20.伯爵夫人の招待<前>
ヘイディアは自分の天幕に戻る前に、ルスティナに会ってクフルでの情報収集の進捗を報告したいという。
グランとランジュも一緒にヒンシア郊外の天幕に戻ると、ルキルアの部隊では休暇の兵士の交代が済んだ直後だった。宿では二日酔いで半死状態だった者たちも、いくぶん持ち直した様子で、あまり顔色がよくないながらも馬の世話や周辺の見張りやらにまわっている。
グランとランジュだけならともかく、今はヘイディアも一緒だ。形だけでもルスティナに取り次いでもらおうと、天幕のそばの衛兵に話している間に、二騎の騎兵が部隊に戻ってきた。片方の騎兵の背中には、半分くくりつけられるような格好でエレムがしがみついている。
「いやあ、馬に長時間乗るのって、なかなか大変なものですね」
つきあってくれた二人の騎兵に礼を言いながら馬から降りたエレムは、なんだか足下がおぼつかない様子だ。振動で平衡感覚がおかしくなっているのだろう。
それでもなんとか自分の足で立つと、だいぶ疲れた笑顔を見せた。
「おや、ヘイディアさんもご一緒で、なにかあったんですか?」
「あ、ああ……」
そういえば、クフルで子どもに直接話を聞いてみるという話になったのは、エレムが出発してからだった。
ヘイディアはエレムを見ても申し訳程度に頭を下げただけで、目もあわせず、特になにも言おうともしない。それでも昨日のまるっきり無視よりは、マシなのかも知れないが。
「クフルで、例の子どもを捜してたんだよ。本人にどういう事か、ちゃんと聞くのが一番判りやすいと思ってさ」
「あ、言われてみればそうですね……」
どうやら、城の印象の方がエレムには強烈だったようだ。
ルスティナに声を掛けに行っていた衛兵が呼びに来たので、彼らはそのままルスティナの天幕に入った。
「おお、皆戻ったか」
ルスティナはグランとエレムを見て嬉しそうに笑みを作り、ランジュの頭を撫でてから、少し離れたところに立つヘイディアに近づいた。
「ヘイディア殿、グランに子どもの特徴だけでも教えてもらえればと思ったのだが、わざわざクフルまで出向いて協力してくれたとか。忙しい中ありがとう」
「いえ、もとは私が子どもに声を掛けられたのが始まりでございますから」
ヘイディアは静かに返したが、淡々としているようで表情はだいぶ柔らかい。グランやエレム相手の時とは、天と地ほどとは言わないが、地面の石畳と城壁の上くらいの差がある。
オルクェルやエスツファとは普通に話をしているから、貴族でも軍人でもないグランとエレムなど、まともに相手にしたくないとでも思っているのだろうか。仕える神は違っても、同じ神官なのだから、エレムの方が身近ではないかとも思うのだが。
いや、出会ったときよりはほんの少し……本当にほんの少し、ましになっているから、やはり人となじむのに時間がかかる性格なのかも知れない。
「エレム殿も戻ってきた事だし、それぞれの話を聞かせてもらえると助かるな」
考えてみたら、ヘイディアが子どもに話しかけられた時にエレムもいたというのに、この二人があの件の話の場に居合わせるのは、これが初めてになる。
ヘイディアはちらりとエレムを見てなにか言いたげにしたが、結局黙ったまま、敷物の上に全員と円を作って向き合った。ランジュだけは少し離れたところに寝そべって、かばんから出したうさぎと勝手に遊んでいる。
グラン達の報告は、ごく簡潔だ。
子どもには会えなかったが、その当人と思われるジルという子どもには姉もいなければ、同じ村に姉と呼ぶほど親しい間柄の娘もいないらしいこと。しかしその後のヘイディアやエレムの城への印象もあわせて考えると、ただのいたずらとは考えにくい。こちらの知らない第三者から依頼されて、ヘイディアに接触したのではないかと思われる。
「……となると、その依頼した『誰か』の意図はなんなのか、がまた問題になってくるな」
「使用人の安全について他者に訴えたことが領主側に知られると身に危険が及ぶ可能性があって、全く無関係な子どもに依頼した、というのは考えにくいでしょうか」
「ふむ……」
ルスティナは考えるようにあごに手を当て、意見を求めるようにグランを見た。グランは小さく息をつき、結局黙って首を振った。
「……そのことについては、後でまた考えることにしようか。エレム殿の方はどうであった?」
