1 新しい仕事―――人工惑星ペロンに到着
「変わったね、あんたは」
うつ伏せたまま、隣に居る相手を彼は横目で見上げた。
上体を起こし、煙草につける火が一瞬、相手の自分よりはやや鋭角的な横顔のラインを目に飛び込ませる。
明るい色の髪、やや尖り気味の顎の線、自分の奥の奥まで見透かしてしまうような大きな鋭い目。あの頃、とても好きだった、その表情。
気だるい身体。頬に当たる布地の冷たさが、何となく心地よい。決して普段肌に触れて心地よいというような柔らかさは持ってはいない。だが今は。
「そうかな」
灯りが消え、姿が視界から消え、煙草の匂いだけが残る。
月明かりの逆光に、相手の表情が見えなくなると、その声は余計に自分の中にまっすぐ飛び込んでくる。ぞくり、と皮膚のすぐ下に、何かが流れていくのを彼は感じた。
遠くに、波の音が聞こえる。昼間、何気にふざけて、濡れネズミになってしまった海岸に、打ち寄せる音。
「そうだよ」
そう言って、彼は目を伏せる。こんな言葉、言うつもりはなかったのだ。
「…ごめん」
つぶやいてみる。気にはしないさ、とあの黄金のトランペットを思わせるような声が、再び耳に飛び込んでくる。
ふっと髪に手を触れる気配がしたので、また薄目を開けてみた。長い自分の髪を、指に絡めている。
「…そういうのは、あんた相変わらず好きなんだね」
「まあね」
短い答えが返ってくる。
「長い髪は、好きだよ」
「…そう言えばあんたの今の相手も、長い髪だって、さっき言ってたね」
ああ、と相手は短く答える。
「そこだけは、君と似ているな。やっぱり黒いし」
「そこだけ?」
「そこだけさ。他は何も似ていない」
ふうん、と彼は答えを返す。
「でもよくあんた、来てくれたよね」
「他ならぬ君のためだからね」
「殺したい程の」
「殺したいほどの」
微かな音が、聞こえる。煙草をサイドの灰皿に置いた音だろうか、と彼は思う。
自分がひどく無防備になっているのを、彼は気付いていた。こんなことではいけないのだ。むき出しの背中を、相手に向けている。
過去はどうあれ、この相手は、今は敵にもなりうる人物なのだから。
だがそんなことは今はどうでもよかった。
「相変わらず君が、危なっかしいから、つい手を出してしまう」
「そんなに危なっかしいかな」
「充分」
くす、と彼が笑みをもらすと、髪に絡めていた手が、指が、そのままかき上げるように地肌から首すじをたどる。彼はゆるゆると相手のその手に指を伸ばす。
相手は空いているほうの手で、その指に指を絡める。
「何を、そんなに忘れたい? せっかく取り戻した記憶なのに」
「色々」
短く彼は答えると、指を解き、身体を浮かすと、相手の首に手を回した。
「あんたの声を、もっと聞かせてくれよ。どうせまた、明日からは、仕事なんだ…」
「君は卑怯だ、G。何処へ行くかは教えてくれないのかい?」
「…卑怯だよ」
そんなことは判っている。だから、呼び出したところで、来るとは思ってはいなかったのだ。
相手は、帝国の内調局員だった。反帝国組織に属する自分には、事態によっては、確実に敵に回る人物なのだ。
そして、遠い昔、まだ、帝国が星域を統一する前までの、同じ種族、同じ軍の、自分の愛人のようなものであり…
自分がその昔、裏切った相手だった。
もう遠い昔だった。
長い時間をそのまま歩いてきた相手と、時間を行きつ戻りつ飛び越えつつ、所々移動してきた自分とでは、体感時間にずれがあるのは事実である。
だが、いずれにせよ、普通の人間から見れば気の遠くなるような昔であることには違いない。
「俺は卑怯だよ。俺はあんたが俺の頼みを聞いてくれてしまうことを知ってる。だから鷹、あんたも俺を、そんな優しくじゃなくて、もっと手荒に扱えばいいんだ」
「でもそれも、君の望みだろう?」
のぞき込む相手の顔から、月明かりに苦笑めいたものの気配が浮かんでいる。昔はこんな表情はしなかった、と最近取り戻した記憶が自分の中でつぶやく。
自分は、相手がどんな時間を送ってきたのか、知らない。
天使種の軍隊から離れて、何をどうして、帝国の内閣調査室の局員になっているのか。そこにたどり着くまで、どんな時間を送り、どんな相手と巡り会ってきたのか。自分は何も知らない。今の「誰か」。黒い長い髪を持っているらしい「誰か」のことも知らない。
自分が知っているのは、ごくごく僅かな時間の、この相手の姿だけなのだ。自分を好きだった期間の、相手の姿だけなのだ。
変わったところで、不思議はない。変わらない方が、おかしいのだ。
「君は、俺に手荒に扱って欲しいんだ」
そうかもしれない、と彼は思う。
そう言って相手を怒らせて、それでいて自分自身、考える間もなく、記憶の中に埋まることなく、ただただ訳の判らない程何かに溺れたいのかもしれない。
「だったら、望み通りに」
相手の腕が、荒々しく自分の肩にかかるのを彼は感じていた。
*
「本日の着便は全て終了しました。明日の発便は、標準時午前6時30分です。時刻の30分前から改札を行います。遅れずに…」
甲高いアナウンスの声が、高い天井を通り抜ける。
改札を通り抜けた彼は、クリーム色の壁や、つり下げられた照明のあちこちに取り付けられている、旧式な形を持った拡声器を見上げた。
