死の旋律
とあるビル会社は死体と血臭に塗れていた。
突如見知らぬ女性がビルに侵入し、社員達を無差別に襲いかかって来たのだ。
社員達は外に出ようと必死に逃げ惑うが、どういうわけか走る最中に首、足、腕がいつの間にか切断されてゆく。
辛うじて生き残った中年男性の社員もその男を前に、なす術なく跪いていた。
「……ひ、ひぃ、化け物!」
「おいおい。化け物呼ばわりは酷くねーか。これでも人間だぜ。まぁ、普通の人間じゃねーのは認めるけどな。」
「……ぅ、あ。」
「まぁ。逃げてもいいけど、無駄だと思うぜ。あの女の命令で会社中に極細の『呪糸』をセンサーみたいに張っててな。俺が手を下さずとも、あんたらが糸に触れれば、スパッと殺せるわけよ。」
「そ、そんな……⁉︎」
社員は愕然とする。動いても駄目な上、動かずともこの男はきっと自分を殺す。八方塞がりだった。
「ふっ。生きているアンタには特別に選択肢を与えようか。流石にこれじゃ俺が意地悪してるみたいでな。」
「……せ、選択肢?」
ふと、社員の表情に僅かながら希望が宿る。しかし、次の言葉を耳にした瞬間、絶望へと変わる。
「安らかに死ぬのと、苦しみながら死ぬのとどっちがいい?」
「……は……、え?」
選択肢になってすらない。死ぬことは確定され、生き残る選択肢など含まれていなかった。
社員は一矢を報いるかのように、その問いに反論を唱える。
「嫌だっ!生きたい!生きたい!いきたい、いきたいいきたい!」
その反応を見た男は微笑んだ。
「そうか。生きたいよな。当然だよな。俺も同じ状況だったらそう言うわな。」
「……で、ですよね!」
男から重圧的な空気が消え、社員も安堵する。
「けど、それは俺が出した問いに対する答えになってない。」
「……え?」
グチャリ、と何かが潰れる音がした。
右目が潰れたと理解するのに数秒の時間を要した。
「ぐ、ぁああああああああああっ!」
「うるせぇ。耳障りだ。さっさと死ね。」
数本のナイフを浮遊させ社員の体を串刺しにしてゆく。
「人の親切無視してんじゃねーぞ。」
社員が生き絶えたことを確認すると、上を向いた。上から肉を裂く音、絶叫が下の階まで響く。
「はっ。化け物ってんのは俺なんかよりあの女に最適の言葉だよ。」
上の階はこの階以上に地獄絵図のような光景が広がっているだろう。
数十分としない内に会社内の喧騒は静まり返っていた。
男は上の階に上り、嘆息する。
「はぁ。結局死んだ人間は食べるんですね。」
「文句でもあるのかしら?貴方達人間と違って私は人肉が栄養なの。」
「分かってるつもりでも慣れねーや。」
普通の人間ではあり得ないような咀嚼音が響く。
「まぁ、それはそれとして。性欲滾らせた男の次は巫女狙いか。姉さんも懲りないね。そんなに人喰ってたら臭くなるぞ。」
「こう見えて淑女よ。臭いなんて言うものじゃないわよ。毎回、香水には悩まされるんだから。」
「そうですかい。それよりも、少しばかりマズいことになりましたよ。」
「何をやらかしたの?」
「って、俺が何かやった前提ですかい。」
男はばつが悪そうに話を持ち出した。
「姐さんが襲うように命じた学校なんですけど、天ノ御簾って女子高なんですよ。」
「それが?」
「あそこには国家レベルの犯罪者をも断罪する生徒会、校長に至ってはたった一人で軍隊を潰すほどの力を持ってるって話じゃないですか。敵に回したら危ないやつですよ。」
いくら二人が力のある殺人鬼とはいえ、国家レベルの犯罪者をも去なす彼女達には敵わない。
「だから妙なのよね。」
「は、妙?」
「あの学校には強者がいると同時に異能者と呼べるかどうかのギリギリラインの生徒もいる。校長はな〜にを考えているのかしらね。」
「そう言われるとまぁ。何にせよ、目をつけられたからにはここを離れた方がいいですって。」
「嫌よ。せっかく面白い獲物を見つけたんだもの。堪能したいじゃない。」
「あのですね、獣並みの本能を持つのも結構ですけど、偶には理性的になってくださいよ。一緒に行動するこっちの身にもなってくださいよ。」
「無理。」
女は頑に男の意見を拒む。
彼女は理性とかけ離れた場所で生きているせいか瞳の色は正気じゃない。
