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獣の欲望

 冷たい風が吹き抜ける。

 季節は五月の半ばだというのに豊島区のとある区域は凍てつくような寒さを放っていた。


「なんだか、今日は冷えるな。」

「冷えるって言っても、今は五月の中旬よ?気のせいじゃない?」

「いやぁ、そう思いたいけど、今日トイレ近くてしゃーないんだよ。お前はどう?」

「女性にその質問はどうかと思うんだけど。」

「ははっ、悪い悪い。」


 むくれる彼女に男は冗談まじりに笑ってみせた。

 二人がいる場所はラブホテルの中だった。互いにむき出しの体でベッドの上に横たわり、一通りの行為を終えた後だった。


「なぁ。もっかいだけやらないか?」

「えー?私疲れたなぁ。性欲強すぎない?」

「そうは言ってもよぉ、我慢できねぇよ。」

「もー、しょうがないなぁ。」


 すると男は途端に鼻息が荒くなる。


「お、ぉぉお…っ」

「ふふ。じゃあ、たっぷり楽しも?」


 女の妖艶な笑みが男の興奮にブーストをかける。男は女を押し倒し、本能を全開にする。


「いたっ、ちょっと乱暴は……。」

「お、お前が悪いんだからなっ!」


 男は体を重ねることしか頭になかった。瞳は猛獣のようだった。

 男が全ての欲を彼女にぶつけようとした時だった。ボトリ、と何が落ちた。


「ん、なんだ?」


 なんの音か気になり、見回してみるが、特に異常はない。


「なんだ、気のせいかよ。」


 男は再び行為に戻ろうとする。

 しかし、そこで違和感を覚えた。彼女の肌に触れようと両腕を動かすが、右腕の感覚がない。


「……あ、れ?」


 おかしいと思い、おそるおそる右腕に視線を移した。


「………ぇ、あ……ぁぁ」


 右腕がなかった。

 どういうわけか右腕はベッドの下に落ちていた。

 鋭利に刃物で切断されたのだろうか。肩の下から綺麗に切られ、断面からはぼたぼたと血が溢れていた。

 ベッドの布地が赤く染まる。


「ふふ、最高の表情ね。」

「……ぇ、おま……え?」


 女は男の腕から滴る血を見て嫌悪するでも恐怖するでもなく、愛おしそうに舌を舐めまわす。


「ど、どうし、て?」

「……男って、ほんと馬鹿。ちょっと愛想良くしたらすぐに騙されるんだから。女の身体を見てはすぐに理性を失う。まるで獣のよう。」


 艶かしい声には何処となく狂気が秘められていた。


「や、やめてくれ。」

「やめるも何も誘ってきたのは貴方じゃない。私の匂いに惹かれてノコノコやってきたのは貴方よ。」

「あ、ぃや、それ、は……。」

「まぁ、私の蜘蛛の巣に引っかかった、とも言えるわね。その点では同情してもいいかしら。ただ、楽しいことしようと言ったからには責任とってね。」


 女が男の肌に触れる。


「身体の一部、一部を地獄に落とした上で美味しく頂くわ。」


 次に左足の脛の骨にそっと触れる。すると、ゴキリ、と鈍い音が部屋に響く。


「ぁ……っ、ぐぁ」

「あらあら。これくらいでへばらないでね。」


 女は次々と体の箇所を抉っていく。男女の性愛の場は処刑場と化していた。


---


 朝のニュースは新たな連続殺人事件に纏わるニュースが報道される。

 今回の事件は今までの殺人事件より凄惨だった。

 事件現場は豊島区のとあるラブホテル。白いベッドは真っ赤に変色するほどの出血量。

 だが、肝心の遺体がどこにもなかった。残されたのはわずかな肉片と骨のみ。日本中を震撼させる事件となった。

 すぐに警察による事件捜査が始まるが、多くの警官が体調を崩し、捜査は難航していた。


「ああ、ひでぇ臭いだな。今までもいろんな現場見てきたが、こんなひでぇのは初めてだ。」

