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6.公女様と元騎士様<中>

「市場に行くのに、なんでこんな格好しなきゃなんねぇんだよ」

「いいじゃない、かっこいいんだから」

 なにを着てもかっこいいのなら、いつもどおりだってよいではないか。なんだって上流階級の奴らは、こうも見た目にこだわるのだ。

 着せられた服は仕立てがいいらしく、シャツの襟がこすれたり肩がつっぱったりもせず、グランが動くのに不都合はないが、やはりなにか調子が狂う。

 人目を集めるのに慣れているアルディラは、物怖じもせず堂々と道を進んでいく。少し前を先導する侍従が、通る人波をかき分けていくので、何事かと思った通行人はそのまま波が分かれるように道をあけて、一行が行き過ぎるのを遠巻きに眺めている。

 町の人間も、エルディエルの部隊が立ち寄っているのは知っているだろうから、グラン達がその関係者だというのは察しているようだ。人だかりができるほどでもないが、行く先々でそれなりの物珍しそうな目に晒されるので、やはりやりにくい。

 後ろから、ランジュを挟んでそれこそ散歩気分でついてくるエレムとリオンが、今のグランには恨めしいくらいだ。ランジュなど、いつ買い与えられたのか、棒についた丸いアメを嬉しそうになめていた。



 高級居住区から出て市場に近くなると、人通りと一緒に道ばたの屋台も増えてきた。

 多いのは、食べ物や飲み物を扱う店だ。南国の丸くて黄色い果物を切って串に刺したものや、椰子の実に穴をあけて麦稈ストローを差しただけの飲み物など、川沿いの町だけに集まっている屋台の種類も多彩だ。

 さすがに椰子の実から直接果汁を飲むというのは初めて見たらしく、アルディラが屋台の売り子に声をかけたところで、侍従から待ったがかかった。

 アルディラの買い物内容は、基本的に不干渉らしいが、さすがに食べ物だけはまずいらしい。アルディラは不機嫌そうに頬をふくらませたが、なにを思いついたのか急に明るい顔になってグランを見た。

「グランに毒味してもらえばいいのよね?」

「はぁ?」

 仮にも飲食の屋台の目の前で『毒味』とか言っちまうのはまずくないのか? というかなんで俺なのだ。後ろに兄様とか世話係とか従者とかがいろいろ……

 そう思って目を向けると、オルクェルが拝むようにグランを見ているのが目に入った。

 侍従達も困った様子ではあるが、アルディラにここで爆発されるよりはマシだと踏んだのか、それ以上は言い募ろうとしない。

 リオンにやらせろよと言いたかったが、リオンはリオンでランジュがあちこちの屋台に目移りして走り出そうとするのを、必死で気をそらしている最中である。

 なんだかもう、いろいろと面倒になって、グランは受け取った椰子の実の麦稈に口をつけた。

 アルディラが興味津々といった様子で首を傾げる。

「どう?」

「あ、ああ……」

 どうと言われても、木の味のついたただの水だ。まずくもないが、甘くもなんともない。

 しかし、たまたまアルディラの目にとまっただけの、なんの落ち度もない不幸な屋台の売り子の前で、うまくもまずくもないなどと言えるほどグランは外道ではなかった。とりあえず毒はなさそうなので、グランは曖昧に頷いた。

 アルディラはグランに椰子の実を持たせたまま、麦稈だけをつまんでその先に口をつけた。一瞬置いて、なんとも言いようのない顔で小さく首を傾げる。

 またなにか余計なことを言い出すのではないか、さすがにグランもはらはらしたが、

「夏にはいい飲み物ね」

 グランの顔を見上げ、にっこりと笑った。後ろの従者達が揃って安堵の溜息をついたのが、背中から伝わってきた。

 それから、ランジュが物欲しげに見ているのに気付いたらしい。ランジュに渡すよう侍従に椰子の実を預けると、またグランの腕にくっついて歩き始めた。どうやら一口で満足したらしい。


 グランに毒味をさせるという新しい技を覚えて、買い物の幅が広がったせいか、その後はおおむねご機嫌は良好のようだった。

 地元の特産らしい織物で作った小物の店敷物やらの店、地味な色の川魚の並ぶ店、ごく普通の野菜売りの店、市場のどの店もアルディラには面白いらしく、なにか見かける度にグランの腕を引っ張ってはひとりではしゃいでいる。

 川を遊覧する船に乗りたいというのだけは、侍従もオルクェルも一歩も引かなかったので、渋々アルディラもあきらめていた。それ以外はほぼ希望が通ったようで、本人はとてもご満悦である。

