7.公女様と元騎士様<後>
昼飯の後は、織物工場や布細工職人の加工場、小型の造船の現場を見たりという、意外にまともな社会見学の計画が組まれていた。
市場もそうだが、どこにいっても目につくのは子ども達の姿だ。自分よりも幼い子供まで作業を手伝っているのが、アルディラには驚きだったらしく、器用に糸玉を作る娘や、魚の大小をより分ける少年の姿に目を白黒させている。
それにしても、このまま夜の宿までアルディラと同じなのだろうか。すっかり達観してしまい聞くのも忘れてしまっていたが、途中の説明で、アルディラ達はクフルの町長から晩餐に招待されていて、夜はそのまま町長の邸宅に泊まっていくのが判った。
明日、ヒンシアに着くまでつきあわされるのかと半ばあきらめていたのに、どうやらグラン達はこの町で解放してもらえるらしい。もとから今日一日という話だったから、オルクェルがそのあたりは話を通したのだろう。
「今日はどうもありがとう」
町長のお迎えの馬車に乗り込む前、グランとエレムとランジュに、アルディラが律儀に声をかけてきた。
「グラン、また一緒におでかけしよう?」
「……まぁそのうちな」
そっけなく答えたつもりだったのだが、アルディラは『嬉しくて仕方がない』というような顔で、ぎゅっとグランの胸というか腹に抱きついてきた。
視線を感じて目を向けると、オルクェルとリオンがはらはらした様子で二人を見守っている。その少し後ろに、ヘイディアが冷ややかな顔で控えている。
しょうがないので、ぽんぽんと頭を軽く撫でてやると、やっと満足したようにアルディラは体を離した。
今日はリオンも連れて行かれるらしく、エレムと手をつなぐランジュを気にした様子ながらも、従者達と一緒に馬車についていった。
当のランジュはまったく気にもしないで、新しいうさぎの人形を鞄におさめてはしゃいでいる。グランが知らないうちに、布細工の店で買い与えられたようだ。
グランとエレムとランジュには、そこそこの宿が用意されていた。浴場も備え付けてある、グラン達だけなら贅沢な部類に入るような宿だ。
ヒンシアは徒歩でも半日もかからないし、船ならあっというまらしい。どうせエルディエルの本隊もルキルアの部隊もヒンシア郊外に三日間駐留しているから、追いつくのに慌てることもない。久々にルキルアの隊とも関係なく、のんびり過ごせそうだ。
仕立屋で着替えたときにそのまま取り上げられたグランの服と装備一式は、もう宿に届けてあるという。逆に今日着せられた服と一緒に荷物になるものを置いていけば、宿を出たあと勝手にルキルアの隊に届けてくれるらしい。
夕暮れが近い川の様子が望める洒落た部屋に通されると、寝台の横に置かれた籐の箱をみつけたランジュが、興味津々といった顔で勝手にふたをあけている。
「そりゃ俺の服しかないぞ」
「白い箱がありますー」
さすがに中身までは、勝手に引っ張り出そうと思わないらしい。部屋の隅に荷物を置いてなにやら考え事をしていたらしいエレムも、ランジュの訴えるような視線に気付いて近寄っていった。グランもシャツの襟を緩めながらのぞき込む。
洗濯までされ、丁寧にたたまれたグランの服と装備の上に、そんなに大きくもないひらべったい箱がふたつ、飾り紐をかけられて置いてある。それぞれに、グランとエレムの名前が書かれた紙片が添えられていた。
あけると、出てきたのは革の手袋だった。
今まで使っていたのと同じように黒く、指の第一関節より先の部分がない。無駄な飾りはないが、作りがしっかりして、丈夫そうな割に柔らかく、手を動かすのにも差し障りがなさそうだ。
「ああ、そういえば仕立屋でグランさんを待っているときに、僕もいくつか手袋を見せられたんですよね」
エレム宛の箱には、法衣に合わせても違和感のない白い革の手袋が入っていた。こちらはちゃんと指の先まで作ってある。