「貴方は死体を美としている。私は人が死ぬ瞬間を美としている。お互い死に惹かれながらも、意見は平行線を辿っている。なんというか滑稽ね。」
「ああ。あんたと俺が分かり合うことは永遠にない。だからこうして共に行動しているのが不思議でならない。」
「本当に、変だわね。」
「こっちの台詞ですよ。」
二人は顔を見合わせては笑う。
彼らの肌と服にはべっとりと血が染みついていたが、気にする素振り一つ見せない。
特に女の方は血が体の一部であるかのように舐め回していた。
「とりあえず、あの女教師使って目ぼしい情報は手に入ったのかしら?」
「まぁ、一応は。これ、顔写真と履歴の入った資料なんですけど、至って経歴は普通ですよ?」
女は男が手渡した資料を一通り確認する。
「ふぅん。これ本当に経歴合ってるのかしら?平凡すぎない?」
「寧ろ姐さんは何でこんな平凡そうな小娘を選んだんですかね。」
「平凡?そう見えるの?」
「違うんですか?」
「いえ、確かに証明写真の顔で心意は図れないわね。」
「何か感じたんですか?」
「ええ、とても。この子、純粋そうな見た目に反して禍々しい内面を持ち合わせている。だから、少しばかり珍妙な味がすると思ってね。」
「姐さんの勘はよく当たるからなぁ。一応覚えておきますよ。」
「ふふ、楽しみ。」
女は舌を出して口元を舐める。
その時だった。風を裂くほどの鋭い一撃が女に向かって走る。
「……な……っ!?」
あまりの勢いに硝子にヒビが入る。
女が気付いた時には既に眉間に触れる寸前だった。
だが、そこからの女の行動は速かった。凄まじい勢いで一撃を躱し、態勢を整える。
「姐さん!大丈夫すか!」
「あー、やばいわ。躱したつもりだったけど、避けきれてないわ。」
額が僅かに抉れ、血が迸る。
「今の一撃は矢?反応できなかった……。それにどこから撃ってるのよ。」
「かなりの命中率でしたね。ここは去った方がいいんじゃないですかね。」
女は逡巡するが、今回ばかりは本能ではなく、理性が勝った。
「ちっ、あんたのいう通りここは離れた方がいいわね。」
男と女はすぐさま死体の山となったビルから去る。
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狙いのビルまでの距離はおおよそ数キロメートル。建物の影と同化し、息を殺し、矢を射た。
「……逃げたか。」
真理沙は構えていた霊弓を下ろす。同時に霊弓は粒子となって消えてゆく。召喚を解いたのだ。
後から足音が聴こえる。振り向くと香澄が真理沙を追いかけてきたのか、息を切らしていた。
「真理沙さん、どうしたんです?いきなり飛び出すから……。」
「ごめんなさい。犯人と思しき人物の気配があってね。」
香澄は霊力を持つものの、実戦で扱えるレベルではない。彼女を事件と関わらせるのはあまり好ましくない。
「美作さん、今日は夕飯ありがとう。申し訳ないけど、このまま家に帰ってもらえるかしら。私は少し用事があるから。」
「わ、分かりました。しかし、真理沙さんは大丈夫ですか?」
「ええ。私は問題ないわ。また明日、学校で会いましょう。」
「分かりました。では、おやすみなさい。」
「ええ、おやすみなさい。」
香澄が家へ帰るのを確認して真理沙は先ほど、狙撃したビルへ向かう。
犯人がビルにいたということは、その場で何かがあったと見て間違いない。
「それにしても、ここからでも魔力残滓が漏れているなんて、一体何をしたのかしら。」
事件現場はどこも濃厚な魔力を発していた。今回はその数倍以上はあると見做して良いだろう。
ビル周辺に到着すると、魔力汚染が起きていた。被害を受けていない人々も道端に倒れる、座り込むなど、とにかく酷い。
ビルのエントランスに入った途端、思わず鼻を覆う。
「ひどい臭いね。」
すぐにこの場から離れたかったが、現場の確認を終えるまでは帰りたくても帰れない。
「ん……これは……。」
霊視を使い、目を凝らすと、細い線のようなものが見える。
「……呪糸?」
よく見ると極細の糸のようになっているが、実際はただの糸じゃなく、呪いによって強化されている。異能の世界では呪糸と呼んでいる。