すすけた色。四方向に向けられたラッパの形のようなその器体。時々それはぱぁぁ、と神経を逆撫でするような音を立てる。やや不愉快。彼は形の良い眉をひそめた。
だがその一方で、美しいものも視界には入る。
高い天井は、曲線の優雅なガラス張りだった。外から見ると、それは鳥かごのように見えなくはないのではなかろうか。見上げると、そのラインの広がり方に、一瞬眩暈がした。
「…おっと」
と。腕に強い衝撃が走る。彼はふとよろめいて、その場に腰をついた。何ごとか、とやや無様な程にきょろきょろと辺りを見回すと、目の前に大きな手が差し出された。
「ごめんよ、急いでいたんだ」
「ああ…」
彼は目を丸くして活舌の良い相手の顔をのぞき込んだ。
濃い色のバンダナと、それより更に濃い色の、短い髪の毛。だけど明るい、あまり大きくはないが元気そうな緑の瞳。
ぴったりとしたTシャツにサスペンダをつけたワークパンツ。その上に軽そうな上着を羽織って。歳の頃は… 自分の外見と近いだろう。
一瞬のうちに、彼は相手の特徴をとらえる。
「立てる?」
「立てるさ」
それでも、ややふらつく真似をしてみせる。自分は今回、見かけのような行動を取らなくてはならないのだ。この惑星に入った以上。
「本当にごめん。でも、マジ、急いでたんだよ。だからごめん、ちょっとここで失礼するよ」
「はあ」
「また今度出会うことができたらお茶でも呑もうねっ」
はあ。
今度は内心でそうつぶやく。
何を言ってるんだか。彼はそのつむじ風のような相手の背を見送りながら、やや呆れる。だが去っていく、その後ろ姿を何となく見送ってしまう。苦笑する。
だがそんな苦笑は一瞬のものだった。彼は表面上の顔はともかく、内側の表情は引き締める。約束の時間は近づいていた。
宇宙港。ターミナル。
そう言ったものにつきものの喧噪が、次第におさまっていく、最終の時間。彼はコートのポケットに手を突っ込むと、さして大きくもないカバンをベンチに置いた。あちこちに置かれた、放射状のベンチは、曖昧な色使いのクッションで彩られている。その上には、やはり曲線が美しい照明。そろそろこの時間には、色がつくらしい。
時間だ。
一人の男が、自分に近づいてくるのを彼は感じる。時々手元をちら、と見ては、自分の顔と交互に見比べている。
カード型の3Dフォトアルバムだ。焦げ茶色のスーツの男は、彼に何気なく近づき、隣に腰を下ろす。
「失礼、今日の中央放送にリクエストをしたかね?」
「ええ、ロゼ・ファン・メイの『早すぎる』を」
合い言葉だった。彼はそう言うべき言葉を正しく答える。それが、これから、この惑星での彼の仕事の始まりなのだ。
焦げ茶色のスーツの男は、表情を変えることもなく、彼に煙草を差し出した。彼は一本それを取ると、火を点けた。
「人工惑星ペロンにようこそ、サンド・リヨン君。今時はいいピアノ弾きが少なくて困っていたのだよ」
そうですか、と彼は口に出される自分のいつもの偽名にうなづく。
サンドリヨン。少し前まで、何故自分がその名を使うのかすら、忘れていた。それは「似合うから」使っているのだと、考えていた。でも違う。それは、忘れないためだった。
自分自身にも隠した記憶の中で、一つのことを忘れないためのものだったのだ。
相手から受け取った煙草の、口の中に溜まる煙の中に、軽い催眠系の葉の味が感じられる。摂取したところで自分が大したことある訳ではないのは知っているが、彼はそれを吸い込むことは避けた。
焦げ茶色のスーツの男は、そんな彼の姿に、何やら目を奪われているかのようだった。彼は自分が他人からどう見られるのか、知っていた。
知っていたから、今回は、ことさらに、相手の望むような、態度をとる。ふっと吐き出す煙。微かな、曖昧な笑顔を浮かべ、気だるげな、柔らかな調子で顔を相手に向ける。
「それで、僕はいつから仕事につけばいいのです?」
相手はくす、と笑みを浮かべる。その頬には似合わないような赤みがさす。
「君が望むのなら、今日からでも明日からでも。だが、できるだけ早い方が望ましいのは、言うまでもないのだが」
「ふうん」
彼は膝の上に肘を立て、その上にあごを乗せ、やや考える素振りをする。
「…それでは、御言葉に甘えます。今日は休ませて下さい。僕は何処に休めばいいのでしょうか?」
「用意はできている」
焦げ茶色のスーツの男は、そう言うと立ち上がった。それに引き続いて、彼もまた立ち上がった。
「このペロンの中でも、我々が君に与える部屋は、第二層に当たる。これはひどく名誉なことなのだよ」
「判っています。光栄です。ありがとうございます。まさかと思いました。仕事を無くしてどうすればいいかと思っていましたから…」
せいぜい粛々とした言葉を吐いてやるさ。
彼は吸い尽くした煙草を丁寧に灰皿になすりつけると、頭を下げる。どう考えていようが、無論それは決して素振りには見せない。そういうのは、自分は得意なのだ。
「では行こう。車が待っている」
「はい」
彼は返事をすると立ち上がった。髪がその拍子に揺れる。
「…ああところで君」
男は、ふと気がついたように言葉を付け足した。何ですか、と彼は問い返す。
「確か、紹介書のフォートにあった君の髪は、長かったはずだが」
「切りました。少し邪魔になったので」
「そうか。少し残念だな」
彼はそれには答えずに、くす、と笑ってみせた。