ランジュが物欲しげに見ているので、空になった箱と飾り紐を与えたら、今日あちこちで買い与えられた人形やら小さな石やら飴玉やらをテーブルの上に出して、嬉しそうに箱に並べて遊び始めた。
「……今日の報酬の一部か?」
「どうしてそこで素直に、アルディラさんの厚意だって解釈できないんですか」
「だってなぁ」
まぁ、いくら護衛のつもりでといわれたところで、服を着せられて連れ回されるだけで仕事をしたなどと言う気はない。それよりも今日は久々にルキルアの部隊と離れて過ごせる。ランジュはエレムに任せて、自分はさっさと遊びに行きたいものではある。
とグランは思ったのだが、エレムは背中の剣をおろして一通り自分の持ち物を整理し終えた後も、なにやら上の空の様子で寝台に腰掛けて黙り込んでいる。いつもならここで、風呂の順番はどうする晩飯はどうするなどと言い出すのに、どうも様子がおかしい。
「ヘイディアって女と、なんかあったのか?」
「えっ? はい?」
エレムは露骨に驚いた様子で、グランを振り仰いだ。
なんとなく言ってみただけなのに、見事に反応している。グランがニヤニヤしていると、エレムは慌てて大きく首を振った。
「僕とヘイディアさんがなにかあったってわけじゃないですよ。いい加減、自分を基準にして人の行動を判断するのはやめてください」
「お前時々、俺の評価をさらっと本音で語るよな……」
「グランさん相手に取り繕ったってしょうがないじゃないですか」
当然のように言い切ると、エレムは少し言葉を整理するように考え込み、小さく頷いた。
「市場を歩いている途中で、ヘイディアさんが町の子どもに声をかけられてたんですよ。ランジュより少し小さいくらいの男の子だったんですが」
「へぇ」
「その子が、なにか言いながらヘイディアさんの裾を引っ張る仕草をしたんですね。ヘイディアさん、少し離れて歩いてたから、ほかのお付きの人も気がつかなかったみたいで。そのまま路地に入っていきそうになったから、子どもを使った呼び込みだったとしたら、どんな店に連れて行かれるか判らないと思って、ランジュをリオンくんに任せて追いかけたんですよ。そしたら……」
別に貧困層の子どもという様子でもなく、着古してはいるがそれなりに清潔な身なりの子どもだったという。その子どもが、ヘイディアとエレム以外周りに誰もいないのを確認すると、おどおどした様子ながらもはっきりこう言ったという。
『領主さまのお城に働きにいったおねえちゃんを助けて』
「……ここの領主って、ヒンシアに湖上の城があるとかいう?」
このあいだ、オルクェルがルスティナ相手に熱心に語っていたのを思い出し、グランは上着を脱いだだけで椅子に腰掛けた。
「そうですね、グランさん達を待っている間にちょっと聞いてみたんですが、この町を含めた付近一帯を治めているのはクレウス伯爵夫人だそうです。半分隠居生活みたいですけどね。もう四〇歳半ばを越えてるらしいんですが、見た目は二十歳そこそこといっても通用するような美しい方だそうですよ」
「四〇越えてる女が、お前と同じくらいの歳に見えるってことか?」
「そういうことになりますね。噂話なので、多少大げさな表現になってるんじゃないかとは思いますが、美しい方には違いなさそうですね」
エレムは割と冷静に、話を受け取っているようだ。
そういえば、エレムの養い親のラムウェジは、グランと同じ歳ほどの外見だが、実年齢はグランの倍近いらしい。しかしあれは相当に特殊な事例だ。若く見えるだけで、秀でて美人というわけでもない。
「クレウス伯爵夫人は、世襲で領地を受け継いで、一度結婚され、数人お子さんをもうけた後でご主人が亡くなってしまったそうです。今は成長した息子さんが、伯爵号のほかに持っていた男爵号をいくつか受け継いで、実質的に領地全体を管理しているそうです。夫人は湖上の城で優雅に暮らしていて、息子さんはヒンシアの別の場所に邸宅を構えてるそうです」