指先に霊力を込め、呪糸に触れる。すると、ぷつりと糸は切れ、消えてゆく。
「私が触れる場合には問題なさそうね。」
真理沙は腕から指先までを霊力で編み込まれた風で覆い、手刀を振るうかのようにまっすぐ放つ。
「これで、呪糸は切れるわね。」
今の手刀で呪糸の数本は切れた。いちいち、呪糸を切っていかなければ先に進めないのが手間だが、真面目な性格故か彼女は苦としていなかった。
進んで行く内に遂に目にしてしまう。バラバラとなった遺体が散らばっていた。
身体が綺麗に切断されているあたり、呪糸の影響によるものだろう。
上の階に進むと、バラバラになった遺体のみならず、内臓を荒らされていたり、肉片が散乱しているなど、凄惨な光景が続いていた。
「これが犯人のやり方なの?」
真理沙は拳を握り締める。
「容赦する必要はなさそうね。」
彼女は何処にいるとも分からない敵に睨みつけた。
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翌日、学校からの連絡メールが来ていた。メールの内容は殺人事件が落ち着くまでの間、臨時休校、くれぐれも外出禁止ということだった。
「ふむ。」
正直、ラッキー。
その間は自宅警備に務めるとしよう。
「ん?」
メールの文章はまだ終わってなかった。
読み進めて行くと、生徒会は全員、生徒会室に集合と書かれている。
うーん。これは会社でいうこき使われる立場、って感じかな。お勤めご苦労様です。
そういや、昨日、真理沙が魔力の気配を察知してどっか行っちまったが……。
また新しい事件が起きたと見て良いのだろうか。
「ほんと、この周辺は物騒だな。人のことは言えねーけどな。」
テレビをつけると案の定、新たな事件について報道されていた。
しかし、今までの事件と規模が違う。
「ビルにいた人間が……全滅?」
ニュースに取り上げられているビルは確か十階建てのビルだ。そこで働く従業員が全滅とはつまり、三桁相当の人数が死者となったわけだ。
「何が狙いなんだ……。いや、違うな。」
犯人の行動は「〜したから」という論理性が全くない。
ビルを潰すにしても爆破する方が手がかからない上に効率的だ。
しかし、映像を見るに、現場の床には血が付着している。一人一人丁寧に殺したのだろう。はっきり言って手間がかかることこの上ない。
犯人は殺すことを楽しんでいる。楽しむためにわざわざ手間をかけて殺している。
きっと彼、或いは彼女は命の重みを知らない。命を奪った時の罪悪感を知らない。
殺すことに理由を持ち合わせていない。
こういう人間は殺しの制限が殆ど存在しない。下手すれば、気まぐれで殺しました、なんてことも有り得る。だからこそ、今回の事件の犯人は危険なのだ。
「鬼の時は危険な敵ほど真っ先に処理してたんだがな。けど、こんなんじゃなぁ。」
鏡に映る自分の姿を見て嘆息する。
霊力を練り、霊術を発動させる。
すると、掌からポッと豆電球のような光が灯るだけだった。
これでも霊力はスムーズに練れるようになったのだ。問題は霊術の根幹とも言えるイメージ力が弱い。
最初はイメージするなんて楽勝とか思ってたのに、後々になって想像力に乏しいことに気づく。物事を現実的に捉える節があるので、独創性に欠けている。
真理沙はイメージトレーニングをするように、と言うが、そもそも何をイメージするのだろうかと、イメージの原点すら理解していない。
ともかくも、これでは闘えない。
光を灯すくらいならスタンドとか電灯で間に合ってるもん。
「霊力……イメージ……か。」
魔力の場合は体内の魔力の流れをコントロールして術式を発動するものが大半だ。結局、俺は魔術を使うことはなかったが、身体強化、斬撃強化の際にはこの方法を扱った。
魔力の感覚がより染みついている+イメージがてきないのダプルパンチで霊力の才能皆無もいいところだ。
よし。取り敢えず、座禅でもしてみるか。
右も左も分からず漠然としているが、何もしないよりはいいだろう。
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招集により、生徒会メンバーは生徒会室に集う。
