ディナータイム
「……あれ、他のみんなは?」
手持ち無沙汰になり、取りあえずテレビをつけて、大して面白くも無いバラエティ番組を何となく眺めながら居間のソファで一人膝を抱えていた咲月に声をかけたのは、手に幾つも荷物をぶら下げた朔海だった。
「えっと、それが……その……青彦さんの始末をつけると言ったまま……戻って来なくて……姿も見えないんです」
咲月は彼を振り返るとホッとしたように微笑み、それから困ったように現状を告げた。
「ああ……彼、また何かやらかしたんだ? まあ、よくある事だから……それは気にしなくてもいいんだけど」
と、朔海は先程紅姫に告げられたのと同じ事を言った。
「それにしても、こんな時間に慣れない場所で一人で放って置くなんて……全くもう、しょうがないなぁ」
今回、彼がやらかした事柄をぼかして告げられた朔海は大して気にすることも無く、キッチンに足を向けた。
「お腹空いたでしょ? すぐ夕飯にするから。よければ先に風呂に……」
「あの、お風呂はもうお先に紅姫と入らせてもらったので。えっと、手伝います」
咲月はテレビを消し、朔海の後についてキッチンに入る。
下げていた紙袋から瓶詰めにされたハーブやスパイスを取り出し棚に並べ、肩から下げたクーラーボックスから取り出した生鮮食品を冷蔵庫にしまっていた朔海は首だけ捻ってこちらを振り向いた。
「え、いいの? 向こうでゆっくりしててもいいんだよ?」
「いえ、特にやることも無いし、暇を持て余していた所なので」
「そう? じゃあ、これ……このあさりの砂抜きと、あとそっちの袋に入ってるスパゲッティを茹でるの、頼んでもいい?」
クーラーボックスから透明なビニール袋にぞんざいに詰め込まれたあさりを取り出し、咲月に差し出した。
受け取った袋はずっしり重く、中を見るとかなり大ぶりな貝が随分たくさん入っている。
咲月はキッチンの下の収納からボウルを見つけ出すと、さじ一杯の塩を2杯、3杯と入れ、勢いよく水を入れながらかき回して塩水を作る。袋の中のあさりは別のボウルにあけ、手際良く水洗いをした後で、できた塩水に漬けてアルミホイルを被せた。
その横で、朔海は一匹丸々の鮭を手際よく捌いていく。
ダン、と、思い切りよく頭を落とし、腹に包丁を入れて内臓をかき出す。背骨と上身の境に包丁を入れると、すいすい身と骨とを分けていく。
あっという間に三枚に下ろされたその切り口は本職の職人さながらで、捌かれた身は、脂が乗っているのが一目で分かるくらいにてかっている。
鍋一杯に湯を沸かし、塩をふり入れ、パスタをザッとさばいて湯に入れながら、咲月の目はちらちらと彼の手元に向けられる。
そうして目を奪われている間にも、魚は切り身や刺身用の柵などに切り分けられていく。
「あ、そっちの引き出しにキッチンタイマーが入っているから。後で炒めるから、ゆで時間、ちょっと短め……6分位かな……で、よろしく頼むね」
切り分けた切り身を、タッパーやジップロック付きのビニール袋に分けて入れ、それぞれに味噌や醤油、ハーブ入りのオリーブオイルに漬け込み、冷蔵庫にしまう。
まな板の上に残されたのは、刺身用の柵。
それにも手際よく包丁を入れ、少し薄めの刺身にしていく。続いて、赤や黄色の鮮やかなパプリカと玉ねぎを取り出し、トントンとリズムよくいい音を立てながら刻み、それらをハーブと薄切りにしたレモン、オリーブオイルで和える。
あっという間に完成した彩り鮮やかなマリネを皿に盛り分け、いくらをトッピングする。
彼の手は休むことなく、いつの間にか水に浸して戻していたらしいワカメのボウルに伸びた。ギュッと絞ってワカメの水気を切り、ちょうどよいサイズにざくざく切り分け、別のボウルに入れる。
朔海は、片手なべを上の戸棚から取り出すと、咲月の隣へと移動し、スパゲッティを茹でるのに使っているコンロの隣に鍋を置き、水を入れて火をつけた。
コンソメベースのスープにワカメを入れ、ゴマをふり、2品目のワカメスープをテーブルに運ぶ。
冷蔵庫からイチゴを取り出し、ヘタを除いて水で洗い、大粒のそれを縦に四つ切りにし、それもテーブルに運び。
……スパゲッティが茹であがるたった数分の間に、あっという間に食卓の支度が整っていく。料理が上手いと、聞いてはいたが……正直ここまでとは思っていなかった咲月はもう、感心するしかない。これを見せられては、もう他で料理が得意だなどとは到底言えそうになかった。
ピピピ、と、タイマーが成ったのに気付いた咲月がコンロの火を止め、鍋をあけてパスタの水気を切ると、引き続き隣のコンロを使い、砂抜きを終えたあさりをガーリックやトウガラシと炒め合わせていた朔海がそれをフライパンに加えてサッと火を通す。
出来あがったパスタにハーブをトッピングし、テーブルに並べる。
最後に、ホットレモネードをカップに注ぎ、食事の用意が完成する。テーブルの上に並ぶのは、色とりどりの料理たち。どれも食欲をそそるハーブやスパイスの香りが立ち、実においしそうである。
それに。……料理をしている間、朔海はずっと楽しそうな顔をしていた。柔らかな笑みを浮かべる朔海は、咲月の心に小さな波紋を描いていく。
「さてと。支度は上々だけど……ね」
腰に手をやりながら小さく息をつき、呟いた後、大きく息を吸い込み、
「おーい、葉月。夕飯、出来たぞ!」
家中に響くように大きな声で呼びかけた。
すると、背後でカラリと窓が開く音がした。振り返ると、
「おや、良い匂いがしますね。さすが朔海君。栄養計算表通り……どころかそれ以上に素晴らしい献立てですね」
葉月は窓の外で靴を脱ぎ、よいしょと靴下のままぺたぺたと食卓に寄って来た。
「ファティマ―の店に寄って来たんだよ。……それにしても、何してたんだよ。まぁ、大方の事情は聞いたけど、さ」
朔海は半眼で尋ねる。
「うう……酷い目にあったぜ……」
窓の敷居によじ登ろうとして失敗した青彦が、下半身を窓の外に残したまま上半身だけ床に投げ出しへばっているのを、涼しい顔をした紅姫が、
「完全なる自業自得でしょ」
と冷たく突き放す。
「……今度は何して2人を怒らせちゃった訳なの、青彦は?」
特に他意なく尋ねた朔海に、青彦は突然慌てだし、
「わーっ、坊ちゃん、今は聞いてくれるな、頼むから!」
大声を出す。
「あら、彼女から聞かなかったの?」
「わーっ、わーっ!」
だが紅姫は、容赦なく青彦の罪状を朔海に告げた。