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Need of Your Heart's Blood 1  作者: 彩世 幻夜
第一章 Destiny
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賑やかな夜

 「――ああ、朔海君。どこへ行っていたんです? ……せっかくコンロをセットしたのに……」

 咲月の手を引いたまま台所へと戻った朔海に、葉月が声をかけた。

 「ん、ああ……まあちょっとな。さあ、じゃあ葉月、火を点けてくれよ――中火でな。今鍋を持ってくるから」

 キッチンのコンロに乗せられた、平たく、底の浅いすき焼き用の鍋をピンクのミトンをはめた両手で持ち上げ、

 「鍋、熱いから気を付けて」

 湯気が上がり、食欲をそそる香りが鼻をくすぐる。煮汁はグツグツ煮立ち、ネギや肉が良い色に仕上がったそれを、青い炎が点々と円を描くコンロの上に乗せる。


 「やあ、美味しそうですねぇ」

 「……葉月。これ、新しい卵」

 見事な片手割りを披露し、朔海は新しい皿を葉月に手渡す。

 「おや、いいんですか?」

 「……ホントは良くないんだけどね。卵3つも無駄にしてもったいないし……。でも、お祝いの席で一人つまんないのも楽しくないだろ?」

 朔海は、炊飯器をテーブルへ運びながら言った。


 「咲月さん、お茶碗貸して?」

 炊飯器をテーブルに置き、蓋を開ける。たちまち白い湯気が立ちのぼり、炊き立てご飯の香りがすき焼きの匂いと相まって皆の胃袋を刺激した。

 ……テーブルには茶碗と箸が3人分、すでに並べられていた。

 白磁はくじに青い花柄が描かれた、深めの大きな茶碗と。

 紺に白色で描かれた矢絣模様やがすりもようの、まるで丼を小さくしたような形の茶碗と。

 そしてもう一つ。他の二つと比べればやや小ぶりながら、白磁にピンクの花柄のラインが細かく丁寧に描かれた茶碗と。

 ――そして箸も、3組。

 赤みを帯びた深い色合いの木製箸と。

 黒地に金箔で花が描かれた、少し長めの箸と。

 そして、自然な木目調の表面に何匹もの白ウサギが踊る、かわいらしい箸と。

 どれに手を伸ばすべきか、戸惑う様に咲月の手が宙を彷徨った。

 ――見るに、ピンクの花柄の茶碗と、白ウサギの箸とが自分に与えられた物なのだろう事は理解したものの、それをまず先に手に取る等、咲月にとっては絶対にありえない行為だった。

 故に、咲月の手は手前に置かれた青い花柄の茶碗と矢絣模様の茶碗との上を所在なげに彷徨う。

 果たして、自分に声をかけた朔海の茶碗を先に取るべきか――はたまた、ここはやはり家の主である葉月の茶碗から、というのが無難だろうか?

 だが、見た目だけではどちらがどちらの物なのか等、分かるはずもない。

 重たく、張り詰めていく空気を背に感じながら、咲月は必死にどう行動すべきかをその中から読み取ろうと必死に頭を回転させる。


 ――きっと。普通の人なら、こんな事にいちいちここまでの気など回さないのだろう。

 適当に手前の茶碗を取って渡せばそれでいいじゃないか、と、軽く言い捨てるのだろう。

 ――でも。……咲月は、知っていた。

 ほんの些細なミスで、あっという間に壊れて行くもろい絆を。

 本当に――ほんの少しだけ、気を抜いた隙に――空気を読み違えてしまった――それだけで、急激に冷えて行く希薄な繋がりを。


 優しい人達だからこそ。珍しく、長居をしたいと思えた場所だからこそ――

 ……間違える訳にはいかなかったから。


 ……そんな風に固まる咲月の背に、朔海はかける言葉に詰まる。

 もどかしげな表情をする彼に苦笑を深めながら、代わりに声をかけたのは葉月だった。

 「ああ、それなんですがね。……見ての通りうちは男所帯でして。女の子に使ってもらえるような物など今まであったためしがなかったもので……、ね。昨日、ちょっと隣町の百貨店まで足をのばして買って来たんですが――」