「はー……。いいなぁ、他の生徒は。皆んな休みなんだぜ?なんで私らだけ学校なんだよ。」
「瑞希さん。仮にも生徒会長がそれを言うのはどうかと思いますよ。」
「うるせーな。仕事はするから本音くらい言わせろよ。じゃないと、やってらんねーよ。」
亜麻色の髪に品のある顔立ちをしている生徒会長---津軽瑞希だが、パーカー、ヘッドホン、気怠そうな態度からだらしなく見える。
副会長の樋口咲は緩やかに、されど、厳しく注意するが、瑞希の威厳のなさは一向に直らない。
「生徒会長。校内でも事件は既に起こっているわけですし、面倒臭いというのはちょっと。」
「ふふ。真理沙さんが言うと説得力ありますね。」
「真理沙〜。お堅いこと言うなよな。お前も偶には肩の力下ろして考えてみろ。私らは休日出勤してるんだ。な、白鳥。」
「え〜、そこ、私に振るんですか、先輩。」
「んじゃ、な、渡部。」
「もう無理〜、グフフ」
「こいつ寝てんじゃねーか。お気楽な奴だな。」
「瑞希さん、話が進まないので、そろそろ。」
「全員集まってなくね?」
「一応、来てない皆さんに関しては連絡が来てます。後で会議の内容は私の方で伝えておきます。」
「は〜。しゃーねーな。」
瑞希は姿勢を正し、事件資料数枚をメンバーに配付する。
「資料は渡ったな?話す件は勿論連続殺人についてだが、はじめに言っておくことがある。
一月前の連続殺人事件と今月起きている殺人事件の犯人は別だ。っつーのも、一月前の殺人事件の犯人は真理沙が処理している。殺し方も今回の方がより悪質になっている。」
先程、白鳥と呼ばれた少女が挙手する。
「何だ?」
「そのことなんですけど、今朝のニュースって見ました?」
「ビルの事件か?」
「はい。真理沙先輩と協力して警察が来る前に調査してたんですけど、犯行の手口が二種類ありました。一つは呪糸を使った肉体の切断。もう一つは身体の原型を留めない殺し方。憶測ですが犯人は二人いるんじゃないかと。」
「うわ、めんどいやつだな。」
今度は真理沙が挙手する。
「その件ですが、私は昨日、犯人と思しき人物が去っていくのを遠目で目撃しましたが、一人ではなかったと思います。断定はできませんが、白鳥さんの言う通り、犯人が二人の可能性は高いかと。」
「そうか……。呪糸……呪糸っていや、切断する以外にも使い道はあったよな。」
そこで白鳥がノートパソコンを開いては解析を始める。
「あります……ね。今回現場で採取した呪糸も切断以外に傀儡術にも扱える使用になっているみたいです。」
「ふん。じゃあ、この前の校内の件も辻褄が合うな。犯人の片割れがこの学校狙ってやって来たわけだ。」
「そうなりますね。」
「ということは犯人の一人は傀儡師ですね。」
「もう片方も大方の見当はつくだろうな。死体の散乱振りからして屍食鬼のそれだ。」
話の大部分は纏まり、咲がワードで会話の内容を簡潔に記録する。
「敵は屍食鬼と傀儡師、ということですね。恐らく二人は共に行動している?」
「ああ。屍食鬼が一般人殺すのは大体食欲満たすためだから、大した理由はないだろう。しかし、傀儡師が女教師を使ってこの学校を攻めた理由が解せない。」
瑞希の言葉に真理沙も頷いた。
「流石に屍食鬼のように無差別に襲うなんてこともない筈です。女教師を使って攻めるというやり方も巧妙ですし、意図があるように感じます。」
「だよな。一度ここを攻められたからには二度目もあるかもしれない。不安は拭えないな。」
「どうします、瑞希さん。巡回とかします?ビルが全滅なんて聞いたら油断もできないでしょうし。」
「面倒だな〜。けど、事件がこれ以上増えるのも好ましくないしやるっきゃねぇな。いいか?」
瑞希の意見に他のメンバーも同意する。
「とりあえず、事件が起きる時間帯は夜中だ。その時間帯は厳重に警戒するぞ。」
「「はい!」」
ここで生徒会の会議は終了し、各自解散とした。
後に残った瑞希と咲が黙々と資料に目を通していた。
「私たちの学校はまた襲われるのでしょうか?」
「ない、と断言はできんな。」
空を見ると雨が降り始めていた。