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10.お兄様対元騎士様<前>

 エルディエルとルキルアの部隊は、ヒンシアの郊外の草原に駐留している。

 今までは街道を細長く連なって歩いてきた関係で、一カ所にまとまって天幕を出すことはなかったのだが、今回は三日間この町の郊外に留まるので、両部隊が、アルディラ用の豪華な天幕を守るように円を描いて天幕の村を作っていた。もちろん今は、アルディラはいないはずだ。

 天幕はあるものの、昼だというのに両陣営ともわりと人影は少ない。三交代で兵士と従者達が休暇をもらうので、その第一陣が町へ入っているのだ。

 ルキルアの天幕側では、貧乏くじを引いた見張り役の兵士が、退屈そうに立ち話をしている。馬はあまりたくさんは町に連れて行けないから、当番の者が飼い葉をやったり、自分の馬に乗ってその辺を散歩させていたり、休暇ではない者もわりとのびのびとやっていた。

 かと思えば、せっかくの休暇なのに町にも行かず、天幕の中でごろごろしている者や、昼間から肴を炙って酒を飲んでいる者らもあり、人の行動というのは面白い。

 すれ違う警備の兵士に軽く手を挙げて、グランがルスティナの天幕まで行くと、ルスティナは天幕の入り口を開け放って、自分はテーブルでなにやら書類を片付けているところだった。こんなところまで来ても、事務仕事がついてくるのだから大変なものだ。

「早かったのだな。もっとのんびりしてきてもよかったのに」

 ルスティナは入り口から中をのぞき込んだグランに気付き、字を書き付ける手を止めて目を細めた。

「子守に行ってのんびりもねぇよ」

「そうか、グランには大変な日だったか」

 ルスティナはなんとなく察しがついたように頷いている。グランは天幕の入り口の下で立ち止まったまま、自分の顔の横で右手を広げて見せた。真新しい黒革の手袋をつけた手を。

「アルディラにこれをもらった」

「そうか、それはよかった」

「あんたが教えたんだろ?」

 グランの問いに、ルスティナは返答に困った様子で軽く首を傾げた。

「俺だけじゃなくて、エレムにもだったからな。オルクェルにでも教えたんじゃないか、俺達が新しい手袋を欲しがってるようなことを」

「……アルディラ姫とそなたらが仲良くやれるなら、それに越したことはないかと思ったのだが」

 ルスティナの笑みが、困ったようにいくらか弱まった。

「多少勢いはよすぎるが、アルディラ姫も別にグランやオルクェル殿を困らせようと思ってわがままを言っているわけではないだろうと思うのだよ。出会ったきっかけこそは穏やかではなかったが、せっかくの縁であるし、少しでも快くつきあえるようになれればよいのではと思ったのだが、……余計なことであったかな」

