詐欺みたいな話
ミルクの香りのする乳白色のお湯に、冷えた身体を沈め、咲月はバスタブの淵に行儀良く座る白い猫――紅姫と――曇る事のない鏡の中の世界とを見比べ――彼女らが、現代社会では寓話とされる類の生き物が実在する事実を目の当たりにし、十分過ぎる程にそれを思い知らされた。
「葉月さん達が吸血鬼ってのは分かったけど……、でもじゃあ貴方達は……何なの?」
バスタブに浸かる自分以外、何も映らないその鏡像を、感慨深く眺めながら、咲月は尋ねた。
「私達は葉月の使い魔よ」
「――使い魔?」
そのテの小説や漫画ではよく目にする用語だ。……が、それぞれ作品ごとに設定がまちまちで、漠然としたイメージはあるものの、いまいちピンとこない。
「そうね……。確かに使い魔と言っても、色々いるから……」
どう説明したものか、しばらく思案するように尻尾を揺らし、
「大雑把に分けると3種類あって……」
考え考え話し出す。
「一つは――魔獣や魔物、精霊なんかを屈服させ、自分の従僕として従えたもの。これは……勿論、主人となる者の技量次第ではあるけど、それに見合う力がありさえすれば、正直、本人以外の全てがそれとなり得るから……姿形はもちろん、能力も皆千差万別。数え上げたらキリが無いわね」
咲月は、語られるその内容に興味津々に耳を傾ける。
「もう一つは――自分の力を具現化したもの。……この場合、更に幾つかの種類に分かれていて……。自分の肉体の一部を切り離し、自分の分身として生み出したものと、自分の持つ魔力を形として具現化させた、いわゆる人形とあるの。……まあ、人形って言っても、人の形をしているとは限らないのだけど……」
聞かされる内容は実に非現実的なもの。
「最後の一つが――魔術なんかを行使して生み出す、仮初のもの」
けれど咲月は、もともとこう言った話は嫌いではない――どころかむしろ好きな方だった。そう、それこそ本屋で立ち読みする位には。
「でも……私達はそのどれもに当てはまるようで、厳密には違う――。あちらの世界でもかなり特殊な存在なの」
使い魔というものについての説明を一通り終えた上で、しかし紅姫は言った。
「私達は……もう四百年以上昔の話になるけど……元は普通の人間として生まれた……その頃の私の名は、双葉。青彦は、元は私の幼馴染みで――その頃彼が名乗っていた名前は……葉月。今はもう、お互い人に譲って捨てた名前だけど……」
彼女の言葉の中の、その突っ込みどころの多さに、咲月はどこをどう突っ込んで聞けば良いのか迷いながら、
「それって……」
目の前の白い猫をジッと観察する。
「……彼の本当の名は、白露。――本人はその名で呼ばれる事を嫌うけど」
「――よ、四百年……?」
そして、口からこぼれたのは一番突っ込みたかった部分。
「彼、ああ見えてもう七百歳近かったはずよ?」
事も無げに返された答えに、咲月は恐る恐る尋ねてみる。
「……………………え、…………じゃあ…………もしかして…………あの、彼も?」
「朔海様? そうね、三百歳の誕生日を祝ったのは……何年前だったかしらね……」
――あ、朔海君ていうのはボクの友人でね。年は……まあ、一応君と同じ……みたいなもん……なんだけどね……――
蘇る、あの日の葉月の言葉。
「……な、何……一体……どこが……同じ……みたいな……歳……!?」
最近、巷では歳の差カップルとやらが持て囃されているが……一回り、二回りどころか……何倍、いや――
「に、20倍近く年上なんじゃない!」
まさに、ギネス確実――というか人間同士ではとうていありえない歳の差だ。さすが、吸血鬼……とでも言うべきか……が、しかし。
「気持ちは分からないでもないけどね……。うーん、そうね、吸血鬼は寿命が長いから……。人間の身体は1年で1歳分の成長なり老化なりしていく訳だけど……、人間の一歳分成長・老化するのに彼らは20年の年月がかかるの。彼らの年齢感覚では……朔海様は人間で言う15、6歳に当たるし、葉月は30代半ば頃、って事になるかしら……」
予想以上にショックを受けたらしい咲月が、頭のてっぺんまで湯の中に沈んで行くのを見た紅姫は、
「私も、初めて彼の実年齢を聞かされたときは結構取り乱したもの……」
苦笑いを浮かべつつフォローする。
「だって、そうよね……。私と大して違わない歳だと思って付き合ってた人が、実は村で一番長生きのおサヨ婆よりずっとずっと年上だったなんて……詐欺じゃないの!? って散々拗ねて怒って膨れたわ」
クスクスと笑う紅姫。そんな彼女に、咲月は、
「……え、付き合ってた? ……葉月さんと?」
不思議そうな目を向けた。
「ええ、そうよ。……訳あって、こんな姿になってしまったけれど、それまでは普通に恋人同士のお付き合いをしていたのよ? ……この姿になってからは、さすがに普通のお付き合いは出来なくなってしまったけれど、心の上では今でも……私と葉月は恋人同士」
そんな咲月に、紅姫は胸を張って言った。猫の姿をしているのに……そう語る彼女の瞳は、まるで恋する乙女の様……いや、確かに彼女は一人の男性を一途に想う一人の大人の女性なのだろう。
しかし、幸せそうに語る彼女のその瞳には何故かうっすらと影が差す。
少し、寂しげな笑みを浮かべ、彼女はその訳を口にした。
「……あの日から……ずっと……今でも……後悔し続けている事があるの。私や青彦が、こんな姿をしているのも、……葉月が、貴方に事情を話したがらない訳も、全部そこに起因している事……」
「――後悔……していること?」
紅姫は、ゆっくり頷きながらお湯にふやけてしわだらけになった咲月の指先に目を留め、
「――昔……昔の話よ。話せば長いことながら……って言うけど……本当に、数百年単位の昔の話。本当に長い話になるから……」
とにかく、湯からあがって着替えるようにと促した。
「……もし貴方がこのままお風呂でのぼせても私じゃどうにもできないし。……助けくらいは呼んであげてもいいけどね……。でも……」
今この家で、彼女が助けを求めに行くとしたらその相手は果たして誰なのか――。
話の続きは物凄く気になったが――どちらにしろ……それはもっと困る。
――咲月は彼女の忠告に素直に従うしかなかった。