唐突な終わり
深夜になると住宅街はしんと静まり返る。
男が羽織る黒い外套は夜の景色と一体化し、認識が困難となっている。
一般人ならば視覚だけでも十分に気配を消せるが、外套に気配を消すための魔力を練りこんでるため、異能者であっても容易く見つけることは不可能だ。
何か起きたとしても男は敏捷性に自信があるため、術師相手ならば瞬殺だろう。肉弾戦に持ち込まれても折れることはない。
ぴくりと指が反応する。
付近に僅かながら霊力の気配がある。問題は彼の標的の魔力とは全く異なるものであることだ。それが真っすぐこちらに向かってきている。
「何だ、あいつは……。」
じっと観察することにするが、やはり此方に目掛けているようだ。
「…っ、これは」
遠目で分かりにくい上に気配がとても薄いが、式神で此方の位置を正確に把握しているようだ。
「ちぃ……。」
相手は探知能力に優れているようだ。最早隠れることは何も意味をなさない。
敵との距離は五百メートルほど。道の真ん中に立ち、愛刀の柄にそっと触れる。
---
敵の気配がどうにも薄い。
事件現場は何処も一貫性があり、世田谷周辺にて起こっていた。一帯を隈なく捜しているはずだが、どうにも見つからない。
間も無く深夜を迎える。任務を夕刻までには終わらせるつもりが随分と掛かってしまった。
「……仕方ないか。」
真理沙は数枚の呪符から動物型の式神を呼び寄せ、四方に四散させる。いずれも鳥や小動物など、敵が認識しづらい形を選ぶ。
すると思ったよりも早く犯人と思しき人物を見つけた。早々にこの手を使えば良かったと、やや後悔に駆られる。
敵の元へ駆けて行くと、向こうは待ち伏せていたかのように此方を見据えていた。
「お前が俺を嗅ぎまわっていた奴か。名乗れ。」
低いドスの効いた声で告げられる。彼から異様な圧力を感じた。
---
敵は制服姿であることから二十にも満たない少女であることが分かる。その事実が彼を困惑させていた。
今まで殺した相手は中年から老年の異能者だったが、いずれも優秀の一言に尽きる。
しかし、目の前の少女は彼らをも超える実力の持ち主である。霊力の質、研ぎ澄まされた闘気が尋常ではない。
「お前が俺を嗅ぎまわっていたやつか。名乗れ。」
すると、彼女は律儀に名乗りを上げる。
「私は天ノ御簾女子高等学校二年、伊吹真理沙よ。」
真理沙と名乗る少女は何やら書類を取り出し、捲る。
「私も貴方の名前を確認するわ。白鳳充。十七歳。白鳳家の末裔及びただ生き残りであり、一族が滅んだ後は異能者が経営する孤児院に拾われるけど、間も無くして脱走。その後から今に至るまで賞金稼ぎとして活動している。」
「よく調べてんじゃねーか。」
どうやら正体は筒抜けということだったらしい。
「出会って早々に悪いのだけれど、貴方には死んでもらうわ。この一週間だけで数件の殺人事件……到底見過ごすことはできないわ。」
「はっ、それができるならな。」
辺り一帯、殺気が充満する。
並の人間であれば膝を崩し、吐き気を催していただろう。
夜の冷たい風が二人の間に吹く。何処からか舞い降りた落ち葉が地面に触れる瞬間―――。
男が地を蹴る。同時に真理沙は霊弓を召喚し、矢を装填する。男は加速し、抜刀する。真理沙もそれに合わせて矢を放つ。
矢は甲高い高音を轟かせながら男の方に向かって行く。男は矢をすぐさま斬り捨てる。
ここまでの一連の動きはほんの刹那の出来事だった。
男は動きを止めず疾駆する。
真理沙も矢を数本召喚し、次々と連射してゆく。一本一本の命中率は正確で男の心臓を隈なく狙う。
男はそれら全てを愛刀で捌き、魔理沙の懐に入る。距離は零。分があるのは男の方だった。だが、魔理沙は不意に不敵な笑みをこぼす。
「……?」
男は真理沙が笑う理由が分からぬまま、零距離で斬撃を放つ。すると真理沙は柔軟性を活かし、後屈で躱す。
すぐさま真理沙は男に蹴りを入れ、体勢を立て直す為に空中で一回転する。男は宙に舞っている間が好機と狙ったが、真理沙は宙に舞っている間も隙を見せず、既に弓矢を構えていた。
「……チッ」
男はすぐに距離をとるが、既に矢は射出され、男の肩口に命中した。
「ぐ……っ!」