「嘔吐する警官がいるくらいですもんね。」

「まぁ、使える警官だけを捜査に当たらせる。お前は倒れてくれるなよ、中田。」

「善処します。」


 中田と呼ばれた若い警官はハンカチを口に当てながら、毅然に振舞おうとするが、顔色が徐々に悪くなる。


「にしても、妙な事件だとは思わないか?」

「遺体がない件ですか?」

「まぁそれも一つだが、俺が妙と思ったのは他にもある。」

「警部、それは一体どのような……?」

「今までの連続殺人事件と関連性があるなら明らかに殺しの手口が異なっていることだ。今までの死因は刃物による刃傷だったが、今回は遺体を残していないことだ。」

「確かに違いますね。」

「もう一つ。なんかこの部屋自体、空気が重くないか?」

「そりゃ殺人現場ですもん。空気も淀みますよ。」

「あぁ、まぁそりゃそうなんだが、もっとこう、なんて言うんだろうな。」


 警部は口籠る。言いたいことがあるのだが、上手く言葉で表現できない。


「まぁ。何となく変な感じはします。僕も言葉にならない何かがあるような、そんな気分です。」

「……ま、まぁそんな所だ。ともかく、少しずつ調べてくぞ。」

「はい。」


 この部屋の空気が淀んでいるように、天候もまた曇天だった。


---


 白鳳充(はくほう・みつる)改め、美作香澄(みまさか・かすみ)。転入してから一週間が経過する。

 生活には少しずつ慣れてきてはいる。女子であることを認めてるようで癪だが、慣れないと女子の花園を生き抜くことできないから。

 今の所正体(男)もバレてない。よう分からんが、自然と女子の会話についていけてるんだよ。少なくとも言動でバレることはないだろう。


 注意を払わなければならないのは、伊吹真理沙と会話する時くらいだろうか。

彼女とは、この身が鬼である時に邂逅し、刃を交えている。今の所彼女が俺の正体に気づく可能性は低いが、用心深いに越したことはない。


 しかしながら、彼女とは屋上で昼食を摂って以来、(表向きは)親しくしている。


「正直、これマズいよなぁ。」


 本来、敵同士であるため、関わるべきではないのだが、彼女は学校のこと、霊術に関して詳しく説明してくれる為、ついつい頼ってしまうのだ。


「ったく、因縁か何かかよ。」


 彼女のお陰で実戦レベルには程遠いが、簡単な霊術は扱えるようになった。


「……あとは……」

「あとは?」

「……って、わわっ!」


 真横に居たのは伊吹真理沙の親友、高瀬千里(たかせ・ちさと)だった。

 いかんな、感知能力もどうやら鈍っているようだ。近くにいることに全然気づかなかった。


「いや〜、ごめんね。香澄ちゃん。なんか驚かせたくて。」

「し、心臓に悪いですよ……。」

「ふふっ。でも驚く香澄ちゃん可愛いよっ。」


 可愛いって言われてもなぁ。俺、男。


「それより今日は真理沙さんは一緒じゃないんですか?」

「あ、真理沙ちゃんは今日、午後からの授業みたい。」

「なるほど。」


 伊吹真理沙と関わるようになってからは、彼女の親友の高瀬千里とも親しくしている。

 彼女は誰に対しても明るく接する上、気配りできる少女だった。この生活に不慣れな俺も彼女のこの性格に救われている部分がある。


「それにしても意外だったな。」

「何がですか?」

「いや、真理沙ちゃんが香澄ちゃんとすぐに仲良くなったこと。」

「え、そうなんですか?」

「うん。こう言っちゃうと良くないんだけど、真理沙ちゃん真面目で頑固なところがあるから、中には近づきにくいっていう人もいるんだ。」


 確かに、この一週間の彼女を見てきたが、何事も真摯に取り組む姿を頻繁に見てきた。

 頑固という言葉も頷ける。一度やると決めたからには妥協を許さない。それだけ芯が強いとも言える。


