐光で形作られたそれに小刀を持つ手を伸ばし、触れる。
文字は、彼の手に吸い込まれるように消え、彼はその手の刃を真っ直ぐ左胸――自らの心臓へと突き立てた。
「――っ、」
朔海の表情が、苦痛に歪み、こめかみを脂汗が滴った。
ガクリと、力尽きたように地面に膝をつき、自らの体を抱くように、前屈みに蹲る。
そんな彼を囲うように、再び魔法陣が光を放ち、そこから光の壁が現れる。
その壁は、先程のように天井まで垂直に伸びるものではなく、ドーム状に半球を描き、まるで朔海を包み込むような形をとった。
光の壁は、その彼を中心にググッと圧縮されるように小さく縮まっていく。
苦悶の表情が浮かぶ顔を伏せ、必死に悲鳴を喉の奥に留めて声を殺してはいるが――ぎりぎりと、噛み締めた奥歯が立てる軋んだ音が、離れた場所に立つ咲月の耳にも聞こえそうなほど、彼の苦痛は咲月の目にも明らかにその激しさを物語っている。
負担の大きい術式だと、確かに聞いていた。
だが、それがここまで凄まじいものだとまでは想像していなかった咲月は、自らの甘さ加減に自分の心臓を一突きにされた気分になった。
――この術式は、咲月を守るためのもの。
朔海にとって、咲月は、来年以降も彼が生き続けるために必要な存在。
だから、守る。
忌避される存在なのだと傷ついてきた朔海は、自分を受け入れてくれた咲月を好ましく思ってくれている。
そして、そんな咲月を自らの事情に巻き込んだのだと罪悪感を抱いている。
……だから、守ってくれているのだと思っていた。
だけど、朔海の苦しみ様は尋常ではない。それ程の苦痛を押してまで、咲月を守ろうとしてくれている。
それは、本当にその程度の、表向きの理由だけで耐えうるものなのだろうか?
彼が、自分に向けてくれている想いの深さを、どうやら見誤っていたらしことに咲月は今更ながらに気づく。
――彼が、自分を信じてくれない?
当然だろう。
咲月が彼に向ける想いが、明らかに彼のものとは種類が違うことを知っていたからこそ、不安を覚えた。
それでも、彼は咲月の言葉を受け入れてくれた。
彼らは――彼は、咲月がこれまで見知ってきた人間たちの誰より、優しく、暖かかった。咲月を忌避せず、受け入れてくれた。色々親切にしてくれて、事あるごとに手を差し伸べてくれた。彼にとって大事な秘密を明かし、彼の心の内へ踏み込むことを許してくれた。
だから、信じてもいいと――咲月はそう思っていた。
そんな、甘くて軽い『信頼』程度で「信じて欲しい」などと口にした自分が、恥ずかしくてたまらなかった。
思わず、逃げてしまいたくなるけれど、咲月は意志の力を総動員し、朔海の姿を注視し続ける。
逃げないと、約束したのだから。
――心が、痛い。
朔海の苦しむ様に、泣きたくなる。
咲月は、痛む心にその姿を焼き付けながら、一つの誓いを立てた。
彼の想いを疑うこと。彼の思いを裏切る事。――それだけは、決してするまいと。
彼がどうしてそこまで自分を想ってくれるのか。
いまだ、その疑問は解決されないままだが――そんなことは些事に過ぎない。
どんどん縮まっていく光の壁が、とうとう朔海の身体に触れるまでに縮まる。
「――ッ、アッ……」
堪えきれなかった悲鳴が、僅かに溢れた。
ぎゅうぎゅうと朔海の体を圧迫するように、壁は尚も縮んでいく。
地面の上、ドーム状の半球のように見えていた壁が縮まり続け、これまで地面の下に埋もれて見えていなかった、下半分も徐々に顕になる。
半球ではなく、完全な球体の形をとったそれは、まるで玩具のカプセルの様に、朔海の全身を包み込んだところで、一度収縮を止め――そこから一気にスピードを早め、彼の胸に突き立てられた刃の先……彼の心臓を芯に、どんどん小さくなっていく。
それに呼応するように、朔海の苦しみ様も更に増す。最早屈んでいるだけでも辛かったのだろう、ほとんど床に突っ伏すかたちで身体を投げ出し、呻く。
そして、最後。どんどん縮むそれは彼の体内に埋もれ、見えなくなった瞬間、とうとう彼の口から悲鳴の叫びが漏れた。
「グッ、アッ、ア……っ、っ、っ、ア、ああああああああああ!」




