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11.お兄様対元騎士様<中>

 どうせすぐそこまで来ているのは判っている。ルスティナは髪から手を離すと、簡単にテーブルの上の書類を片付け始めた。天幕の外で形だけは待っていたオルクェルが、兵士が場所をあけるのを待ちきれないように、いそいそと顔をのぞかせる。

「執務中失礼いたす、市街でエスツファ殿に会ったら、今日明日はルスティナ殿は隊の天幕で待機と言わ……」

 言っている途中で、グランがいることに気付いたらしく、勢いづいていたオルクェルの声が一気に調子を落とした。それでも、昨日の件を思い出したのか、取り繕うようにグランにも笑顔を見せた。

「これはグランバッシュ殿、昨日は姫のお相手、大変ご苦労であった。姫もすっかり上機嫌で従者も皆助かっている」

「あ、ああ……」

「やはりエスツファ殿が元騎士と呼ぶだけあって、それなりの格好をすると品があるのだな。姫のお目にとまるのも無理がないかも知れぬ」

「それなりの?」

 グランはそのあたりのことは、あまり触れて欲しくないのだ。しかし、立ち上がったルスティナが関心を示したので、オルクェルはここぞとばかりに大きく頷いた。

「姫がどうしてもというので、グランバッシュ殿の為に上下揃いの背広をしつらえたのだ。貴族の執事もかくやあらんという見栄えであった。姫の腕を取って歩く姿など、忠実な従者といった風情で様になっていたな。とても似合いの二人であった」

「従者じゃなく子守だ、子守。腕は勝手にしがみつかれたんだ」

「グランはもとの見栄えがよいからな。姫が満足されたのであればよかった」

 お前ら人の話を聞け。グランの心の叫びなど届いた様子もなく、ルスティナはなにを想像したのか、微笑ましそうに頷いている。

「それで、その……私もクフルの町で姫に同行しているときに、これはルスティナ殿に役立つのではと思うものを見つけたのだ。ぜひ遠慮せず納めてもらいたいのだが」

「私に?」

 ルスティナが首を傾げる。オルクェルが、席を外せとでも言いたげにちらりとグランを見て咳払いをしたが、グランは素知らぬふりで横を向いた。

 オルクェルは気を取り直すように襟を正すと、慣れた様子で指を鳴らした。天幕の外で待っていた従者が、二人がかりで白い布のかかった大きな板のようなものを運び込んできた。

「クフルは織物や布細工が盛んで、エルディエルで見かけるものにも引けを取らぬものが多くあったのだ。ぜひこの旅の間でも使ってもらえればと……」

 言いながら、少し離れたところに従者が置いたそれの、かけられていた白い布をオルクェルが取り払う。それは折りたためるようなついたてにかけられた壁掛タペストリーだった。全体的に白い地に、広い川と草原と空とを織り込んで、派手ではないが風景画のように美しい。