「お二人は仲がいいんですね。」

「友達だからね。それは香澄ちゃんも同じだからね。」

「ふふ、ありがとうございます。」


 内心、苦い思いをしていた。

 彼女が俺の正体を知ったらどう思うのだろうか?同じ台詞を吐けるだろうか。

 優しさとは罪人には毒でしかない。いっそのこと俺を憎んで欲しい。恨んで欲しい。殺したいと思うほどに憤って欲しい。


「でも、少しだけ妬けるな。」

「何がですか?」

「さっき言った真理沙ちゃんと香澄ちゃんが仲良くなったって話。」

「妬けるも何もお二人は親友でしょう?」

「うん、でもね。すぐに仲良くはなれなかった。徐々に打ち解けたって感じ。だからすぐに仲良くなったった香澄ちゃんが羨ましい。」


 羨望するように、少しだけ悲しそうに彼女は言った。


「それだけ魅力なんだろうね。香澄ちゃんは。」

「……魅力なんて。」

「卑下しなくていいよ。きっと香澄ちゃんの良いところなの。だから、ずっとそのままでいてね。」


 何故かその言葉は心に響いた。

 何気ない会話の何気ない一言なのかもしれない。だというのに、忘れてはいけない、と心に言い聞かせた。


「そういえば……」

「どうしました?」

「また新しい事件起きたみたいだよね。今朝、テレビつけたらどの番組も連続殺人事件ばかりで。」


 しまった。今朝は寝坊してニュースを見る暇がなかった。鬼だった時は昼まで寝て夜更かしするのが習慣になってたからなぁ。

 それはそれとして、ニュースの内容を抑えておく必要がある。

 連続殺人事件についてだが、この近辺の殺人事件は全て俺の手によるものだ。魔力を失った今、新たに事件が起こることは有り得ない。


「どのような事件が教えて頂けますか?今朝ニュース見てなくて。」

「うん、なんて言ったかな。ラブ……ホテルだっけ。そこで事件が起きたんだけど遺体が見つからない云々。」

「遺体がない……?」

「うん。」


―――遺体がない。

これでは犯人の手口が分からない。

遺体は重要な情報だ。遺体の傷で犯人の武器、殺し方、上手くいけば犯人そのものを特定できる。

今、この無力な状態で戦うとなったら僅かな情報でも惜しい。今回の事件は調べておく必要がある。


---


「おい。校長。邪魔するぞ。」


ずかずかと校長室に入り込むと、分厚い本が飛んでくる。


「うわ、あっぶね!」

「ノックくらいしろ。何のために淑女の振る舞い教えたと思ってんだ、あ?」

「あ?別に校長はババァだし、淑女の振る舞いも無効だろ?」

「お前、そこに直れ。肋骨何本折って欲しいか答えな。」

「すみません。やっぱ僕が悪かったみたいです。」


 正直、校長は独身貴族な中年女性って感じだから、わざわざ淑女の振る舞いするのも阿保らしい。しなくてよくね?


「で、何の用だい。これから寿司食いに行くところなんだ。要件があるならさっさと言いな。」

「て、ことは暇だな。話は他でもない。連続殺人事件についてだ。」


 すると、校長の雰囲気が変わる。


「はぁん。成る程。事件を嗅ぎ回ろうとして私に情報を求めに来たか。」

「理解が早くて助かる。」

「教えると思ってんのかい。バカタレ。今のお前じゃ殺されて終わりだよ。」

「それはそうだが、この近辺の事件は全て俺の手によって起こった筈だ。俺以外に手をかける奴がいるなら招待くらい見極めたいだろ。」

「どの口が見極めるとか言ってんだ、この阿保、童貞。」

「後者は関係ねぇだろ」


 まぁ、間違ってませんけど。


「ったく、よく聞きな。この学校はお前のように霊力は持ってても、戦闘には役立たない女生徒が大勢いる。そう言った生徒にはそういう事件には極力関わらせないようにしてる。その代わり戦闘のエキスパートも用意している。お前が出る幕はないよ。」

