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18.風の神官と水辺の街<中>

 ヒンシアからクフルに行くのは、川の流れに逆らう形になるので、前よりも船に乗っていた時間は多少長かったろう。その時間を、ヘイディアのせいで何倍にも感じながら、やっと船はクフルに到着した。屋根のない場所にいたのは同じなのに、船を下りたらやっと呼吸がしやすくなったような、不思議な開放感まである。

「……で、どの辺りで声を掛けられたんだって?」

「市場を回って、川沿いの店に行くという話を聞いた頃です……」

 エレムとヘイディアが一行から離れていたのは、アルディラが川沿いの高級菓子店で少し遅めの昼食を取って、グランがぐったりしていた頃のはずだ。その前まで歩いていた市場の通りを思い出しながら歩いていくと、不意にランジュが外れにある屋台を指さした。

「あの店のお焼きが美味しかったですー」

「お焼き?」

 見れば中年の男が、火鉢の上で熱した鉄板に、小麦で作った厚めでひらべったい丸い生地を並べて焼いている。どうやら、中に具を詰めたパンを売っている店らしい。どれも形は同じだが、微妙に色が違うものもあるので、中身は何種類かあるのかも知れない。

 グランがアルディラにひっぱり回されてた間に、どれだけ食べものを与えられていたのか。見た目が子供だからって甘やかしすぎではないのか。

 しかし、ランジュの記憶にあるのだから、一昨日もこの店はここにあったわけだ。とりあえずこのあたりから話を聞いて見るかと思ってヘイディアを見ると、ヘイディアはそこまで思い至らないらしく、きょろきょろ辺りを見回しているだけである。

「とりあえず、あの店の奴に聞いてみようぜ。子どもの特徴は?」

「店の方に声を掛けるのですか?」

 おいおい、そこから説明しないとぴんと来ないのか。グランは露骨に大きな溜息をついた。エレムならここで、さくさく近づいて話しかけてるのに、気が回らない女だ。

「ランジュがあの店を覚えてるんだよ。一昨日もあそこにあったんだから、あんたに近づいてきた子どもの事もなにか知ってるかもしれないだろ」

「ああ、そういうことですね……」

 大丈夫かこいつ。同じ場所に来れば、探している子どもが同じように出てくるかとでも思っていたのだろうか。

 ヘイディアはやっと、納得いったように頷いた。相変わらず硬い表情のまま、屋台の方に近づいていく。ランジュがその横にくっついていくが、なにか買い与えられると思っているのだろうか。

「あの……」

「いらっしゃい、今なら焼きたてだよ、いくついるかい?」

「あの、そうではなくてちょっとお伺いしたいことが」

 露店のオヤジに接客用の笑顔で元気よく応対され、ヘイディアは逆に気圧された様子で首を振る。そこそこ美人だが愛想もなにもないヘイディアを、オヤジは露骨に胡散臭そうに見返した。

「なんだい冷やかしか? 買う気がないならどいてくれよ、ほかの客の邪魔になるだろ」

「いえ、あの……」

 市場の人間は威勢がいい。悪気がない言葉でも、威圧的に聞こえるのかも知れない。明らかにヘイディアが困っているので、グランは小さく息をついた。左腕でランジュの体を抱え上げ、いい色に焼かれているパンを眺めながら、ことさら大きな声でランジュに話しかける。

「ほら、お前がこの前買ってもらったのはどれだよ?」

「パンに黒いつぶつぶが練り込んでありましたー」

 買ってもらえそうな展開になったのに気付いて、ランジュが嬉しそうに鉄板を指差した。店のオヤジはふたりに顔を向け、ランジュを見てなにかを思い出したように笑みを見せた。

「嬢ちゃん、また来てくれたのか、そんなに旨かったかい」

「パンの中に豆がいっぱい入ってて美味しかったですー」

「ああ、ひつじ豆の奴だろ。あれもいいが中に野菜と魚が入ってるのも旨いぞ。兄さんも食ってみないか?」

 そういえば、いきなりヘイディアが宿に来たものだから、グラン自身は朝になにも食べる暇が無かった。

「じゃ、俺は両方食ってみるかな。あんたはどっちがいい?」

「え? 私は……」

 突然自分に話が振られて、一歩引いて彼らの様子を見ていたヘイディアが、戸惑った様子で目をしばたたかせた。まったく、店をやっている奴相手に話を聞こうと言うのに、機転の利かない女だ。

