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16.湖上の城主と皓月将軍<後>

 しょせんは年増の若作り、白粉で皺を埋めて紅をべったり使って頑張っているのだろうとグランは思っていたが、どうもそんな感じではない。

 どんなに上手に化けたところで、年齢から来る首やあごのたるみや手指の皺はごまかしきれないものだ。だが、そういった、年相応にあるはずのものがグランの目では探せない。

 無理をして若作りしている風には見えないのに、それでも見た目はルスティナのほうが「大人」の女に見える。化粧分をさっ引いたところで、四〇を過ぎているという話は信じられないくらいだ。

「領主のクレウスでございます。せっかくお立ち寄りいただきましたのに、ご挨拶にも伺わず申し訳ございません」

「いや、こちらこそ快く郊外での駐留を認めていただき感謝している」

 ルスティナは紅以外は化粧らしい化粧をしていないから、もしあの女が化粧を落としたら、容姿的には圧倒的にルスティナの方が優位だろう。もちろんルスティナは、そんなことを比較して喜ぶような女ではないから、いきなり現れた女領主に圧倒されることもなく、差し出された手を取って握手を交わしている。

「アルディラ姫へのご挨拶に伺った帰りに、皆の様子を見にこちらに立ち寄ったのですが、閣下がお見えで幸運でございました。皓月将軍のお噂を聞いて、どのようなお方かと思っておりましたの。お目にかかれて嬉しゅうございます」

「届いているのが良い噂であればよいのだがな」

 軽い苦笑いを浮かべたルスティナに、艶やかに余裕の微笑みを返すと、夫人は後ろに立ったままのグランに目を向けた。ルスティナを見るのとは少し輝きの違う、上目遣いの目が黒髪の傭兵を映す。

「この方もルキルア軍の方でございますか。お美しい殿方でございますね」

 改めて聞かれると、俺の立場って説明しにくいな……。簡潔な説明が思いつかなかったらしく、ルスティナも曖昧に頷いた。

 夫人はそれをどうとったのか、グランの方に一歩踏み出すと、ルスティナにしたのとは違う形に右手を伸べた。ドレスと同じ色に塗られた爪についた小さな石が、きらきらと光を放つ。

「名前を伺ってもよろしいかしら?」

 手の甲を上にして伸ばしているから、これは跪いて手を取れと言うことなのだろう。察しはついたが、なんだって今初めて会った女相手に、自分が膝をつかなければならないのか。

 しかし一人ならともかく、今のグランはルスティナの連れでもある。露骨に振り払うわけにもいかない。

 グランは品よく微笑み、自分の胸元に右手を添えて優雅に頭を下げた。

「名乗るほどの立場ではございません。お目に留めて頂いただけで光栄にございます」

 グランだってやればこれくらいはできる。本当は頭を下げるのだってしたくはないが、跪いて手を取るよりは全然マシだ。

 グランの仕草を見て、夫人の後ろに控えていた従者達が、羨望と嫉妬のため息をついたのが判った。流れ者の傭兵風情が、夫人の手の甲に敬意を表する権利を放棄したのが不愉快な様子だ。

 夫人が連れ歩いているのは、全員が若く見た目も悪くない男ばかりだが、どうしたってグランには劣る。そうでなければ夫人が、ルスティナが紹介もしない男にわざわざ声を掛けてくるわけがない。