「う、ぐ……。」

「悔しいなら早く強くなることだね。」


 正論だな。ムカつくけど正論だ。


「おら、分かったらさっさと授業行け!」


 バタン!と扉を閉められる。何一つ情報を得られなかった。


「あ〜、くそ。どうすんだよ、これ。」


 校長が話さないなら、自分で調べるしかねぇよな。


---


 放課後、事件現場の住所をスマホで検索し、その場に向かうことにした。

 現場がラブホなため、立ち寄るには多少の勇気がいる。け、けっしてイヤらしいとかそんなんじゃねえからな?


 いざ、周辺まで寄ると警察が彷徨いていた。


「うっわ。こりゃ、現場を見るのは無理だな。」


 当然だが、罪人の俺は警察が嫌いだ。警察が居る場であれば気配を消すか、距離を取るかの二択しかない。


「にしても、警察の野郎ども見るからに顔色悪そうだな。」


 見ると、彼らは皆青白い顔をしていた。持ち場で捜査をしなければならない筈が、吐き気を堪えるように座り込んでいた。


「……これは。」


視界がぐにゃりと捻れる。建物や人が立体としての構造をなしていなかった。


「う……ぐ……⁉︎」


 吐き気がする。

 幻覚を掛けられたわけではない。魔術濃度が高いと時に精神汚染を起こし、身体に悪影響を及ぼす。吐き気はその影響の一つと言える。

 口を押さえ、唇を強く噛む。

 強く噛んだ際の痛覚が吐き気をどうにか抑えた。


「小娘の身体じゃ、この魔力濃度には耐えられないな。」


 事件現場の魔力残滓は周辺地域にも散らばっている。

 近くの店の店員は気怠そうに座り込んでいた。すぐそこのベンチに座る老齢の男性も虚ろな瞳をしていた。街の活気がまるでない。


「……この場から離れた方がいいな。」


 普段ならばここでもう少し探りを入れるのだが、身体がもたない。敵の詮索は容易にはいかなそうだ。


「早く力つけなきゃダメだこりゃ。」


---


 どうやら昨夜の営みから、警察が現場周辺をうろつき始める。


 女は得意の変装で自分の年齢より二十は上であろう姿に化けていた。

 彼女がいるのは現場から数キロ離れたカフェだ。


「少し、やり過ぎたかしらね。」


 衝動が止まらなかった。

 性欲を暴発させた男が途端に恐怖に怯え、身体の一部一部を潰されゆく姿は堪らなく興奮した。

 恐怖に怯えた身体ほど、濃厚な味わいを持つ。


「とはいえ、ここ最近は似たような男ばっかりね。偶にはターゲットを変えてみたいわ。」


 そう、偶には女でもよい。

 死ぬ瞬間の絶望的なあの顔を見れれば良いのだ。


「何かいい相手はいないものかしらね……。」


 一つ欲求を満たすと、新たな欲求が芽生える。彼女の中で欲求が消えることはない。

 ある種、昨日の男と似ているのかもしれない。

 常に欲求を満たしたいと飢えている。その様は獣のようだ。


 ふと、女性の瞳にある女生徒が映る。なめらかに揺れる黒髪と黒目がちの瞳が印象的だった。

 一見可憐そうに見えるが、禍々しい狂気も秘めているようだった。


 あの年齢の少女は純粋無垢だというのに、彼女は純心とは縁遠い。黒でも白でもない。善悪に葛藤する灰色がとても魅力的だった。


「ああ。あの子が欲しい。」


 女に新たな欲求が芽生える。


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