22.伯爵夫人の招待<後>
そのままエルディエルの部隊の方に去っていくヘイディアの後ろ姿を見送りながら、グランの横に立ったエレムがあっけにとられた様子で、
「一日で、ずいぶん丸くなった印象ですねぇ」
「そうかぁ?」
「昨日なんか、僕らのことは見えてないくらいの態度でしたよね。なにか心境に変化が起きるようなことでもあったんでしょうか」
「……知らねぇよ。なんでそこで俺を見るんだよ」
「いえ、なんとなく」
「グラン、これはどうするのだ?」
言い淀んだエレムに代わって、天幕から顔をのぞかせたルスティナが声を掛けてきた。手にはグランがクフルで買ってきたタオルと座布団の入った袋を持っている。邪魔だからとその辺に置いたきり、グランはすっかり忘れていた。
「クフルで店のやつらに話を聞くのに、話のきっかけに買っただけだ。邪魔じゃなきゃ使ってくれ」
「なかなか聞き込みらしい事をやっていたのであるな」
ルスティナは感心した様子でグランと袋を見比べ、嬉しそうに笑みを見せた。
「では、ありがたく使わせてもらうかな。グランにはもらってばかりだから、そのうちなにか礼をせねばなぁ」
ああ、言わなくてもいいことを。グランが返事に窮している間に、ルスティナがまた顔を引っ込めた。エレムが意味ありげな笑みを浮かべる。
「知らないうちにいろいろ頑張ってるみたいですね」
「な、なんだよ、俺は別に特別なことなんかしてねぇぞ」
「そうでしょうとも」
「ま、仲良くやってくれるならそれが一番だ」
それまで黙ってグラン達の様子を眺めていたエスツファが、ヘイディアの姿が見えなくなったのを見計らったように声をひそめた。
「それはそれとして、さっきはヘイディア殿の手前ぼかしていたのだろうが、夫人を見て、なにか感じた事があったのか?」
「あ、ああ……」
エスツファはキルシェと直接会ってはいないが、あの娘の操る古代魔法と妙な火の鳥のことは話してあった。
「左手の違和感は、フィリスとか言う火の鳥の警告だってキルシェは言ってたんだが……だとしたらあの夫人も、なにか魔法のような力を操るのかも知れない」
「法術を扱える者は、同じように法術の素質がある者を見抜けるそうであるが、法術とは違う種類の魔力を持つものは見て判らぬものなのだろうか」
「どうなんでしょう……僕はキルシェさんを見てもよく判りませんでしたが、もっと強力な法術を扱える方から見たら、また違うかも知れません。ラムウェジ様は、ランジュが普通の存在じゃないのを察しておられたみたいですし」
「……ヘイディア殿なら、夫人に会えばなにか判るかも知れぬな」
エスツファは腕組みしたまま自分のあごをなでた。
まぁ、夫人が仮になにかの力を持っていたとしても、それを誰かを害するために使いさえしなければ問題はないのだ。どんなものかもよく判らないのに、未知の力と言うだけで毛嫌いするのも逆に危険かも知れない。しかし、
「……気にいらねぇな」
「はい?」
思わずグランは呟いた。あのジルという子どもに姉などいないと判った時から、なんだか、胸になにかがつっかえたような変な感じがする。
「なんかさ、……目の前に『夫人が怪しい』って餌をぶら下げられて、こっちにこいって誰かに誘われてるような気がしないか?」
「餌……ですか?」
エレムがぴんとこないようすで首を傾げる。グランはエスツファに目を向けた。
「昨日の朝さ、クフルの子どもの話をしたら、あんたは『あまり深く考えなくてもいいんじゃないか』って言ったよな」
「ああ、子どもの言うことであるし、内容も漠然としすぎていたからな」
「確かにエレムは城を見てなにかおかしいものも感じた。でもそれも、もし子どもの話がなければ、あまり気にしないで済んだんじゃないかと思うんだよな」
確かに、あの島全体はなにか変だ。エレムやヘイディアの言う「変な雰囲気」というだけではない。集めた状況証拠は、城を含めた島全体、ひょっとしたら湖にもなにかがあるらしいことを示している。そして伯爵夫人も、どこか普通ではない。妙に若い見た目だけではなく、魔力らしいなにかを持っているのかも知れない。
だが、もし最初に、「姉を助けてくれ、伯爵夫人は魔女だ」という子どもの訴えがなかったら、エレムもよその町に話を聞きに行くほど掘り下げて調べようと思っただろうか。
確かに、城が変な感じだ、夫人も妙だ。でもこちらに取り立てて迷惑がかからなければいいと、軽くやり過ごして終わっていたのかも知れない。
「でも、島や湖については実際、不可解なことが重なってますよね」
「そうなんだよ。もう、クフルで子どもが言っていたことは、ただのきっかけになっちまってる。だからよけいにおかしくないか」
「……クフルで子どもが訴えたことで、普通なら気に留めなかったようなことにも敏感になってしまったというのは、あるかも知れんなぁ」
「確かにそういわれればそうなんですが……」
そこまで言って、エレムはやっとはっとした様子でグランに目を向けた。
「つまり、あの子の訴えは、言葉どおりに『誰かを助けてくれ』と頼むためじゃなく、城や夫人になにかおかしいものがあると匂わせて、僕らに注意を向けさせるためだったということですか?」
「ああ。たとえ本当に誰かが犠牲になってたりしても、それを子どもに言わせた奴の目的は、危険な目にあってる奴を助けるためなんかじゃない気がするんだ」
仮に子どもが言っていたように、夫人が「自分より若い者を食べて若さと魔力を得ている」事に近いなにかを行っているとしても、町の人間の大多数が気付いていないことなのだ。
まかり間違っても他国から姫と護衛の軍隊が立ち寄っているときに、怪しまれるようなことをするだろうか。
要人が町を訪れる。それも大国エルディエルの、五番目とはいえ継承権を持った姫が来るのだから、領主がもてなそうとしない方が逆に怪しまれる。本当は城には招きたくなかったが、形式上やむをえず……というのが、夫人としては本音なのかも知れない。
後ろ暗いことがあったとしたら、余計に、アルディラがこの町にいる間は、おとなしくしていそうな気がする。
「だとすると、その『誰か』の目的は、いったい何であるのか……」
「それなんだよなぁ」
城や夫人に対する不信感を煽り、自分達に情報を集めさせて、いったいなにをどうしようというのか。
「……とにかくこちらとしては、アルディラ姫が何事もなく過ごすのが一番であるからな」
エスツファは小さく肩をすくめ、思わず考え込んだ二人の肩を軽く叩いた。
「警戒するのはいいことだが、藪蛇にならぬようにほどほどにしないとな」
本当にそうだ。大事なことの優先順位をはっきりさせておかないと、出てこなくてもいい蛇やら竜やらまで呼び出す羽目になるかも知れない。
自分達は、見えないところで起きているかもしれないなにかを無理矢理暴いて正すような、正義の味方ではないのだから。