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Need of Your Heart's Blood 1  作者: 彩世 幻夜
第二章 Truth
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机上の空論

 「……あの」

 たまらず、夕飯の席で咲月がそう切り出したのは、この家に来てからというもの連日顔を出していた朔海がぱったりと顔を見せなくなって一週間程が過ぎた頃の事だった。

 「ああ、朔海君ですか。彼なら、急な用事で少々遠方へ出かけると言っていましたね。すぐ帰ってくると思っていたんですが……少々用事とやらが長引いているんでしょうかね?」

 葉月は内心苦いものを噛みしめながらも、それを見事なまでに内に押し込め、何食わぬ顔でさらりと彼女の問いをかわした。

 ――まさか、彼女より早く逝くハメになろうとは……さすがにちり程も思ってなかったよ……――

 そんな便りを彼から受け取ったのは5日程前の事だ。

 そういう事か――……と、あの書状の理由に納得したのと同時に、やり切れない思いが込み上げた。

 「そうなんですか……」

ホッとしながらも、がっかりした様な複雑な表情で咲月は視線を泳がせた。

 「気になりますか?」

 軽い調子で尋ねられた咲月は、一瞬垣間見せた「え?」という表情を慌てて取り繕いながら、

「……少し、食卓が寂しい気がして」

そう言って葉月の隣の空っぽの席に視線を向ける。

 「せっかく、トランプやUNOを買ってもらったのに……」

 「確かに、二人きりでは面白くありませんからね、ああいったモノは……」

 あの日に買った家具類も翌々日には届き、それら全ては葉月によって咲月の部屋へと運び入れられた。

 ――が、購入の際、咲月よりも熱心に商品を見て回っていた朔海は、まだ一度もそれを揃えた部屋を目にしていないのだ。

 新しく買った土鍋も、まだ一度も使っていない。

 「咲月君、碁か――将棋はできますか?」

 「……え?」

 泳ぐ視線の彷徨う先が俯きがちになった咲月に、葉月は穏やかな笑みを向けた。

 「あれなら、二人でできるでしょう?」

 「……そうですね、将棋ならできます……弱いんですけど。碁は……五目並べなら……」

 突然の問いの理由を察した咲月は、ほんの僅か頬を染める。

 「では、明日までには見つけて出しておきますね、将棋盤と碁盤を」

 葉月は、爽やかに笑って言った。

 「久々なんですよ。朔海君と良くやるのはチェスで……。でも、私個人としてはチェスより将棋の方が性に合っている気がするんですよ。囲碁の方は……ルールは存じていますが、てんでダメなんですがね、五目並べは得意ですよ」

 「私も……一番最初のお義父とうさんに教わって以来なので……お手やわらかにお願いします……」

 ペコリと軽く頭を下げる咲月。

 「では……、すみません。本日もまた騒がしくなると思いますが」

 ごちそうさまでした、と葉月が席を立つ。

 「大丈夫です、もう慣れましたから」

 「なら、良いんですが……。何かあれば、遠慮せずに言ってくださいね? ――ああ、それと……、くどい様で申し訳ないんですが……」

 「はい、診療所の方へは立ち入らないようにって事ですよね? 分かってます」

 毎日必ず、夕食の席を立つ際に繰り返し念を押されている咲月はコクリと頷いた。

 咲月といる間、笑顔を保ち続けていた葉月だったが、食堂の敷居をまたぎ、咲月の視界から外れた途端にその表情から笑みが跡形もなく掻き消えた。

 「――葉月、今日も来てるぜ、お客さんが」

 廊下で待っていた青彦が診療所の玄関扉の方を顎で指し示して言う。

 「青彦……診療所からはなるべく出ないよう言ったじゃないですか……」

 「大丈夫だろ、坊ちゃんがこないだ俺達があんたの内緒のペットだって誤魔化してたからな」

 「……は? 内緒……とは?」

 「それは、後に置いとけ。……とにかく、片づけるぞ」

 足早に、診療所へと向かう。

 「はぁ、ホント熱心ですねぇ。……騒がしくなる事は覚悟していましたが……まさかこうも毎日、ああいうやからを送り込んで来る程マメな性格をしていたなんて……初めて知りましたよ……」

 「……こりゃ、坊ちゃんの方もかなり追いつめられてるんじゃねぇか?」

 「…………………………」

 沈黙した葉月に青彦は、

「なぁ、一つだけ、何もかも上手くいく方法があるよな?」

試すように言った。

 「…………………………」

  尚も沈黙を続ける葉月に、やっぱりな、という表情で青彦はため息をついた。

 「こないだ言ってたあんたの考えって、やっぱそれだろ?」

 「……数ある懸念けねんの全てに、奇跡としか言いようのない偶然が重ならねば実現しない、机上の空論です」

 「でも……見てみたくはないか? ――俺達が逃しちまった、極上のハッピーエンドってやつをさ」

 悪戯っぽく笑う彼に、診療所への扉を開けながら、今度は葉月がため息をついた。

 「……見られるものなら、ね。」

 「それは坊ちゃん次第だろうな。……あれが、どこまで腹を括れるか。――猶予は1年、だろ?」

 「――王子を……朔海様を、死なせる訳にはいきません。……ですが、こんなゴタゴタに、彼女を巻き込みたくないのです」

 苦しげに呟いた葉月の視線の先で、診療所の玄関扉にベッタリと張り付いた一人の男がニタァ、と嫌な笑みを浮かべた。

 だらだらと異常なほどよだれを垂れ流した口元に光る犬歯は、異常に長く鋭い。

 「……これは」

 苦々しげに葉月が唸る。

 「ああ、知恵がない分ハメるのは楽だが、こりゃ厄介だぞ」

 「……パック、取ってきます。――よろしくお願いしますよ」

 「任せとけ」

 するりと玄関扉を、まるでそれが幻であるかのようにスルリとすり抜けて外へ飛び出していく青彦に背を向け、葉月はエネルギー補充に専念すべく、冷蔵庫を開けた。

 虚空に堕ちていく男の悲鳴が聞こえたのは、最初の一つ目を手に取った時。

 葉月は、これから襲い来る苦痛に備え、パックの口を強く噛みしめた。

 「全く、これじゃあ商売あがったりですね……」

 僅かに、苦笑をもらしながら呟いて――葉月は目を閉じた。




 「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 何やら尋常ではない悲鳴が、診療所側の玄関の方から、水仕事の音にかき消される事なく台所まで響いてきたのは、葉月が診療所へ消えてすぐの事だった。

 まだ、診療時間ではないはず。咲月は怪訝な目を廊下へ向けた。

 「……あれ、紅姫?」

 廊下と食堂との敷居の上にちょこんと座っていたのは、あの白猫だった。

 「葉月さんなら診療所へ行ったよ? でも……今の何だろうね……?」

 水にぬれた手を拭い、猫の横をすり抜けて廊下へ出ようとした咲月の足元に、しかし紅姫はじゃれつくようにすり寄り、行く手を阻んだ。

 「……紅姫?」

 「――気になりますか?」

 足元から、声がした。

 「全てを、受け止める覚悟はありますか――?」

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