月の腕輪
「へぇ、ウェブデザイン講座……、かぁ」
郵送で届いたスクールの資料を手に、興味津々にカラフルなパンフレットに見入るのは、命の危機だと紅姫が言っていたはずの人物で。
「ウェブ……とは……」
パンフレットに印刷された文字を、細部まで注意深く読みながら、よく分かっていない様子で眉間にしわを寄せる葉月に、
「厳密には違うけど……大雑把に言っちゃえばインターネットの事だよ」
と、朔海は少し得意げに言う。
「……はぁ、いんたーねっと……、ですか……」
しかし、それでもまだ訝しげな様子の葉月に、朔海は苦笑いを向ける。
「……あー、そこから説明しないとダメ?」
「いえ、……とりあえず、コンピュータ関係の用語でしたよね……」
ゴホン、とわざとらしい咳払いで誤魔化しながら答えるが、葉月の視線は微妙に宙を泳いでいる。
――と。
「お待たせしました、サラダでございます」
小ぶりな白い皿に盛られたグリーンサラダを一つ、盆に乗せたウェイターがテーブルの前で立ち止まり、手前に座る葉月に声をかけた。
葉月は、助かったとばかりに表情を緩め、
「ああ、はい――私です」
と手を挙げた。
「……案外早かったな」
最初の1品目が運ばれて来たのを見て、朔海はテーブルに広げていたパンフレットの山をまとめ始めた。
「まあ、平日ですからそう混んでもいませんしね」
早速、フォークを手に取り、
「では、お先にいただきます」
と、和風ドレッシングのかかったレタスを口へ運ぶ。シャリシャリと良い音を奏でつつ咀嚼する彼の隣で、
「でも確かに、こういうのをやりたいなら、通信講座のが良いかもね。この辺、田舎だから……」
パンフレットを片づけながら朔海が言った。
「僕もそんなに詳しい訳じゃないけどさ、ソフトもついてあの値段でしょ? 確かああいうソフトって、普通に買うと滅茶苦茶高かった覚えがあるんだよね。……ああ、始めるならパソコンも新調しなきゃだよね?」
少し、遠慮がちに頷く咲月に、
「善は急げって言うし……、この後お店へ行ってみる?」
朔海は尋ねる。
「あ……、でも……」
咲月は、そろそろと窓の方へと視線をやった。
壁面の大半を占める窓ガラスのその向こうには、雲一つない快晴の青空が広がっている。
今はまだ夏ではないが、それでも昼過ぎの日差しは目に眩しく、窓の一部には日除けのブラインドが下ろされている。
普通の人間からすれば、今日は天気も良く、暖かくて過ごしやすい一日なのだが……。
「ああ、そうか。ネットも引かなきゃだよね」
うきうきしながら言う彼も、ついていけない話題に渋い顔をしながらサラダを食べ進める葉月も、太陽を苦手とする吸血鬼……の、はずだ。
「お待たせしました、スープセットのコーンポタージュスープでございます」
「あ、僕です」
湯気の立つスープをスプーンに掬い、息を吹きかけ冷ます朔海の隣で、ドリンクにさしたストローを咥えていた葉月のコップから、ズルル、と間抜けな音がした。
さっきまでアイスコーヒーが入っていたコップは、氷だけを残し空になっている。
「すみません、ちょっと……ああ、咲月さん、ついでに新しい飲み物を淹れてきましょうか?」
だいぶ前から空になっていた咲月のコップに気付いていた葉月が気を利かせる。
「あ……、はい、お願いします」
「あ、葉月、僕のもついでに入れて来てくれない? オレンジジュース」
「咲月くんは何にします?」
「じゃあ、カルピスで……」
3人分のコップを両手に、葉月はドリンクバーコーナーへ向かう。
「うん、善は急げっていうし……。葉月も仕事の日はあまり外へは出たがらないから……。まあ、安い買い物じゃないからね、取りあえず下見だけでもして行かない?」
彼の目に、外の陽気が映っていない筈はない。
「お待たせしました、まぐろの漬け丼と小うどんのセットのお客様――」
――と、メインの料理を乗せた盆を持ったウェイターが三度テーブルの前へ立った。