 彼の助け船に、朔海は一瞬ホッとした表情を浮かべたが――葉月のその言葉にハッと我に返り顔を上げた。

 「え、何それ、初耳。」

 釜の飯をしゃもじで返し、かき混ぜ、ふっくらさせて――。

 「……はぁ、葉月を一人で行かせたのは失敗だったかもね。まあ、この茶碗と箸は合格だけどね、……何を買ってきたのかまだ聞いてないけど……何か変なものを買い込んでたり、逆に必需品をうっかり買い忘れたりしてないか、すんごく心配」

 ほんの少し、悔しげな表情で憎まれ口を叩く朔海に、葉月は自分の茶碗を渡しながら、からかうようにわざとらしいため息をついた。

 「――朔海君がだんだん口の悪い意地悪なお姑さんに見えてきました……」

 「葉月っ! 変なこと言ってないで茶碗を貸せ! ……ああ、葉月のじゃないよ、咲月さんの。今日の主賓は彼女なんだからさ」

 ――ジャージのポケットに入れたきりだった、落書きだらけの携帯用の箸箱が、中の箸と触れ合い、カチャリと小さな音を立てる。

 葉月は、手にした矢絣模様の茶碗を置き、手前に置かれた咲月の茶碗を手に取り朔海に渡す。受け取った朔海は、手慣れた様子でほかほかのご飯をふんわりこんもりよそい、

「取りあえず、こんなもんでいい?」

碗を少し傾け、咲月に中身を見せながら尋ねた。

 「えっ、あ……、はい……」

 「じゃあ、はいこれ。遠慮しないでどんどんおかわりしてよね。まだまだあるから。」

 咲月に茶碗を渡し、手元に置かれた葉月の茶碗を手に取る。

 「葉月は……こんなもんでいい?」

 「いえ、もう少し貰えますか?」

 「ん、こんなもん?」

 「ああ、はい。ありがとうございます」

 最後に、青い花柄の自分の茶碗に手を伸ばし、山盛りによそい入れ、

「さあ、食べよう。冷めないうちにさ。葉月、飲み物とって。乾杯しよう」

咲月にはオレンジジュース、朔海はストレートティー、葉月は緑茶を、それぞれグラスに注ぎ、

「葉月、音頭を取ってよ」

朔海が言った。

 それを受け、葉月はコホンと一つわざとらしい咳払いをしてから、

「――では。我が家に新しく、咲月くんという素晴らしい家族ができた事をお祝いして……、乾杯」

と、厳かに述べ、続けて朔海が、

「カンパーイ!」

高々とコップを掲げる。二人の視線を受け、咲月もおずおずと自分のコップを差し出す。

 「……あ、えー、……と。……か、かんぱ、……い……」

 差し出されたコップに、葉月と朔海とがそれぞれ自分のコップを僅かに触れ合わせる。

 ――カラン、と。ガラスとガラスの奏でる楽しげな音色と一緒にグラスを傾け、中身のドリンクを一口、口に含み、味わいながら飲み込む。

 ――差し出したコップに伝わる確かな触れ合いの手ごたえ。

 ……こうして、人と食卓を囲むなんて、いったいいつ以来だっただろう?

 良く冷えたオレンジジュースに口をつけながら、グツグツと旨そうに煮える鍋を見る。


 「うん、もう食べ頃だよ。あんまり置いとくと肉が硬くなるから。どんどん食べよう」

 「そうですね。――咲月くん、お先にどうぞ」

 隣に座った葉月がお玉と菜箸とを咲月へ差し出し、

「肉も野菜もまだまだ沢山あるから。好きなものを好きなだけ取っていいからね。遠慮は一切無用だから」

向かいに座る朔海が笑みを浮かべて言った。

 「……そ、それじゃあ――」

 ……二人とも、にこにこ微笑んでいるはずなのに。口調も物腰も柔らかなのに。……何故だろう、有無を言わせぬ雰囲気が漂う。

 それでも、いきなり鍋の真ん中をつついて大ぶりの肉を取る勇気はなく、鍋の端の肉の切れ端を、シイタケや豆腐と一緒に摘まむ――が……殆ど切れっ端みたいな肉をわざわざ選んだつもりだったのに――ほとんど千切れかけた脂身で繋がったかなり大きな肉片がずるりと、引きずられて一緒にくっついてきた。