 おかげでグランは振り回されっぱなしで、川を望む高級菓子店で用意された少し遅めの昼食の席では、一人でぐったりしていた。毒味役もさせられていたから腹など減っていない。

 アルディラも、ちょこちょこ市場の屋台でいろんなものを味見していたから、店がいろいろ用意した中で選んだのは、薄切りのパンに燻製肉ハムや野菜を挟んだものとスープくらいだった。面倒なのでグランも同じものにした。うまかったが、できれば夜に麦酒と一緒にでも食べたかった。

 ……なんでこんな役を引き受けてしまったのか。

 宝石のような赤い実の果物が飾り付けられた、凝ったタルトを幸せそうに食べているアルディラの目の前に座らされ、グランは心から自分の判断の甘さを呪っていた。

 なぜか、二人だけが店の窓際に隔離され、ほかの者らは離れた場所で控えてこちらを見守っている。せめてこういう時くらいはほかの奴らも同じ席にしてくれないと、グランひとりでは間が持たない。そう思って恨めしく辺りに目を向ける。

 アルディラと同じタルトを与えられ、口の周りをべとべとにしているランジュと一緒の席にいるのはリオンだけで、エレムがいない。オルクェルは護衛に徹するつもりらしく、数人の侍従と一緒に入り口近くに立ったままだった。だが、あのヘイディアという女もいない。

 二人とも休憩でもしてるのだろうか? いいよなぁ、休憩する余裕のある奴らは。

「グラン、疲れた?」

 グランがひとことも喋らないのを、さすがに不審に思ったらしい。半分ほどタルトを食べたところで、アルディラが伺うように声をかけてきた。

 こんな慣れない格好で引っ張り回されて、疲れないわけがない。誰のせいだと思っているのだ。

 しかし一回引き受けてしまったのに、ここで露骨に仏頂面をするのも狡い気がする。グランはせいぜい不機嫌には見えないくらいに取り繕って、軽く頷いた。

 アルディラは匙を持った手を止め、頬杖をついたままのグランを見返した。

「……世の中の女の人たちは、婚約者や夫が時間を作って、観劇や食事や買い物に一緒に出かけるんですって」

「へぇ」

「でも、父様が母様と仲良くお食事したり、買い物に行ったりって、見たことがないの」

 なにしろアルディラの親は、大国エルディエルの大公とその夫人だ。食事はともかく、買い物など出かける暇も必要もなさそうである。

「侍女達の話を聞いてると、一緒に買い物や食事に行くと、いろいろお話もできて楽しいから、もっと仲良くなれるんだっていうの。だから、どんなふうに楽しいのかなと思って……」

 そこまで言うと、アルディラはグランを伺うように首を傾げた。

 なんだ、自分は実験台か。グランは内心でため息をついた。

 リオンやオルクェルとでは、どうしたって上下関係ができてしまうから、なんの関係もないグランで試してみたかったのだろう。そういうことは、嫌々相手に付き合わせてもダメではないかと思うのだが。

「……で、楽しかったのか?」

「うん!」

 いきなり表情を明るくして頷き、アルディラはまた伺うようにグランを見た。

「……グランは?」

 自分が楽しいのならいいじゃないか。

 そう言おうと思ったが、今まで好き放題自分を引っ張り回してた割に、アルディラはどこか不安そうな顔だ。グランは小さく息をついた。

「そういうときは聞き返さないで、楽しくて仕方ないって顔してりゃいいんだよ」

「そういうものなの?」

「お前の兄様見てりゃ判るだろ。男なんか単純なんだから、女が喜べば嬉しいもんなんだよ」

 当然ながらグランから見たら、アルディラは女の分類には入らないが。

 アルディラはちらっとオルクェルに目を向けると、納得したように頷いた。なにを思いついたのか、右手の匙をひらめかせ、ざっくり切り分けたタルトを匙に突き刺すように乗せて、グランの顔に向けて突き出し、

「グラン、あーん」

「……は?」

「はじゃないの、あーん」

 今の話がどうしてこういう行動につながるのだ。

 思わず身を引きかけたが、オルクェルや従者以外に店の者らの手前、ここで露骨に嫌がるのもなんだかみっともない。グランは渋々口を開けた。

 口に入れてみたら、甘いだけではなく、果物の酸味もあってなかなか旨い。

 旨いと思ったのが顔に出てしまったのか、アルディラは目を細めて嬉しそうに微笑んだ。

 どうもアルディラは、機嫌のツボがいまいち判らなくてやりにくい。

 こうなったら、もうじたばたしないで黙ってつきあってたほうが面倒がなさそうだ。グランはあきらめに近い心境で、口の中でもしゃもしゃとタルトをかみ砕いた。

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