コテージにて
いったい、いつの間に眠りこんでいたのだろう。
揺り起こされた咲月は車内灯のオレンジがかった光がぼんやりと暗い車内を照らしているのを見て驚いた。
カーステレオの液晶に表示された時計のP.M.7:30の文字にもう一度驚きながらも、促されるまま車を降りる。――夜風が、すこし肌寒い。
さわさわと、木々の葉が風に擦れる音が四方から聞こえ、ちょっと視線を上向けてみれば闇に星が点々と散っている。
宿、というよりコテージと言う方がしっくりくる、こじんまりとした家。
車は、たった一台分の駐車スペースに停められ、葉月はトランクから荷物を下ろしている真っ最中で、旅行用の大きなバックを車の脇に並べていく。
咲月を起こし、車を降りるのに手を貸した朔海は、その手に番号の書かれたプレートのついたキーホルダーをつけた鍵を握らせた。
見れば、プレートに書かれたのと同じ番号が、郵便受けと玄関に下げられたプレートにも刻まれている。
「荷物は僕たちが運ぶから。鍵、開けてもらっていい?」
咲月は頷き、パタパタと玄関に駆け寄り鍵を開け、扉を全開の状態で固定しながら、周囲の様子を窺ってみた。
建売の新興住宅街の様に、似通ったデザインの建物が整然と並ぶ。家の前に立つ郵便受けには同じように番号がふられている。
見る限り、ざっと10軒程あるようだが、灯りが漏れているのは3軒程だ。
両手に二つも三つも大きなバッグを持って玄関をくぐる葉月と朔海。葉月は、すぐに靴を脱いであがり、一度置いた荷物を部屋へ運ぼうと再び持ちあげたが、朔海は荷物を置くとすぐに踵を返し、外に出た。
「じゃあ、ちょっと行って来るよ。まあ、必要なものを取ってくるだけだから。夕飯はいつもより少し遅くなるけど、すぐ戻って来るよ。葉月、キッチン周りは触らないでね?」
咲月に声をかけ、最後に少し振り返って葉月に声をかけると、普通にアプローチを道路の方へと歩いていく。
その背を何とはなしに見送るように視線を送っていた咲月の目の前で、不意にパサリと彼の背に現れた蝙蝠の様な一対の翼。
びっくりして思わず目を丸くした直後、その羽を羽ばたかせふわりと宙へ浮き、そのままどんどん高度を上げていく。
「と……飛べるんだ……」
黒っぽい服に身を包む朔海の姿は、暗い夜空の闇に紛れてすぐに見えなくなったが、彼の背を追っていた視線は釘づけのままポツリと小さな呟きが漏れる。
「まあ、そうだな。取りあえず坊ちゃんの一族はだいたい飛べたと思うが」
不意に、足元から声がして、咲月は飛び上がった。
「吸血鬼なら誰でも飛べるって訳でもないんだよな、あれ。一応“龍”の血を持ってないと出来ない芸当だ。ま、たまーにそれ以外でも空を飛べる種族の血を得て飛べる奴もいたりするけどさ」
「い、居たんですか!?」
確かに車の中には居なかったはずの青彦が、いつの間にやら咲月の足元で尻尾を楽しそうにくねらせながらこちらを見上げている。
「おう。狭い車の中じゃ邪魔になるだろうと思って表に出ずにいたけど……」
意味ありげにニヤリと笑いながらもったいぶるように言葉を切り、悪戯っぽい目で葉月をちらりと一瞬見やってから、
「俺達、永遠に離れられない運命なんだよ」
ぴょいっ、と咲月の肩に飛び乗った彼は、耳元で囁いた。
普段、猫の姿で軽薄を装う彼だが、こうして耳元で声だけ聞くと実は美声なのだと気づかされる、低く艶っぽい声にのせて、間近から吹き込まれた台詞に咲月は固まった。
「……な~んてな♪」
くすくすと笑いながら逃げるように肩から飛び降り、全力でアプローチを駆けていく黒猫を、咲月は茫然と見送る。
その、視界の右端をきらりと光る金属質な銀色の何かが一瞬うつり込んだ気がした――直後、がすっと鈍い音がして、青彦の首元ギリギリを掠めるようにアプローチの石畳にメスが食い込んだ。
「………………………………!!」
その場に凍りついたようにピタリと動きを止めた青彦が、そろそろと首だけ回してこちらを振り返る。
つられるように咲月も彼と同じように自分の背後を――葉月の顔を見上げた。彼は、隙のない完璧な――むしろ完璧すぎる程の――満面の笑顔をこちらに向けていた。
