描き出される設計図
道を転々と照らす街灯の明かりは、この闇の中ではあまりに頼りなかった。
唯一、眩いばかりの強い光を放っているのはこの車のヘッドライトだけ――。強すぎる光は、周囲の闇をより濃く見せる。
その、ライトの光が届くか届かないかのギリギリの位置にある、影。ただの人間に過ぎない咲月には、辛うじてその影が人の形をしている事を認識するのが精一杯だった。
しかし、咲月の右肩から黒猫は、
「――不幸中の幸い……って言うべきか? ありゃ奴の取り巻き連中の一人だろ」
小さな牙を見せながら、ニヤリと笑って見せた。
「さすが、策士だな……。力押ししか知らねぇ奴ばっかの連中とは違う」
葉月は、メガネに手をやりながら、ゆっくり息を吸い込む。
「……ええ、――認めたくはありませんが……そうですね」
吸い込んだ空気をそっと吐き出しながら呟き、メガネを外し、それをたたんでハンドル横に置いた。
風に混じる匂いは、先程嗅いだものと変わらない。――あの場に張られた結界はまだ破られていない。 ……結界の内に留められた者達はまだ皆、あの場に居るのだ。
つまり、この男は初めから結界の有効範囲の外に居たという事だ。
そう、まさに今の様なもしもの事態に陥った時の為の保険として、本隊とは別に補欠要員を配置していたのだろう。
……が、所詮はベンチウォーマーだ。しかも、この任務がどれだけ軽視されていたのかがありありと知れる様な人選だ。コレの相手ならば、自分でも十分勤まる。
しかし――。
葉月はそっと、すぐ左隣りの助手席に座る少女に視線を向けた――
今はまだ、自分たちの正体を彼女に知られる訳にはいかない――……はずだったのに。
彼女の前で、2匹の猫が当たり前のように人語を喋った事実と、目の前の敵の存在をどう言い訳すべきか……。
――と、そう思いながら。
「……紅姫、あれって――」
だが、彼女はシートベルトを両手でギュッと握りしめながら白猫の名を呼び、ごく自然に問いかけた。
「ええ、……あれは同族よ。例の……」
そして、白猫の方も当たり前に問いの答えを返した。
その答えを聞き、握りしめていたシートベルトを一層強く握りしめた咲月は、前方に釘づけになっていた視線をまっすぐこちらに向けて来た。
恐れの浮かぶ瞳。……しかし、その視線に見えるのは、葉月に対する確かな信頼だった。
――それが、葉月が何者であるのかを理解した上でのものである事は、紅姫の言葉で十分に察する事が出来た。
「大丈夫。あなたは、私達が絶対に守り抜くから」
……紅姫は、決然と言い切った。
「――紅姫」
葉月は、複雑な想いを声音ににじませながら彼女の名を呼んだ。
「言ったはずよ。こんな風にバレる前に、きちんと説明しておくべきだって」
紅姫は、そんな彼にしれっと返す。
「実際、良かったでしょ?」
言われて、葉月はグッと言葉に詰まった。
「私達の正体も、あの人たちの事も、今ある問題も、全て説明済みよ」
その言葉を聞いた青彦は、「へぇ、」と目をぱちくりさせて、そしてニッと笑い、身軽な身のこなしで咲月の膝上に飛び降りた。
「ふーん、いい瞳してるじゃん。ホントに、逃げ出しも、現実逃避もせず……俺達を退治しようとも思わず……、ってか」
彼は咲月の顔を見上げながら、楽しそうな顔で言い、
「葉月、ここは紅姫に感謝しとけよ。おかげであの時の失敗を繰り返さずに済んだんだからな。ああ、勿論……実に頼もしい限りの、彼女にも……な」
きつく握られた咲月の手に、額をすりよせた。
「ホントにね。……この娘、間違いなく逸材よ。少なくとも葉月と出会ったばかりの頃の私よりずっとしっかりしてるもの」
青彦の台詞に紅姫は頷きながら言った。
「……成程。机上の空論に過ぎなかったものが……どうやらまず一歩、実現可能な設計図を描けるまでになった――と」
葉月は、苦笑を浮かべながら小さくため息をつく。
「――咲月君。……大変申し訳ないのですが」
葉月の言葉を聞いて一瞬目を泳がせた咲月に、彼は常の態度を取り戻した落ち着いた声音で告げた。
「少々、やっかいな客人がいらしたようで。ちょっと行って来ます」
エンジンを切り、ドアを開ける。
「車から絶対に出ないでくださいね?」
言いながら車を降りる葉月の肩に、青彦が飛び乗り、紅姫もそれに続くように車を飛び降りた。
路面に綺麗に着地した紅姫が、こちらを振り返る。
「すぐに戻るから」
葉月が小さく頷き、ドアを閉め、全てのドアを施錠する。
「――さて」
そして、暗闇に身を潜めこちらを窺う人影を見据え、葉月はそちらへ一歩踏み出した。紅姫もその足元を追い、青彦は彼の肩の上で敵影を捉える。
「……あいつ、そうとう飢えてるぜ。今回のターゲットであるお前を警戒しながらも、あの娘の血の香りの誘惑に抗えずにいる。さっきからずっと、ちらちら彼女の方ばかり見てる」
「人を餌としか見られないとは……実に哀れなものですね。全く……虫唾が走ります」
憤りもあらわに低く押し殺した声で葉月は言った。
「ただ、本能の赴くままに動く堕ちた獣ごときに奪えるものなど何一つないのだと、教えて差し上げましょう」
メガネを外した葉月の裸眼の瞳が、赤々と燃えあがる。
身の内で暴れる闇の衝動に身を預け――彼は、路面を蹴り――身を躍らせた。