「はい、行った町のレマイナ教会で一晩泊めていただいて、話を聞いてきました」
話を振られ、エレムはまだ疲れの抜けきらない顔で答えた。
「確かに、これまでにも何度も、教会をヒンシアに置かないかという話は出たそうなんですが、そのたびに立ち消えになってしまうそうです。ある程度まで話が進んで、立地などを見るために、教会の司祭や経験ある神官が町の様子を見に行くと、やはりやめようということになると」
「ほう?」
「法術の素質のある方が見ると、湖上の城から感じられる雰囲気が異様なのだそうです。それでも、ヒンシアの町自体は問題もなく栄えていますし、領主のクレウス伯爵夫人も、見た目が若く美しいだけで特に問題のある領主ではないですから、面と向かって『城の雰囲気がおかしい』とは言えないでいるうちに、話がうやむやになってしまうようですね」
確かに、好みの男女を周りにはべらせている程度なら、貴族の素行としては許容範囲内だろう。人を集めるのに強引な手段をとっていたり、領地を疲弊させるほど浪費しているというのならまた別なのだろうが、ざっと町の様子を見る限りそういった問題はなさそうだ。
「なぜ城の雰囲気がおかしく感じるのか聞いてみたんですが、僕が伺ったときはちょうど、法術を使える方が留守にしていて、詳しく聞くことはできませんでした。ただ、その教会に長く勤めてるという年配の神官の方が言うに、……ヒンシアの領主は、代々、歳を取らないのだそうです」
「歳を、取らない?」
昨日役場で出会ったクレウス伯爵夫人の姿を思い出して、グランは思わずルスティナに目を向けた。ルスティナも視線が合うと、なにかを考えているようで小さく頷いた。
「若作りしている、若く見えるというのとはなにか違って、まるである低度の年齢になるとそこで老化が止まってしまったのではないかと思わされるくらい、若々しいままなのだそうです」
「……そういう体質の家系とか?」
「だったら全員とは言わなくても、一族の他の方にも同じように、見た目が若々しい方がいるはずですよね。そうではなくて、領主になって城を継いだものだけが、いつまでも若々しいんだそうです。不思議に思って聞いても、古い城だからなにか守っているものがいるのかもと、笑ってかわされるそうで」
そういえば、役場で助役の男が、言い伝えで火の蛇がどうとか言っていた。その真偽はともかく、町の人間も、昔からなにかおかしいものは感じていたのかも知れない。
「ただ、いくら見かけは若く見えても、当然ですが死からは逃れられないんですよ。先代の領主……今の領主の父親が亡くなったとき、埋葬に関わった方が教会にいたので話を聞いたんですけど、埋葬の前に参列者が遺体の顔を見るのを、許されなかったそうなんですね」
病気などで生前とあまりに顔つきが変わってしまうと、見せないことはままあるが。
「事故で亡くなったそうで、まだ五〇歳前だったそうです。でもその立ち会った方がたまたま見た遺体の顔は、もうそれこそ九〇歳とも一〇〇歳ともいってもおかしくないほどの老人にしか見えなかったというんです。手足も首も細くてしわしわで、まさか別人の遺体を入れたのかと思ったくらいだったとか」
「五〇歳っていったら、普通に生きててもそこまでしわくちゃにはならねぇよなぁ……」
生きている間は若々しく見えるのに、死んでしまうと実際よりも老けて見えるなど、おとぎ話にでてくる悪い魔女のような話だ。
何気なくそう思ってから、グランは薄ら寒いものを感じて思わず首をすくめた。
『伯爵夫人は魔女だ、いつまでもきれいで年を取らないのは、もっと若くてきれいな女の人を食べて、命を吸い取ってるからなんだ』
「それと、湖上の島が、沼であった頃から水際の位置が変わらないことも、やはり有名でした。数十年前に、大規模な渇水があって湖の水位が大幅に落ちたことがあったそうなんですが、その時も島の水際は同じだったそうです」
「渇水の時でも同じ?」
湖になって水位が上がると同時期に、島も隆起した、というのなら、渇水の時は水際より下の部分が見えないのはおかしい。
「浮島? ……だと石造りの城を支えるのは難しいな。なんなんだいったい」
「領主側は『ヒンシアの七不思議』だくらいに、開き直ってるようですけどね」
沈まない島に、歳を取らない領主。法術師の嫌がる町……
「お揃いであるな」
静まりかえった中、不意に天幕の入り口からエスツファが顔をのぞかせた。