 豆腐やシイタケやネギや白滝やらの下に沈んでいた肉を引きずり出したことで、鍋の中身が荒らされ、なんだか随分欲張ったみたいな事になり、咲月は無意識に口の端を引きつらせた。……背中には、冷たい汗が伝う。

 まさか今さら鍋に戻すわけにもいかず、ドキドキしながら、卵を溶いた取り皿に盛り、恐る恐る顔をあげて二人を見る。

 温かな笑みが消え、冷めた視線が突き刺さる――そんな風景を覚悟した咲月の目に映ったのは……輝度を増した二人の笑顔で。その瞳は、むしろ嬉しげな感情を映していた。

 水菜、シイタケ、ネギ、白滝……。器を満たすまで鍋をつつく。器が満ちるごとに、彼らの表情は曇るどころか、さらに笑顔に深みが増していく。

「あ……、あの、次どうぞ――」

 もしもの恐怖に震える心に、戸惑いを覚えながら咲月は、隣に座る葉月に箸を渡す。


 「ねえ、咲月さん。明日は何か予定はある?」

 葉月が鍋をつつくのを眺めながら朔海が尋ねる。

 「もし、特に予定がないのなら、街へ買い物へ行かない? ご近所の案内も兼ねてさ」

 「あ……、でも私、今手持ちがあんまりなくて……。なるべく早く仕事を見つけるつもりではいるんですけど……」

 シイタケをかじりながら、咲月は気まずげに目を泳がせた。

 「ああ、バイト探してるの? だったら大丈夫、イイ仕事があるよ。ね、葉月?」

 しかし朔海は、チラリと向かいに座る葉月に目配せし、にっこり笑って言った。

 「咲月さんも見たでしょう、さっきのタマゴの惨状をさ。……でもね、あんなのはまだかわいい方でね。本当に、家事全般まるでダメなんだよ、この人」

 やれやれと、大げさに困った仕草をして見せながら、

「今までは僕が無償で色々フォローしてきたんだけどね。……もし良かったら、この家の家事を手伝ったらいいよ。もちろん、無償じゃなく、ちゃんと葉月に給金をもらってさ」

と、葉月に話を振った。

 「……そうですね、それは良い考えかもしれません。ただ小遣いを渡すより、咲月くん自身も気兼ねしなくて済みそうですもんね」

 どうです? ――と、葉月に瞳で問われ、

「――はい、……お願いします」

特に断る理由もない咲月は軽く頭を下げた。

 「それでは咲月くん、明日からよろしくお願いしますね」

 「はい……」

 丁寧に頭を下げられた咲月は、こそばゆい気分になりながら、自然と緩んでくる表情のままに答えた。

 「では、明日の買い物はそのための必要経費として勘定致しますから。必要なものは必要だと言って下さいね?」

 「そうそう。まずは上着だろ、……まだしばらくは肌寒い日も続くだろうし。あとは身の回り品の細々したものだよね。シャンプー類とか」

 ちろりと葉月へ半眼の視線を向ける。

 「あっ! ――しまった……忘れてました……。ああ、何か忘れているような気がしてたんですが……」

 朔海の指摘に葉月が渋い顔をした。

 「……まあ、葉月にそういう気配りは期待してなかったけどさ。」

 ため息をつく朔海に、

「いえっ、石鹸は持ってきてるんで!」

咲月が慌ててとりなした。が、

「ああ、それで髪も洗っちゃったの? もしかしていつもそれで洗ってる? ダメだよー、ちゃんとシャンプー使わなきゃ……髪が傷んじゃうよ?」

朔海は真剣な表情で諭すように言と、むむ、と、宙をにらみながら明日の買い物を、本人である咲月より余程真剣に一つ、一つ、指折り数えながら挙げていく。

 その前で、どこから取り出したのか、葉月がいつの間にかメモ帳をスタンバイさせて朔海の挙げる品々を漏らさず、さらさらと書き出していく。


 「さあ、欲しい物を早く言わないと……、あなたの私物が全て彼の趣味で揃えられてしまいますよ?」

 「う……」

 これまで、欲求という感情ものの類に関しては、我慢するのが当たり前で。

 ……そんなものは存在するだけで、心を辛く苦しくさせるだけのものだったから――

 そんな彼女にとって、それはとても難しい要求だった。