 手を取る気はないのは充分伝わったらしく、夫人は潤んだ瞳で残念そうにグランを見返し、ルスティナに視線を戻した。

「次の予定があるので、失礼いたしますわ。どうぞご滞在中、この町でよい気分転換をされていってくださませ」

「うむ、心遣い感謝いたす」

 夫人は軽く膝を折って礼をすると、グランにもう一度艶っぽい視線を向けて、また玄関の扉に向けて歩き出した。男の好みそうな仕草のツボは心得てるようだ。

 後ろに控えていた従者達がさっと夫人のために道を作り、またぞろぞろと従っていく。なかなかよく訓練されている。

「……グランもなかなかやるではないか」

 脇に控えていた役場の者たちも夫人達を見送りに外に出て行ってしまい、いっきにがらんとしたホールの中で、ルスティナが感心したようにグランを見た。

「あれほどの美人であるから、喜々として手を取るかと思ったのだが」

 こいつは鏡を見たことがないのか。つーか俺ってどんな評価されてんだ。いろいろ言いたいことはあったが、グランの口から出た言葉はひとつだけだった。

「……触りたくなかったんだよ」

「え?」

 グランは左手を大きく広げて、顔の横で踊らせた。

「あの女が寄ってきた辺りから、手のひらが変なんだよ。虫の粉でもかかったみたいに、変にちりちりするんだ」

「それは……」

 ルスティナが心配するように眉を曇らせる。

 カオロの町で感じたのと同じだ。キルシェが言うには、『フィリスが警告している』ことらしいが。

 相手に殺意や敵意があれば、グランにもそれはある程度は見抜ける。だがあの夫人には、こちらに対する興味はあっても、害意と思えるようなものはなにもないようだった。

「エレムかリオンでも居れば、あの女を見てなにか感じたかもな」

 法術を扱える者は、法術の素質がある者をある程度見分けることができるらしい。もし夫人に、法術に近い力を扱う素質があるなら、彼らならなにか感じ取れるかも知れない。エレムは……、自分でもうまく扱えないくらいだから、あまりアテにならないかも知れないが。

 それに、なにかしらの力を扱えたとしても、それと城の変な雰囲気と関係があるのかと問われれば、それもまたよく判らない。

 夫人が乗り込んだ馬車が見えなくなる頃には、左手の違和感もおさまった。グランは小さく息を吐いた。



 夕暮れが近くなって、湖からの風も幾分冷たさを含むようになってきた。

 夕映えの中、深くなりつつある空の色の下で、湖上の城は淡い太陽の光を浴びて佇んでいる。古びた外観により風情が増して、見ていて確かに美しい。

「島のみかけは、古い絵とほとんど変わらぬなぁ……」

 柵によりかかるように湖を眺めていたルスティナが、どう捉えればいいか判らない様子で首を傾げた。周囲は街灯が灯され始め、昼間賑わっていた屋台もだいぶ減って、夕暮れ時の城を見に来た者達が同じように柵の近くから城を眺めている。男女連れ立っている者も多い。

「確かに、これで夜になり月も昇れば、さらに幻想的になろうな」

 栗色の髪と銀色のマントを風に遊ばせながら、ルスティナが呟く。淡い夕陽を受けたマントが光を反射して、まるで月の光をまとっているような神々しさすらあるのだが、本人は全く気付いていない。

「じきに月も昇るだろ。せっかく来たんだし、もう少し見ていけばいいじゃねぇか」

「いや、もう戻らねば。本当なら天幕で一日待機のところだったのを、口実を見つけて抜けだしてきたようなものだし」

 ルスティナはグランに顔だけ向けて笑みを見せた。

「休んでもらわねばならなかったのに、つきあわせて悪かったな」

「いや……」

 二人きりで町を散策など、風景や状況的にはとてもいい雰囲気になってもおかしくないはずなのに、まったく色気めいたもののない一日だった。相手がルスティナでは、これでも上等なのだろうが。

「エレムの奴も、一回気にしだしたらしつこいからな。明日あいつが早く帰ってくるようなら、クフルまで戻って問題のガキを探してみるよ」

「確かに、話を持ち込んだ当の本人聞くのが一番良いな。『領主が魔女らしいがなにか知らぬか』と、そのあたりの者達に聞いてまわるわけにもゆかぬ」

 頷いてから、ふとなにか思いついた様子で、ルスティナは自分のあごに指で触れた。

「それなら、エレム殿を待たなくても、ヘイディア殿に子どもの特徴を教えてもらうのが早いかも知れぬ。一緒にクフルに行ってもらえれば一番良いのだろうが、ヘイディア殿も都合がおありだろうからな」

 そういえば、始まりはヘイディアが町の子供に声を掛けられたことだった。でもあの女と一緒に行動するのは、できれば勘弁してもらいたい。

 露骨に顔に出たらしく、ルスティナがおかしそうに眼を細めた。

 結局、休んでいる暇などないのだ。

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