「じゃ、あんたとランジュはひつじ豆のを半分こな。おっさん、悪いけどひとつは半分に割ってくれねぇか?」

「いっこ食べられますー」

「お前はさっき朝飯食ったばっかりじゃねぇか」

 不服そうに声を上げたランジュを見て、店のオヤジは大きく笑った。鉄板の上のパンをひとつ、木のへらで半分に割り、豆がこぼれないように油紙ではさんでランジュとヘイディアに差し出した。

 ここで受け取らなかったら、さすがにあとで説教だな。そう思って見ていたが、喜々として受け取ったランジュから少し遅れ、ヘイディアもおずおずと手を伸ばした。グランはランジュを降ろし、代金を渡して自分の分を受け取った。先に、野菜と魚が入っているという方にかじりついてみる。

「……川魚だから生臭いかと思ったら、旨いなこれ」

「香草で燻製してからほぐして混ぜてるんだよ。酒の肴にもいい」

「やめろよ、朝から飲みたくなるじゃねぇか」

「麦酒ならそこの角の店にあるぞ」

 男達の会話の下で、ランジュが豆をこぼさないように必死でパンにかじりついている。

「おっさん、俺の連れがこの間世話になった子どもを捜してるんだが、心当たりないか」

「子ども?」

「その女がおとといさ、腕輪の紐が切れちまって、石がばらばらになっちまったんだよ。たまたま近くにいた男の子が一緒に拾ってくれて、一粒もなくさずに済んでさ」

 グランは言いながら、パンを口に入れるかどうか悩んでいるらしいヘイディアに目を向けた。

「ちゃんと礼を言いたいって聞かないから、連れてきたんだ。なぁ、どんな子どもだったっけ?」

「あ、はい……。ちょっと暗い色の赤毛で、背はこの子より少し高いくらいで……」

 戸惑った様子が抜けきらないながらも、ヘイディアは服や顔立ちの特徴を思い返すように、とつとつと話し始めた。その間に、ランジュは自分に与えられた分を食べきってしまい、物欲しそうにグランを見上げている。

 しょうがないので、グランは自分が食べていたものを更に半分に割って渡してやった。

「ああ……それなら、ジョットさんとこのジルじゃないかな。週に何回か、近くの村から来て野菜を売ってるが、今日はいないかも知れないな」

「この町の子どもじゃないのか?」

「ああ、もう少し上流にある村から親子で来てるんだが、乗せてくれる船が出ない日は来られないんだよ。いつもここから三つめの角を曲がった辺りで店をだしてるから、その辺の奴らに聞いてみるといい」

「そうか、助かったよ」

 やっておいてなんだが、こういう爽やか交流系はガラではない。背中がなんだかむずがゆい。

 ヘイディアはしばらく考えて、やっと決心がついたらしく、受け取ったパンを口に運んでいた所だった。口に入れてすぐ、少し驚いたように素朴な仕草で唇を指で押さえた。

「美味しいものですね、これ……」

「だろう、もう一〇年、これでこの店やってるんだ」

 オヤジは屈託なく笑った。ランジュはグランが分けた分もすっかり食べきって、やっと満足したようだ。


 ヘイディアは歩きながら食べることができないらしく、結局グランも買った分をその場で一緒に食べ切ることになった。食べるのを戸惑っていたのも、立って食べること自体に抵抗があったからのようだ。旨いものは立ってようが座ってようが旨いものだが。

 店主に手を振って店を離れ、人波をかき分ける。時折ランジュのえり首を引っ張りながら、教えられた角へ行くと、たしかに露店ひとつ分空いた場所があった。

 その横がいい具合に水売りの屋台だった。グランは、自分とランジュに果実水を、ヘイディアには檸檬水を買いながら、水売り屋台のおばちゃんに、さっきのオヤジにしたのと同じ事を話してみた。

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