魔女の店(2)
「………………………………」
難しい顔をしたまま押し黙る魔女に、朔海はもう一度小さく息を吐き出し、彼女の掌をとった。
そのまま、そっと指の腹でその血を拭うと、彼女の血で赤く染まった己の指を自らの口に含み、舌を這わせる。
「……似て……る……けど。でも、違う」
ソムリエが、ワインのテイスティングをするように、舌の上で血の味を真剣に吟味しながら、朔海は呟いた。
「すごく、似た味がする。純粋な人間の血の味……でも、能力の味もする。その、能力の味が……似ているんだ。いや、ベースはもしかしたら同じかもしれない。でも、違うんだ。何か違う味が混じっていた」
朔海の答えを聞いた魔女は、不意に力が抜けたようにカウンターの椅子に座りこんだ。
「……そうか」
「やっぱり、何か心当たりが?」
朔海はもう一度尋ねてみた。
「心当たり、って程でもないがね。……かなり、昔の話になるが。うちの一族の娘が他所へ攫われちまった事があっったんだ」
彼女は目を伏せ、ポツリとこぼした。
「……それ。あんたが着けてるブレスレットのムーンストーンだけど」
言われて、朔海も目を落とした。
「白露どの――ああ、今は葉月って言ったっけか? 驚いていただろう、上質の石がそこいらの店で安価で売られていたと聞いて」
「……ああ、まあ」
「そうだよ。元はそんな上等な物じゃなかったはずだ。それこそちょっと綺麗なだけの、ガラクタ同然のくず石だったんだろうさ」
「くず石? 馬鹿な……だって、石だぞ?」
彼女の言いようでは、まるで石の様子が変化した様ではないか。
「我らの一族の能力がどんなものか。……知っているだろう?」
「自然に宿る精霊や神々や妖を視る目を持ち、彼らと会話を交わし……時に彼らの力を借り、時に彼らを操り使役し、その力を行使する……」
彼女の店で扱うハーブやスパイスの効能が、他所の店より高い理由はそこにある。
「その石。……精霊の種が宿っている」
古い道具や長く生きた生物に魂が宿り、精霊や妖となったものを九十九神という。例えば、魔法のランプに宿る魔神や、狐狸妖怪の類がそれに当たる。
その名の通り、本来なら100に1つ足りない位の年月、大事に扱い続けた物にしか精霊など宿らない。
「でも、彼女はほんの数ヶ月前に買ったものだと……」
「そうだよ。その数カ月傍に置いただけで、ただのくず石に精霊を寄り憑かせられるだけの力をあの娘は持っているんだよ。本人は無自覚だけどね。きちんと基礎を学んで正しい力の使い方を覚えたら……私の力なんか子どものままごと遊びにしか見えなくなるだろうね」
通り中、すべて魔女の店が立ち並ぶ、その名も魔女通りで一番の腕利きと評判の魔女が、苦笑交じりに呟いた。
「攫われた娘は、うちの一族でも百年に一度現れるかどうかっていう寵児でね」
「その彼女が、あの子の母親だと?」
「いや、それだとあまりに年齢が合わなさすぎる。言ったろう、かなり昔の話だと。うちの婆さんが、親から聞かされた話だって言って聞かせてくれた話なんだ。……だが、彼女の血を引く娘である事は間違いなかろう」
無理やり攫われた先で産まされたのだろう子どもの、その子孫。
「“違う”味の能力を持つ一族が……」
「あのお嬢ちゃんの片親であり、かつての誘拐犯の一味って事なんだろうね」
「当時の、犯人は――」
「……捕まらなかった」
「手がかりも?」
「あったら、我ら一族がとっくにとっ捕まえているよ」
「……そうか」
だが、あの状況下に捨て置かれていた事実と考え合わせれば、彼女にとって救いとなるような類の話では無いのは明らかだ。
血で汚れた針を捨て、新しい縫い針でちくちくと布地を縫い合わせながら、
「今度、うちに連れておいでよ。全部、終わったらさ。久々に、新しく弟子をとるのも悪くない」
暗く落ち込んだ朔海に魔女は言った。
「あの娘は間違いなく、あんたの力になるはずだ」
「僕の、力……に……?」
単に、魔力を増幅させる為の糧だという意味では無い言い様に顔を上げた朔海に、魔女は意味ありげに微笑んだ。
「ほら、できたよ。持ってお行き」
商品をまとめて手渡し、
「百聞は一見に如かず、ってね。意味は自分で確かめな」
朔海の背を押して店から押し出す。
「すぐ戻るって出て来たんだろ? ほら急いだ急いだ」
「……また来る」
「そうさね。次は媚薬でも用意しておこうか?」
「……っ! い、要る訳無いだろ、そんな物!!」
「ああ、その前に惚れ薬のが先か?」
「だからっ、そんな物要らないって!!」
顔を真っ赤にしてムキになる朔海を、魔女は楽しげに笑いながら、
「分かっているよ。……頑張りな。うまくいったら、通りで一番の腕利き魔女ファティマー様が腕によりをかけて一等上等な指輪を拵えてやるよ」
バシバシと背中を容赦なく叩いた。
背中の痛みと、決まりの悪さに顔をしかめながら、朔海は翼を広げる。
「その腕輪、大事にしなよ」
「……言われなくったってそうするさ。当たり前だろ、彼女から貰った大事な物なんだから」
ゴウ、と、朔海の周囲をつむじ風が覆い、次の瞬間には彼の姿が通りから消え失せる。
「まあ、……だろうけどね。あんたなら」
誰もいなくなった通りに向けて、魔女が小さく呟いた。
「あんたのその想いこそが、これからのあんた達を守る力になるんだ。粗末に扱うんじゃないよ」