 気持ちを殺し、想いを誤魔化して。……それを日常としてこれまで生きてきた。

 ――そうでなければ、とっくに心が壊れてしまっていただろう。……まあ、すでに亀裂はいくつも刻まれているけれど。

 その、心に刻まれた傷口を撫ぜる様な問い。――だが、その痛みも今はくすぐったい。

 「あの……、コタツ……とか……」

 「え? ……コタツ?」

 返ってきた予想外の答えに朔海がオウム返しに聞き返した。

 「あっ、……いえ、ちょっと言ってみただけなので……。あの、……ごめんなさい。やっぱり今のナシで……」

 咲月は赤面して両手を振り、前言撤回を申し出た。

 「え、何で?」

 「ええ、構いませんよ。コタツですね?一応、寝具だけは用意して押入れに入れておきましたが、――他に何が要り様か分からなかったので、部屋の家具もあえて何も用意しなかったんです。机とか、タンスとか――必要でしょう?」

 不思議そうに目をパチクリさせる朔海に、葉月が隣で頷いた。

 「布団、買ったの? 葉月が? ……ううん、なんかちょっと心配だなぁ。でも……そうだね、いいんだけどさ。何でコタツなのか――ちょっと訊いてもいい?」

 「あ、はい。その……ずっと、憧れてたんです」

 「――コタツに?」

 首をかしげる朔海に、咲月は笑って答えた。

 「……コタツそのものに、ではなくて、コタツが作る温かな時間に……憧れていたんです。一つのコタツに集まってくる人たちに――いわゆる家族団らん、みたいな空気に……」

 何かを誤魔化すように笑いながら、

「だから別にコタツでなくても構わないんです。例えば鍋とか焼肉セットとか……何かのゲームとか。本当に、何だっていいんです、この際、雀卓じゃんたくだって。……でも、貰ったお部屋が畳だったから……つい」

何か言い訳でもするような咲月をよそに、

「よし、葉月。買い物リストにトランプとUNO追加!」

朔海が葉月に指示を出す。

 「はいはい、トランプにうの、ですね?」

 すらすらとペンを滑らせて、リストにそれらを書き出してゆく。――と、途中で手を止め――

「……ところで朔海君、“うの”って何ですか?」

尋ねた葉月に朔海が答える。

 「カードゲームの名前だよ。……なんでこっちで暮らす葉月が知らないんだ?」

 「と言うか朔海君、誰とやったんです? そんなゲームを」

 「ん、ああ……テレビゲームでちょっとな。何かそういうソフトがあったんだよ、コンピューターとでも対戦できるやつが。」

 そんな彼らの会話に、スーパーでも気になった疑問が再び咲月の脳裏に甦る。


 「……あの、もしかして、外国の方……なんですか?」

 遠慮がちに尋ねた咲月の問いに、日本人離れした容姿の美形二人はほんの一瞬、僅かながらに、不自然にピクリと固まった。

 ……が、すぐに誤魔化すように、

「え……ま、まあ似たようなもん……かな? 一応……」

と、目を宙に泳がせた朔海が答えた。


 明らかに何か隠している風な答えに、当然不審を抱いた咲月だったがそれ以上踏み込んで尋ねる事はしなかった。

「あの、葉月……さん……、食べ物の好き嫌いとかは……? その、今後の参考にしたいので……」

 当たり障りのない話題。


 ――誰にだって、聞かれたくない事はある。

 それを我が身にいくつも抱える咲月はその事を誰よりも良く知っていた。

 自分に良くしてくれる、親切な良い人達。そもそも他人である自分に十分、良くしてくれているのだ。

 いきなり生活圏に飛び込んできた相手には話せない事等ざらにあるだろう。当たり前のことだ。

 だから、咲月は深く追求もせずあっさり話題を変え――咲月はその場を流した。

 彼らの重大な秘密を知ることのないまま――。

 一方の二人はホッと胸をなでおろした。


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