「いや、別に気分を悪くしてるわけじゃねぇよ」

 言い方がまずかったか。なんとなく気後れした様子のルスティナに、グランは思わず苦笑いを浮かべた。

「なかなか手に入らないようないいもんだ。正直助かった」

「そうか、それならよかった」

「……あんたがアルディラに言ってくれたんなら、もとはあんたのおかげだなと思ってさ」

 グランは左手に持っていた小さめの布袋を差し出した。ルスティナは入り口からグランが動かない意味を悟ったらしく、やっと明るい笑みを見せた。

「ああ、入っても構わぬよ。変なところで律儀なのだな」

「みんなして俺を不真面目扱いしやがって……」

「真面目なグランというのも、確かに面白みがないかも知れぬ」

「俺は周りを面白がらせるために生きてるわけじゃねぇぞ」

 ぶつぶつ言いながら、グランはルスティナに布の袋を手渡し、少し離れた場所に腰を下ろした。ルスティナはグランと布の袋を見比べ、首を傾げた。

「あけてよいのか?」

「あけられてまずいものを渡すわけないだろ」

「それもそうか」

 ルスティナは納得したように頷き、袋の口を開けて中をのぞき込んだ。まず引っ張り出したのは、手のひらにおさまる程度の大きさの、半円形の革細工の入れ物だった。

「……クフルの露店は確かに、布や革の細工品のいい店が揃ってたな」

「中に入ってるのは、櫛か」

「理髪屋に、毎日櫛くらい使えって言われてたろ」

 グランの言葉に、ルスティナはひとつ瞬きをしてグランを見返した。

「これは私にか?」

「ほかに誰がいるんだよ!」

「あ、ああ、そうだな」

 なんだと思ったのだこの女は。ルスティナは中の櫛を取り出して、また驚いたようにグランと櫛を見比べた。

「この櫛も、よいものなのではないのか?」

「毎日使うなら、いい物を持ってないとみっともないだろ」

「髪をとかすだけなのに、これほど凝った細工を施すのだな……」

 どうも感心するところが微妙にずれている気がする。ルスティナは、顔の前に櫛をかざしてしみじみと眺め、ほうっと息をついた。

「これは使うのが惜しいように思うのだが」

「……櫛ってのは、使えば使うほど味が出るもんなんだってさ」

「そ、そうなのか」

 今のは露店の主の言葉の受け売りだが、ルスティナは戸惑った様子で慌てて頷いた。

 確かに、持ち慣れてないものをいきなり渡されても、さほど嬉しくはないかも知れない。選ぶものを間違えてしまったのだろうか。あまりにも反応が想像と違うので、さすがにグランも反省しかけたが、

「グランが選んでくれたのか?」

「あ? ああ」

「そうか、……ありがとう」

 いきなり嬉しそうな笑顔を見せられ、不意を突かれてグランは思わず目をそらした。

「も、もうひとつ入ってる」

「ん?」

 グランが指さしたので、ルスティナは手のひらの上で布の袋をひっくり返した。布細工の小さな花のついた髪留めが転がり出てきた。

「櫛のおまけにってくれたんだよ。顔を洗うときとか、こう後ろでまとめて留めておけば、邪魔にならないだろ。縛るより手間もない」

 グランは自分の顔の脇から髪をかきあげ、頭の後ろでまとめる仕草をしてみせた。ルスティナも真似をして頭の後ろで髪を押さえているが、髪留めを使って髪を挟むのが意外に難しいらしい。何度か試したが、まとめたのをはさみきれないで中途半端に髪が滑り落ちてくる。

「これはそんなに熟練の技が必要なものなのか?」

「そんなことはないだろ……」

 ほかの女にはできないようなことをいくらでもできるはずなのに、なぜこんなことができないのか。グランは思わず膝で立ち上がり、斜め横からルスティナの頭の後ろに両手を伸ばした。

「挟む量が多すぎるんじゃねぇの? 留めたい部分だけはさめば……」

 集めたルスティナの髪を右手で押さえて、ルスティナが持ったままだった髪留めを左手で掴んだところで、グランは唐突に、自分の胸の前でルスティナの頭を抱え込んでいる形になっていることに気がついた。アルディラにいくらくっつかれてもなんともなかったのに、触れてもいないルスティナの顔が胸の間近にあるのに気付いた瞬間、不覚にも動きが固まってしまった。

「ほら、難しいであろう?」

 グランがすぐ手を離さないのを、単純にもたついているだけだと思ったらしく、ルスティナが顔を上げようとする。いや待て、いろいろとまずいからこの状況で顔を上げるんじゃない。

「失礼します、閣下、エルディエル軍のオルクェル殿が……」

 足音と一緒に、天幕の外から声が聞こえてきて、グランは反射的にルスティナから飛び退いた。普通の兵士の気配も悟れないほど動揺していたとは情けない。

「……お通ししてよろしいですか?」

 知らせに来た兵士は、ルスティナから、人の背丈ひとつ分ほどの距離を置いて座っているグランと、左手で髪を押さえたままのルスティナを見比べて怪訝そうに首を傾げた。ルスティナはいつもと代わり映えしない表情で頷いた。

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