15.湖上の城主と皓月将軍<中>
この町の人間なら、郊外にエルディエルとルキルアの部隊が駐留しているのは知っているはずだ。エスツファが先に町に入っているから、ひょっとしたら役場にも挨拶に来ていたかも知れない。
衛兵の一人が慌ただしく建物の中に入っていくと、それほど間をおかずに助役とかいう中年の男が飛んできた。子供が粘土で作ったような丸みのある体つきで、グランより頭ふたつ分は背が低いのに、へこへこと頭を下げるものだから、薄くなって横縞の入った頭頂部分がとても目立つ。
「これは、ルキルア軍のルスティナ総司令閣下であらせられますか。わざわざお越し頂き恐縮にございます」
「いや、せっかく立ち寄ったのだから、見物ついでにこの町のなりたちや歴史などを簡単に知っておこうかと思ったのだ。普通の旅人と思って、適当に放っておいてくれて構わぬよ」
「それでしたら、私めがご案内をさせていただきます故」
当の本人はのんびりしたものだが、迎える方はやはりそうはいかないのだろう。結局助役に先導されて正面の階段を上がると、そこには大勢の人が集まれる広い空間があった。休憩所と展示室とを兼ねているようだ。
壁際には書棚と、あいている壁には絵や図が掛けられていて、ホールの所々に置かれた椅子とテーブルで休憩や調べ物をしている者達もいる。
壁に描かれた、ヒンシアとクフルを含めた付近一帯の大きな地図を示しながら、助役の男はへこへこと説明を始めた。
「創始されたばかりのエルディエル公国が今の三倍ほどの領地を持っていた頃の記録に、ヒンシアの名前が既にございます。その頃はヒンシアとクフルを含むこの一帯は、小さいながらひとつの国でございました。今、領主の住まいになっているカルヴィラ湖上の城は、当時の王の居城跡でもございます」
あの湖にも名前があるのだ。考えてみれば当たり前だが。
「なるほど、思っていたよりも町も城も歴史あるものなのだな」
「はい、昔は今の三分の一ほどの大きさの沼でありました。それが、戦乱期に水攻めを受けた時の堰を逆に利用し、水に強い町として生まれ変わったのでございます。その時に町の一部は水没し、川と湖はつながって、今のような地形になったのです」
「ほう、周りの地形は変わっても、当時から美しい城であったのだな」
掛けられている湖上の城の古い絵を眺めながら、ルスティナが感心した様子で頷いた。
ルスティナはまだ実物を見ていないから反応も当たり障りがないが、見た感じ、島の形はグランが今朝見たときと変わらない。エレムが言っていたとおり、沼であった頃と、湖として存在する今とで、島の周りの水位は変わっていないように見える。
「……水攻めにあったとき、町の人間も城に逃げ込んだって聞いたんだが」
グランは、今朝クフルから乗ってきた船の船頭の話を思い出しながら聞いてみた。
「丈夫そうだけど、そんなにでかい城じゃねぇよな。町の人間は援軍が来るまで、どうやって城の中で持ちこたえたんだ?」
「当時は、町の規模も今よりずっと小さくございましたからね」
よく聞かれる質問らしく、助役はすらすら答える。
「それに、町全体の人間がすべて城に逃げ込んだわけではなく、半数以上は城ではなく、沼を越えて山に逃げたという説が、学者の間では有力でございます。当時はもっと狭い沼でしたから、川を越えてしまえば沼の岸辺から向こうに行くことも容易でした」
「ふうん……」
「昔より周囲の水位が上がっているのに、今と昔で島の形も変わらず、城に水も届かないままだという話を聞いたが、なにか地形的な理由でもあるものなのか?」
古い沼の絵と、最近描かれたものらしい湖上の城の絵を見比べながら、ルスティナがなにげない顔で訊ねる。
「ええ、そのあたりは学者の中では考察が続いておりまして、今でもまだはっきりとした答えは出ておりません。しかし実際に城はいまもああして建っておりますから、人工湖ができあがった時期に偶然、地形が変わる時期が重なったのだろう、と推測されております」
「大きな地震もなきゃ火山も近くにないんだろ? この辺りのほかのところは変わらないのに、島だけ高く盛り上がったりするか?」
「ですから、一部の学者の推測でございますよ。はっきりと判るのは、それこそ神のみぞというところです」
グランの遠慮のない声に多少むっとした様子を見せたものの、ルスティナの手前、助役はすぐに笑みを取り繕った。
「神といえば、年寄りなどは、湖に棲む火の蛇が城と町を守っているのだと、申したりはします」
「火の蛇? 湖なのに?」
「もちろん正式な記録にはございませんが、この町が水攻めにあい、島に逃げようとする町の者を捕らえようと敵勢が攻め込んできたときに、沼から現れた火の蛇が敵勢を威嚇して、その隙に皆城に逃げ込んだのだという言い伝えがございます。湖が沼であった頃から、水質はよいのに魚が棲まないことで知られていたのですが、それも火の蛇が餌として食べてしまうからだとも、あるいは蛇を怖れて魚が棲まないのだとも言われております」
「ほう……」
「カルヴィラという名前は、この地方の古い言葉で、『燃える蛇』という意味があります。かなり古くから、そのような言い伝えがあったのでございましょう」
だんだん胡散臭くなってきた。
しかし、魚も棲まないことや島が水没しないことは昔から不思議がられていた、というのは判った。自分達に理解できないものの理由を、神様だとかに押しつけるのはありがちなことだ。
一通りの説明で、とりあえず知りたいことは聞けた。お茶でも出そうという助役の申し出は断って、二人は役場を出ることにした。本当なら市長が挨拶させてもらうのだが、今はアルディラ姫の歓迎に云々と、助役がつらつら言い訳をし始めたところで、階下が騒がしくなった。
「クレウス伯爵夫人がお見えでございます」
下っ端らしい役人が、慌てた様子で助役に声を掛けに来た。助役は二人にへこへこと頭を下げると、今度は転がるように階段を駆け下りていく。グランとルスティナは顔を見あわせ、助役の後を追うように階段を下りた。
玄関前の広間では、領主を迎えようと数人の役人達が扉の両脇に並んで待ちかまえている。ふたりが階段を下りきったのと、開け放たれた扉から真っ赤な人影が入ってきたのはほぼ同時だった。
後ろに何人もの従者を従えているが、見た目は確かに娘と言ってもいいくらいの若い女だ。下品でない程度に鮮やかな赤いドレスが、この色気のない役場の中ではとても目立つ。
金色の髪を大きく結い上げ、それを頭の後ろでまとめて、それなりに落ち着いた雰囲気ではあるのだが、見た目が若いのでまったく老けた印象を与えない。
「これはこれは、ルキルアのルスティナ総司令閣下であらせられますか」
長いまつげの下の緑色の瞳がルスティナを映すと、女は手に持った扇を口元に寄せて優雅に微笑んだ。