王からの命令
「――は?」
王の言葉に、朔海は思わず聞き返した。
「結婚……?」
一体、何で今、突然こんな話が持ち上がったんだ?
「……無茶だ」
朔海は、部屋に置かれた一人掛けのソファにどっかと座り込み、頭を両手で抱えてうずくまった。
「何者か、名乗れ!」
無駄に大きな城門の前で、槍を構えた門番が威嚇する。
おどろおどろしい雰囲気を漂わせる巨大な城。背後に広がる、荒れ果てた城下町。そしてその上空を舞う無数のコウモリ、カラス、何やら得体のしれない生物……。
相も変わらずな景色を一舐めし、ついつい重苦しいため息を吐く。
「綺羅星の朔海、王より命を受けて参った。通せ」
名乗った彼に、門番は不遜な笑みを浮かべた。
「ああ、綺羅星の……。これは、失礼を。さ、お通りください……」
ひきずる様な不快な音を立てて門扉が開く。
「変わらないな。……まあ、変わるはずもないか」
百年。人の世にいればそれなりの年月であるが、この世界では無いに等しい程のわずかな時間でしかない。
彼は嫌な薄笑いを浮かべる門番を完全無視して城門をくぐり、正面玄関から城内に入った。
すぐ目の前にどっしりとある樫の扉。「王の間」と金の文字で書かれた扉を素通りし、そこから一番遠く離れたところにポツンと忘れ去られたように建てられた北塔の、最上階を目指した。
あの、荒れ果てた北塔が、彼に与えられた彼の居住スペースなのだ。
……とはいえ老朽化が進み、下の階はとうてい使える状態になく、かろうじて無事な最上階の部屋を、彼は自分の部屋として使っていた。
道すがら、使用人をつかまえて尋ねたところ、彼は露骨に迷惑そうな顔をしたが、それでも王は自室にいると答えた。
実に百年ぶりの便り。自分を疎んじている親兄弟達は、自分を極力避けており、今まで、彼らから連絡を貰ったことは滅多になかった。
彼自身その事を気に病むような事はなかったし、むしろありがたいくらいに思っていた。
「……なのに、何故。どうして今頃、わざわざ使いまで出して呼びつける?」
何か不吉な予感を感じつつも朔海は、自室に着くと真っ先にクローゼットをあけ、王家の正装服一式を取り出した。
これを手にするのも実に百年ぶりだが、そこはさすがに王子の持ち物。部屋と同様、最低限の手入れは施されている。
部屋は、殺伐とした雰囲気はあれど、塵や埃で真っ白な箇所や蜘蛛の巣が縦横無尽にはりめぐらさているような事はなかったし、服もくたびれてはいたが、洗濯は施されていたし、目立った虫食いもなく、すぐに着られる状態に保たれていた。
……不便な場所ではあるが、景色は一望できるし(あまり綺麗なものではないが)、こんな所へ来る者は彼以外には使用人が年に数回掃除に来るくらいだから、他者を気にする必用もない。
しかも、こうした正式な訪問で無い限りは、わざわざ城の正門を使わずとも窓から出入りが可能ということで、実は割と気に入っていた。
しかし、今はのんびりしてはいられない。早々に着替え、足早に部屋を後にする。
向かうは本殿の上階にある王の自室。羽織ったマントをはためかせつつ、朔海は一つの扉の前でピタと立ち止まった。
グッと前を見据え、立ちはだかる扉を睨みつけながら、彼はその場に跪き、名乗りを上げた。
「綺羅星の朔海、ただいま参上いたしました」
「……入れ」
中から、父王の声で、返答があった。と、同時に扉がゆっくりと開いた。
ロフトスペースがあるとはいえ、12畳程しかない朔海の自室とは比べようもないくらいに広い、贅沢な装飾品で豪勢に飾り立てられた部屋。
その、ちょうど一番奥に置かれた巨大なソファに、父王はいた。その隣には、華奢な作りのいすに腰掛けた、これまた華奢な身体をした彼の実母、つまり王妃がいた。
……こうして顔を合わせるのは、一体いつ以来であろうか。
圧倒的で、威圧的な、王の存在感に気圧されそうになりながらも、朔海は立ち上がった。そして、部屋の中程まで進み出たところで再び膝を折り、頭を垂れた。
「……ふむ。来たか」
王はつまらない物を見るような目で朔海を見下ろし、下卑た笑いを浮かべた。隣で王妃も冷ややかな視線で彼を射抜いている。
「此度、私に御用時があると伺い参上した次第。用向きを伺いたく存じます」
「……王位継承の条件、お前も覚えているな?」
「は、はあ……、まあ……。ですが、それが何か?」
「うむ。……そなた、そろそろ身を固めよ」
「……は、はあ?」
朔海にとって面白くない空気の漂う中、久々に使う堅苦しい言葉遣いにより不快を覚える。
そんな中。放たれた王の言葉につい、間抜けた声をあげてしまった。
「王位継承には伴侶が必要であることは、もちろん存じております。が、王位継承権は基本、実力主義で決まるはず。王位など、私には無縁の話でございます。伴侶が居らずとも不都合は無い筈。それを、何故?」
怪訝な顔をする朔海に、
「……無縁、だと。まあ、確かにな。王家の恥さらしが、王位に就くなどありえん。当然だ。しかし、だ。お前はわしの正妃の一の王子という銘付きの王族の一人。お前の所業はお前の恥に留まらず、王家の恥となる。無能なのはもう救い様がないがせめて伴侶の一人も持って貰わんと、王家の体面が保てん」
苦々しげに頭を振る王の隣から、王妃が冷たく言い放つ。
「……何故お前のようなものが私の第一子として生まれてきてしまったのか。全く嘆かわしい。私のかわいい霧人は、実に素晴らしい働きをしてくれているのに。」
王は、ゴホンと大きく一つわざとらしい咳払いをして見せた後、威厳たっぷりに命じた。
「これは、命令だ。今、この時より1年の猶予をやる。それまでに、婚礼の儀を済ませた女を連れて来い。1年後の本日、王族認証の儀を執り行う。期限までに相手を連れて来れなかった場合、王族の資格を剥奪した上、王家の名を汚した罪により処刑する。加えて、連帯責任として同様の刑にお前の母、紅と、実弟、霧人に科すことになる」
「……用件は以上です。分かったらお下がりなさい。今更お相手に期待はしませんが、くれぐれも私、緋桜の紅の名、そしてお前の実弟、暁の霧人の名を汚す事の無きよう」
王の命令は、絶対。
朔海は反論の余地すら与えられないまま、朔海はフラフラと部屋を出た。その背後で扉の閉まる音が聞こえる。
まるでシャワーのように浴びせられた台詞の、その内容は、余りに突拍子無く、無茶で無謀で、彼を絶望の縁に追い込むには十分過ぎる――そしてそれは彼を死への道のりの出発点へと導く――……そういう事だった。
「くそっ、ちくしょう。」
朔海は北塔の自室に戻り、ガラスの入っていない、縁取りだけの窓の桟に腰掛け、頭を抱えて毒づいた。
「結婚――だって? 冗談キツ過ぎるよ……」