27.小さな城の大きな秘密<1/6>
「ってぇ……」
背中から床に転がって、グランは思わず声を上げた。グランを突き飛ばして一緒に転がったエレムが、慌てた様子で体を起こす。
「すみません、あのままじゃまずいと思っ……」
言いながら立ち上がりかけ、エレムの動きが硬直した。
さっきと同じように周囲は明るいが、目に映るものが全く違っている。
豪華な装飾の施された部屋ではなく、今は平坦な石の壁に作り付けられた燭台が青白く灯っている程度の簡素な部屋だ。少し離れたところに扉のない出入り口があり、その先にはここと同じような作りの部屋か廊下がずっと続いているようだった。
この部屋はわりと狭いが、廊下の先はかなり長い。大人三人が立っているのを考えると、天井もかなり高く、全体の面積は相当――大人三人?!
「なんであんたまでいるんだ?!」
「あ……」
少し離れた場所で、錫杖を手に呆然と周囲を眺めていたヘイディアは、返事に困った様子で言い淀んだ。
「あの絵の上にグランバッシュ殿が入ったら、力の流れが変わったので……お二人を止めようと思ったのですが」
「ああ、……そっか」
立ち上がって、グランは思わず頭をかいた。
「悪い。今回は完全に俺の不注意だ」
法術の素質のある二人が揃って、あの場所にはなにかがあると言ってたのだ。いくら危険なものが感じられなかったとはいえ、もっと警戒するべきなのは自分の方だった。
「いえ、気になって近づいてしまった私がよくなかったのです」
「ヘイディアさんは気にしなくてもいいんですよ」
立ち上がって法衣の埃を払っていたエレムが、気遣うように声を掛けた。
「僕らが散々怪しいって言ってたのに、自分から入っていったんだから、どう考えてもグランさんのせいです」
「お前だって止めなかっただろうが」
「大丈夫かどうかちゃんと聞いたじゃないですか。責任転嫁はよくないですよ」
「あれは止めてるうちにはいらねぇよっ」
たまにまともに謝ってやればこれだ。思わずグランが腕でエレムの首を絞めにかかる。ヘイディアはそれをきょとんとした様子で見返し、不意に口元と目元をゆるめた。
あまりにも自然な変化だったので、笑ったのだと二人が気付くまで、数秒かかった。
「……とにかく、こうしていても仕方ないですし、どうやって外に出るかを考えましょうか」
思わず力のゆるんだグランの腕を外して襟元を整えながら、エレムがヘイディアに笑みを向ける。
「……そういや、ずいぶん顔色がよくなってるけど、ここは変な感じがしないのか?」
「あ、……そうですね」
ヘイディアは、自分の体調を確認するように、軽く胸元に手を当てた。
「確かに、相変わらず大きな力を感じるのですが……その内側に入ってしまったからでしょうか。気分が悪いという風には、感じません」
「僕も同じですね。……変な感じは相変わらずですけど、離れたいとか落ち着かないという感じはなくなりました」
「へぇ」
ということは、位置はよく判らないが、ここも城の内部である可能性は高い。
グランは改めて部屋を見渡したが、床にも壁にも模様らしいものはない。燭台が均等に灯って辺りを照らしているだけだ。
「やっぱり、ここから出てみないことには、なんともなりそうにないな」
「……出口らしいものがないか、探ってみます」
ヘイディアはそういうと、錫杖を持たない右手を胸の前に引き寄せた。まるで手のひらの上になにかを載せるような仕草で目を閉じる。
「大空を守護する大いなりし神ルアルグよ、その吐息のひとつを我が掌に貸し与えん……」
不意に、ヘイディアの胸元でなにかの力が渦巻いたのが判った。渦巻いた力は一旦手のひらの上で小さくまとまると、まるで誰かが息でもついたように、大きく辺りに広がった。風が部屋の中を波打ち、心地よくグランの頬と髪を撫でて、そのまま部屋の出口から外の廊下へと流れていく。
ルアルグ神官の扱う法術は、基本的に風を操る。二人は前にリオンが使うのを見ていたので驚きはしなかったが、風は実際に触れて動きが判るのが面白い。
少しの間黙って目を伏せていたヘイディアは、なにを感じたのか、小さく頷いて目を開いた。
「……かなり先にですが、風が外に抜けられる場所があります。ただ……」
「ただ?」
「風の動きから察するに、出口は上方向なので、ここはたぶん地下に当たる場所です。それと、充ちている力の性質から考えて、ここはあの城の地下のはずなのですが」
「うん?」
「あの小さな島の地下に、このような施設をどうやって作ったのでしょう。この階だけでも相当広さがありますよ」
そういわれてみればそうだ。城も、城の建っている島も、実際たいした広さではない。しかしこの部屋の先に伸びる廊下は、燭台の灯りにぼやけて先が見えにくいとはいえ、その突き当たりまでどれくらいになるか推測ができない。少なく見積もっても、島の面積の数倍は広い。
「……まぁ、考えるのは歩きながらにするか」
「そうですね」
ここに来るまでに、特になくしたものもなさそうだ。エレムも改めて、背中の剣を背負いなおした。三人は、扉のない出入り口から、長い廊下へと踏み出した。
廊下は真っ直ぐだが、一本道というわけではない。所々に分岐や、小部屋への入り口がある。壁や床に特に変化があるわけではないので、もしこれが一人だったら、同じ所をぐるぐる回らないためになにか印でもつけていくところだ。
ヘイディアは迷いなく先に進んでいく。風の動きが導いているのだろう。
「……こんなに燭台が灯っているのに、人の気配が全くしませんね」
時折、行き過ぎる小部屋の中をのぞき込みながら、エレムが不思議そうに呟いた。
部屋といっても、中はみんながらんどうで、人の気配どころか家具のようなものもなにもない。なんのために作られているのか、目的がさっぱり判らないのだ。
「人がいないのに、どうしてこんなに燭台をつけてるんでしょうね」
燭台は壁に作り付けで、背の高い人間が手を伸ばしたくらいでは触れない場所にある。人間がひとつひとつ灯そうとしたら、よっぽど長い棒でも使って火を移すか、踏み台が必要になりそうなものだ。だがそれ以前に、不思議なことがあった。
「あれ……どうやって燃えてるんだ? 普通の蝋燭じゃあんな色にならないだろうし、もっと火も小さいよな」
燭台に灯っているのは、形だけなら炎のように見えるのだが、光も青白いし、なにかが燃えるようなすすもなければ匂いもない。それに、普通の炎のような揺らぎもないし、燭台から離れた場所でも光が弱まるでもなく、廊下も小部屋のどの位置も均等に明るい。薬品をしみこませた綿でも使っているのかも知れないが、それだとやはり独特の匂いがあるはずだ。
「……なにがしかの魔力を利用した灯りだと思います」
それまで黙って聞いていたヘイディアが、少し立ち止まって燭台を見上げた。
「火が燃えると、熱でその周りの風に動きが出るものですが、あの燭台の周りにはそういうものが感じられません」
「へぇ……ルアルグの法術って、かなり実用的なんですね」
「風というのは、いろいろなことを教えてくれるものなのです」
素直に感心した様子のエレムに、ヘイディアは静かに答えて、また歩き出した。淡々としているようで、表情からだいぶ固さがとれてきた気がする。
「ただ、これだけの数の燭台ですから、灯すだけで相当量の魔力を消費していると思われます。いったいその源はなんなのか……」
「それが判れば、城から感じられた得体の知れない力の正体も判るって感じか?」
「そう……だと思います」
少し自信はなさそうながらも、ヘイディアは頷いた。