「で、そのおばさんの城に行ったねえちゃんが、なんで助けられなきゃいけないんだ?」
この町を見る限り、治安もよさそうだし住人の生活もそんなに悪くはなさそうだ。衛兵の態度もきちんとしている。ヒンシアに行けばまた雰囲気は違うのかも知れないが、ここより賑わっているのなら人の出入りも多いだろうし、領主とはいえ変なことはそうそうできなそうだ。
「それが……その子が言うに、『伯爵夫人は魔女だ、いつまでもきれいで年を取らないのはもっと若くてきれいな女の人を食べて、命を吸い取ってるからなんだ』と」
「魔女?」
……グランはなんとなく、テーブルの上でままごと遊びをしているランジュに目を向けた。
この前の夜に聞いた、若い娘の生き血で若返りを図った女主人の話を思い出してしまったのだ。
エレムも同じらしく、微妙な顔つきでランジュを見ると、気を取り直すように軽く首を振った。
「どういうことか具体的に聞こうと思ったんですが、途中で人が通りかかったら、逃げるようにその子がいなくなってしまって。ヘイディアさんとそのことで少しお話ししようかとも思ったんですけど、なんか態度がそっけないんですよね。僕は今日、初めてお会いしたからかも知れないんですけど……」
「いやぁ……」
従者達との距離の取り方といい、ヘイディアは普段からあんな感じなのだろう。見えない壁を自分で勝手に作って、簡単に人を寄せ付けない感じがありありとする。
「しかし、なんでそのガキはヘイディアに声をかけようと思ったんだろうな」
「なんでって、……たまたまみんなから少し離れていたからじゃないですか?」
「あんなぎすぎすした雰囲気の女に相談しても、親身に聞いてくれないんじゃないかとか思わねぇか?」
「ぎすぎすって」
思い当たる部分があったのか、エレムは軽い苦笑いを浮かべた。
「まぁ、性格もあるでしょうし。それにやはり女性ですから、子どもから見たら声がかけやすいかもしれないですよ」
「そうだなぁ……」
「でも、たったそれだけの話で助けるもなにもしようがないですし、どうしようかと……ってランジュ待って!」
いきなりエレムが声を上げたので目を向けると、さっきまでテーブルの上のもので遊んでいたランジュが、眠そうな顔であいている寝台に転がろうとしている。
「疲れたのは判るけど、せっかくちゃんとした宿に泊まるんだから、寝る前にお風呂くらい入らないとダメだよ。ここの浴場は大きくて面白いらしいから。グランさんも晩御飯の前に行っておきましょうよ」
「え、俺は……」
せっかくだから、俺はいろいろと遊びに行きたいんだがなぁ……。言う暇もなく、エレムはばたばたとランジュの着替えを用意し始めている。
まぁこいつらも、関係ないのにアルディラ振り回されたクチだから、今日くらいは俺も我慢してもいいか。グランは軽く息をついた。どうせ明日から三日間のうちのどれかで、また自由時間ができるのだ。
「お風呂から上がったら、晩御飯も宿で準備してくれるからね。飲み物も果物もなんでも選んでいいんだよ。宿代に入ってるから」
「くだもの美味しいですー」
どうやら、宿の奉仕を利用する分にはこっちの懐は痛まないから、張り切っているようだ。エレムらしい。
しかしエレムも前に比べたら、倹約だ節約だとうるさく言わなくなった気がする。ルキルア城での一件で、少しは心境に変化があったのかも知れない。
ルキルアの部隊で厄介になるようになって、食費や宿代を気にする必要がない生活が続いているからかもしれないが。
果物と聞いて目が覚めたらしいランジュは、エレムと一緒にテーブルの上を片付け始めた。こいつも現金なものである。