「あ、ここに……、今、ドリンク取りに行ってるんで……」
丼とうどんの小鉢、茶碗蒸しとみそ汁ののった膳を片手で持ち上げ、ウェイターが空の席へ置く。
「……ふわふわ卵のオムライス、デミグラスソースがけのお客様」
「はい、僕です」
手を挙げる朔海の前に、お洒落なお皿に盛られたオムライスを置き、
「……こちら、鮭ときのこのクリームスパゲッティでございます」
最後に残った皿を、咲月の前に置く。
「……以上でご注文の品は全てお揃いでしょうか?」
「はい」
ウェイターは、空になったスープとサラダの皿を盆に乗せ、伝票を挟んだバインダーをテーブルの端に置き、
「ごゆっくりどうぞ」
と言い置いてその場を立ち去る。
ウェイターとちょうど入れ替わるように葉月が飲み物を持って戻ってきた。
「おや、料理が来たんですね?」
朔海の前にオレンジジュース、咲月の前にカルピス、自分の席にコーヒーを置き、席に着きながら、テーブルに並んだ料理を見回して言う。
「……それにしても……相変わらず、好きですねぇ、そういうの」
さっそくスプーン一杯にとろとろの卵を掬って頬張る朔海に苦笑を向けながら、葉月は言った。
「この間、買い物へ行ったときに頼んでいたのは……あれは何でしたっけ?」
「やだなあ、先週の事なのにもう忘れたの? ボケるにはまだ早いんじゃない?」
朔海は口をとがらせながらも、
「ミートソーススパゲッティのケーキセットだよ」
と答える。
「まあ、可愛らしいですけどね……」
クスクスと、肩を震わせながら笑いを堪える葉月に、朔海は、
「可愛いとか言うな!」
拗ねたように言う。
「……あの、お食事中に何なんですけど。……これ、迷惑じゃなかったら……」
そんな二人のやり取りに思わず口の端が緩むのを堪え、微妙に引きつらせながら、咲月はそっと包装紙に包まれた小さな包みを二つ、差し出した。
「え……、何コレ? くれるの?」
「何でしょう?」
食事の手を休め、渡された包みを丁寧に開くと――
「これは……ブレスレットですか……」
「そういえばこないだ手芸コーナーで何か買ってたよね? ……もしかして手作りだったりする?」
遠慮がちに頷く咲月に、
「凄い、売ってるモノみたいだ……」
「!、それに……このトップの天然石は……ムーンストーンですね? しかもこれは……かなり上質なものです。こんな高価そうなものをどこで?」
葉月は感心して尋ねたが、その問いに逆に咲月が驚いた。
「え? そんなはずは……だって……それ、前にお世話になってた家の近くにあった古い小さな雑貨屋で、一つ200円位で売ってたものなんですけど……」
「え、200円? そんな馬鹿な!」
「それが本当なら、かなりお得な買い物でしたね。しかし……良いのですか? 貰ってしまっても……」
たとえ小さくても、これだけ質の良い石ならば、それなりの値がつく。
だが、その問いには迷うことなく咲月は頷いた。
「私……、昔からこういうのだけは得意で……」
向けられる二対の視線に、若干決まり悪そうに視線を泳がせながら、
「その……、もっと練習して上手く出来るようになったら……ショップを……ネットショップを開きたいんです……」
一週間、考え抜いた上で出した答えを口にする。
「そっか、だからウェブデザインの勉強を……」
「……では、有り難くいただきますね」
納得したように頷く朔海の隣で、葉月は早速左手首にそれをはめる。
「古代インドでは月が宿る聖なる石として崇められたと言われるムーンストーン……。夜を照らす月の光が宿り、持ち主の悪夢を追い払うとも言いますね」
葉月がさらりと博識な一面を見せる。
「……悪夢、を――」
朔海は僅かに顔を俯け、複雑な表情でグッと石を握りしめて、ぽつりと小さくこぼした。
しかし、すぐに満面の笑みを浮かべて前を向き、
「うん、ありがとう」
その白く華奢な手首にブレスレットをはめた。
「大事にするよ――」