「これは……見事であるな」

「壁際に飾ってもよいし、間仕切りに使っても便利であると思ったのだ。少しは天幕の中も華やいで、気分も変わろうというもの」

「オルクェル殿はやはり気遣いの人であられるなぁ。心遣いに感謝いたす。ありがたく使わせていただこう」

 ルスティナは素直に厚意だと思っているらしく、屈託なく微笑んだ。いや、違うから、それ。

 オルクェルは嬉しそうに頬を緩めると、グランの冷ややかな目に気付いて慌てて表情をただした。

 その目がふと、テーブルの上の櫛と髪留めを見て、探るようにルスティナとグランを見返した。もちろんルスティナは、そんな様子には気付かない。

「オルクェル殿も多忙な身であるのに、わざわざこのような事で足を運んでいただいて恐縮であるな」

「いや。実を言うと、これだけというわけでもないのだ……」

 用が済んだらさっさと帰れとグランは思っていたのだが、オルクェルは従者を下がらせると、なにやら愁いを含んだような表情になった。

「実は、ヘイディア殿がルスティナ殿にも相談したいことがあると言うので、一緒に連れてきたのであるが」

「ああ……ルアルグの神官殿か」

「私には、どう判断すればよいのかいまひとつなのだ。差し支えなければ、少し話を聞いてもらえぬであろうか」

「なんであろう?」

 エレムの話を聞いていたグランは内容の察しがついたが、ヘイディアからも状況の説明が聞けるならそれに越したことはない。

 促されて入ってきたヘイディアは、ルスティナを見て好意的な笑みを見せた。その視線がグランに向いたとたん、あからさまに冷たい目つきになった。

「ルスティナ様、確たる裏付けがある話ではないので、できればお人払いをお願いしたいのですが……」

 丁寧な申し出ではあるが、ここで払われるような立場の人間といったらグランしかいない。ヘイディアは明らかに、グランは邪魔だと言っているのだ。

 形としてだけなら、確かにグランなど兵士以下の立場だろうが、ちょっとあからさますぎる気がする。それに、ヘイディアも昨日アルディラの護衛についていたのだから、グランがアルディラに気に入られるような事情があるのは判っていそうなものだ。さすがにオルクェルも、はらはらした様子でグランとヘイディアに交互に視線を向けた。

 だがルスティナは、ヘイディアの言葉をあまり深く捉えなかったらしく、穏やかに微笑んだ。

「確かにグランは正規の兵士ではないが、信頼できる大事な客人だ。兵士ではない故に、逆に我らでは見過ごすようなことにも気付いてくれるかも知れぬ。国家機密級の大事などというのでもなければ、同席してもらった方が私も助けになる」

「左様でございますか……」

 渋々頷いたヘイディアの後ろで、オルクェルがほっとしたようながっかりしたような複雑な目でルスティナを見やっている。

「実は、昨日は私も、アルディラ様の護衛をされるオルクェル様に同行させて頂いたのですが」

 テーブルをどけ、敷物の上に円をつくって座ると、ヘイディアはあまりグランの方は見ようとしないまま話を始めた。

「昼を過ぎた頃に、町の子どもに声をかけられたのです。なにやらせっぱ詰まった様子で袖を引くので、オルクェル様やほかの者に声をかける間もないまま、人の目のない路地までついていったのです。そこでその子どもに『領主の城に働きに行った姉を助けて欲しい』と訴えられました」

「ほう……?」

「領主の城で働くなど喜ばしいことではないかと申したのですが、その子どもはなにやら怯えた様子で『領主は魔女だ、いつまでも若く美しいのは、自分よりも若く美しい娘を食べて、命を吸い取っているからだ』と言うのです」

「聞けば、ヒンシアの領主のクレウス伯爵夫人は、成人した子どもを数人持っていながら、外見は二〇歳ほどに若く美しいという話なのだ」

 さすがに怪訝そうな顔のルスティナに、オルクェルが付け加えた。

「穏やかな話ではないので、もう少し詳しく聞こうかと思ったのですが、そこを町の者が通りかかったところ、子どもは慌てた様子でいなくなってしまったのです」

 エレムの話と大体同じだが、なぜヘイディアはエレムが一緒だったと言わないのだろう? グランは思わずヘイディアの表情を伺った。

 しかしヘイディアはグランの視線に気付くどころか、こちらをあえて見ようともしないまま、まなざしだけは真摯にルスティナを見つめている。

「それだけなら、子どものいたずらか、あるいは思いこみかとも片付けられるのですが……」

「確かに、それだけの話ではなんとも言い難いが」

「それが、先ほどこの町に着きましたところ、湖に近づくにつれてなにやら嫌な感じがいたしまして」 

「嫌な感じ?」

 エレムもそんなことを言っていた。思わずグランは問い返したが、ヘイディアはやはりグランに目を向けようとしない。ルスティナもさすがにおかしいと思ったらしく、グランと目を合わせて小さく頷いた。

「……その嫌な感じとは、町の雰囲気のことであるかな。それとも、法術を使える方が感じとれるような、独特の気配のようなものであろうか」

「町は活気もあり、人々の様子はいたってごく普通だと思います」

 グランの代わりに問い直したルスティナに、今度はなんでもなくヘイディアが答える。

「ただ、湖上にある領主の城から、なにやら不穏というか、不快なものを感じるのです。城の周りにだけ、よくない空気が充ちているような気がします。ヒンシアの町の、湖に面した場所には防波堤のように作られた広場があるのですが、私は橋を渡る前に気分が悪くなってしまい、遠巻きにしか城を見ることができませんでした」

「実は、リオンも同じようなことを言っているのだ」

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