「咲月君、先程私が申し上げた事、一部訂正させて下さい。尋ねたいことがあれば、私なり朔海様なり紅姫に何でも聞いて下さって構いません。ですが……正しい情報をきちんと伝える気が無いどころか、混乱を招くだけのいらない情報を吹き込むような輩の言葉に耳を貸してはいけませんよ」
「おいおい、俺は何もガセネタ吹き込んだ訳じゃな――って、うぎゃっ!」
言い訳をするように反論しかけた青彦の台詞に重なって、再びがすっという音が咲月の耳に入った直後、青彦が悲鳴を上げた。
「……咲月君、すみませんが部屋の窓を一通り開けて来て頂けますか? 軽く風を通して空気を入れ替えましょう」
完璧な笑顔を保ったまま、葉月は咲月に言った。
にこにこと微笑んでいるはずなのに、妙な迫力がある。咲月は無言のまま頷き、靴を脱いで、備え付けられたスリッパに履き替えそそくさと一番近くのドアを押し開けた。
ドアを開けると、そこはダイニングキッチンだった。
医院を併設している葉月の自宅の広々としたそれに比べれば幾分か狭いけれど、南側の壁一面、大きな窓がはめ込まれ、実際より広々とした印象を受ける。
咲月は、窓の鍵を開け、網戸がきちんと閉まっているのを確認して窓を半分程開ける。そして今入って来たドアの隣の引き戸から次の部屋へと足を踏み入れる。
6畳の和室。目の前の、窓のある壁以外の残りの壁面三面全てに、襖仕様の引き戸があり、そのうち右側の壁の襖の上は欄間になっている。
欄間のある襖を開けるともう一部屋、6畳の和室があり、押し入れの中には四組の布団が収まっていた。
窓を開け、引き戸も全て開ける。
最後――廊下に面した引き戸を開けると、ちょうど真正面に玄関が見えた。
玄関先の荷物は変わらずそこにあるのに、葉月の姿も青彦の姿もない。どこへ行ったのだろうと一人首を傾げつつも、先程くぐったダイニングの扉の向かいの扉を開けた。
洗面台が設置された洗面所兼脱衣所。窓の脇のハンドルを回して縦に何枚も並ぶすりガラスを四十五度程開け、続いて浴室の扉を開けるとふわりとヒノキの香りが薫る。
埋め込み式の広々とした湯船。そのすぐ前面一面の窓を開け放てば露天風呂仕様にもなるらしい豪勢な造り。
さすが、温泉が売りなだけはある――という事なのだろうか。
足を思い切り伸ばして入っても、まだ余裕がありそうな湯船に張られたお湯からもうもうと上がる湯気。
ほんの少しだけ開けた窓から湯気を外へ逃がし、浴室の湿気が部屋の方へ回らないよう、浴室の扉をしっかり閉めて、咲月はもう一度玄関に戻った。
だが、やはり葉月と青彦の姿が無い。代わりにちょこんとその場に座っていたのは青彦同様、車の中には居なかったはずの紅姫で。
「あの……、葉月さんと青彦……さん……は……」
「……ごめんなさいね、今ちょっと取り込み中だから。朔海様がお戻りになるまで先にお風呂に入ってゆっくりするといいわ。長旅で疲れたでしょう?」
わりとよくある事で、いつもの事だから心配はいらないと、紅姫は言った。
「貴女の寝室はあの奥の和室だそうよ。重たい荷物は後で葉月が運ぶから。取りあえず自分の荷物だけ部屋に運んでおけばいいわ」
咲月は玄関先に並べられた大荷物の中からスポーツ用品メーカーのロゴが大きくプリントされたバックの肩ひもを手に取り、そのまま担ぎあげた。
たった一週間分の荷物が、あの日咲月が葉月の自宅に持ち込んだ荷物より確実に重い。
肩にかかる負荷に、ほんの僅かふらりとよろめき、すぐ側の壁に手をついた。
壁についた手で身体を支えながら、もう一度しっかりと荷物を肩に抱えなおして、ほんの数歩の距離分、目の前の和室を突っ切る。
開け放った窓から窓へと、流れていく風に前髪を軽く弄ばれながら、かばんのファスナーを開け放ち、昨夜、急いで詰めた着替えの中から、一組抜き出し、タオルや洗面用具を小脇に抱えてもう一度目の前の和室を突っ切る。
風呂場の戸口の前で待っていた紅姫は、柔らかな微笑みをこちらへ向ける。
「一緒に入ってもいいかしら? ……聞きたい事、あるんでしょう?」