瞬足という面では男の方が何倍も上手になるが、身のこなしに関しては魔理沙の方が圧倒していた。手の指先から足の指先までが一つの武器のようだった。
とはいえ、男の方もまだ全開というわけではない。
「死ぬ覚悟は出来てるんだろうな?」
愛刀に魔力を込めた途端、白銀の刃は紅色に染まる。
真理沙も霊弓にありったけの霊力を込め、対抗しようとする。
男の一閃と真理沙の轟音の矢はほぼ同時に放たれ、地面を抉った。
その後、二人の撃ち合いは拮抗していたが、異変は突然起きた。
「……ぐっ、ごほっ!」
男が急に吐血したのだ。膝を崩し、苦悶に表情を歪める。
「ど……ういうことだ⁉︎」
急な体調の変化に男は敵の仕掛けかと疑ったが、肩口の傷に猛毒が含まれているわけでもないようだ。先ほどまでの溢れんばかりの魔力は急激に減少し、筋力まで低下する。
真理沙は男の最大の隙を逃さず、心臓を射抜いた。
男はなす術なくそのまま斃れる。
---
男が斃れたことを確認し、死体かどうかを確認する為、脈を測る。
「……死んだようね。」
すぐにスマートフォンを取り出し、電話をかける。
『…終わったか?』
電話に出たのは校長だった。
「ええ。心臓を確実に貫いたので間違いありません。」
『そうか。任務ご苦労。』
「あの、校長。少しだけ気になることがあるのですが宜しいでしょうか?」
『言いたまえ』
「今回の対象者ですが、少しだけ妙なところがありまして。」
『…妙とは?』
「私が矢を射る前に急に吐血して苦痛に呻いていたのですが、校長は何か心当たりありますか?」
『…ふむ。確かに妙ではあるな。病で斃れた……?いや、それは有り得んな。鬼は病になることはまずない。鬼が死ぬとすれば寿命か殺されるかの二択しかない。』
「はい。」
『まぁ、詳細は後で私の方で調べておこう。君は速やかに帰宅しなさい。』
「はい。失礼致します。」
真理沙は電話を切るとそのまま退却する。死体となった男を一瞥してから瞑目する。
「一体、いくつの血を見れば争いは無くなるのかしら?」
無意味な問いかけと理解しながら問わずにはいられなかった。
胸のペンダントをぎゅっと握る。
---
校長室では校長が焼酎を飲みながら物思いにふけていた。
「……鬼である彼が戦闘中に急な吐血……か。やはり予想通りだったな。」
瞳はどこか悲しげだった。
ちらりと机の上の写真立てに目を向ける。そこに写るのは若き日の校長と優美な黒髪と優しい瞳が印象的な女性がお互いピースをしながら立っていた。
その姿を愛おしそうに指でなぞる。
ちょうどその時だった。深夜の校長室にノックがかかる。
「入りたまえ。」
「失礼します。」
「よく来てくれたな。院長ちゃん。」
院長ちゃんと呼ばれた女性は白衣を纏った高身長の女性だった。外見は二十代半ばほどの年齢といったところだろう。おっとりした雰囲気が特徴的だ。
「さて、少しだけ面倒にはなるが少しだけ私に付き合ってくれ。」
「ええ。私は貴女に従います。」
「そう言ってくれると助かるよ。」
---
―――これが死か。
心臓を射抜かれて尚、かろうじて意識が残っていた。
だが、視界に映る景色は夜空のように暗く、あらゆる感覚が麻痺していた。この身が動くことは二度とないだろう。
絶望的な状況の筈なのに心地良い。心がこんなにも穏やかなのはいつ以来だろうか。
長らく俺は地獄を見た。餓鬼を見た。畜生を見た。修羅を見てきた。血と隣り合わせの生活が日常的に続いていた。
きっと俺は安寧を欲していたのだ。
それは人並みの幸福を得ることではない。この世界から消えてなくなることだった。
あの時、俺の心は彼女と共に死んだのだ。亡霊のように生きながらえるくらいなら散った方がきっと楽だ。
しかし、世界が望みをかなえてくれることは永劫にない。
ふと知らない女性の声が響く。
「ようやく見つけたぞ。白鳳充。」
―――誰だ?
どうやら俺のことを知っているようだが、視界が霞み、視認できない。
「私はお前を助けに来た。」
―――は?
殺されたいと願った俺からすれば、女性の言葉は地獄の鉄槌そのものだった。
最後の時くらい自由になりたいと思った。それすらも許されないこの世界はなんて醜いんだろう。
声にならない声で天に叫んだ。
しかし、思いの鋒は天に届くことはなかった。
抗う術なく、世界が暗転する。