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5.公女様と元騎士様<前>

 それまでは山あいを通っていた街道の、北西側の空が開け、周囲の風景は比較的広い平地に変わっていく。間近だった山の稜線が遠くなり、緩やかの下り坂の先に景色が広がって、街道の左側には大きな川と、その川沿いに大きな町があるのが見えた。

 川岸には大きな船着き場もあるし、荷や人を運ぶ船も行き交っている。そこそこの規模の町だが、ここから先にあるヒンシアの方が町として大きいというのだから、やはり川の利便性が町の発展に貢献する度合いは侮れないものがある。

 本当は町の中で合流の手はずだったのだが、街道からクフルへ降りる分かれ道の手前で、心配性の兄様がグラン達を待っていた。

 クフルにたどり着くまでに、あらかたエルディエルの隊列を追い越したルキルアの部隊は、ここで完全にエルディエルの部隊に先行する形になってヒンシアに入る。簡単にルスティナとエスツファに挨拶した後、グラン達はオルクェルと一緒に、町へ続く草原の中の道を歩いて向かった。

 街道自体は、クフルの町の入り口から多少離れた高台を通っている。町と街道の間をつなぐ道の両側は広い草原になっていて、町を囲む石垣の近くに、アルディラを警護する部隊が拠点として作った天幕の群れができあがっていた。門から離れて目立たないようにしているのだろうが、あの数だけでも、ルキルアの部隊の倍以上あった。

「やはりこうして見ると、少し前の姫に面影が似ているなぁ……」

 なぜかエスツファから当然のように引き渡され、馬の鞍に座ってきょろきょろ辺りを見回しているランジュを横目で眺めながら、オルクェルがため息のように呟いた。

 今日のランジュは、拾ったときから着ているいつもの服ではなく、上下が一体になったスカートを、腰の辺りで軽く絞ったものを着ている。グランはこんなものは見たこともないから、ルスティナが用意してくれていたのだろう。

 そのランジュを乗せた馬を、軍人ながらいかにも育ちのよさそうなオルクェルが引いているので、ぱっと見ただけなら良い家の子どものようにも見える。

「このような子どもを連れての長旅に文句も言わないのだから、グランバッシュ殿も見た目ほど浮ついた男ではないのだろうな」

 褒められてるのかけなされてるのか、よく判らない。

 一緒に歩くエレムとリオンが揃って、なんとも言いようのない笑みを浮かべた。頭で思いめぐらせたものは微妙に違うはずだが、出てきた表情がそっくり同じなのがなんだか腹立たしい。

 町の外壁の周囲は、川の水を利用した堀が張り巡らされ、門へ続く橋は跳ね橋になっている。ただ、周りの草の生え方や土とのなじみ方からして、ここしばらく橋が閉じられた形跡はない。

 その跳ね橋の手前で、数人の若い兵士と、従者らしい男女を両脇に従えた、いかにもな馬車が止まっている。

 従者達から少し離れ、銀の錫杖を持ったルアルグの法衣姿の女が立っているのも見えた。グランがその名前を思い出すより先に、馬車の周りの全員が、やってくる彼らに気づいたらしい。値踏みするような視線がグランに集中した。

 少しの沈黙の後、感嘆の表情に変わったのが半分、多少悔しげになった表情を慌てて取り繕ったのが半分。前者のほとんどは侍女達で、後者は若い兵士と男の従者たちだ。

 少し年かさの侍従が小窓から中に声をかけ、うやうやしく馬車の扉を開けた。

「グラン!」 

 馬車に作り付けの踏み台などすっとばして、中からアルディラが勢いよく飛び出してきた。

 今日の服は、前に城で見たときとはまた違う、裾に大きな夏の花の刺繍をあしらった涼しげなワンピースだ。たぶん大人の女がああいうものをドレスとして着たらとても色っぽいのだろうが、なにぶんアルディラは成長途中で全体的に平坦なので、色気などどこを探しても見あたらない。

 地面に足がつくのももどかしそうに、アルディラがこちらに向かって駆けてくる。グランは思わず逃げ腰になってしまったが、アルディラが真っ先に抱きついたのはグランではなくオルクェルだった。

 そのまま「ぎゅーっ」などと擬音がつきそうに、オルクェルの胸というか腹の辺りに頬を押しつける。

「兄様ありがとう! だから兄様って大好き!」

「ひ、姫、皆の手前もあるのでその」

 一応慌てた様子で押しとどめているが、オルクェルはそれはもう一目瞭然にデレデレである。アルディラもなかなかあざとい。

 周りはすっかり慣れているらしく、微笑ましそうに見守る視線が一様に生温かい。

「グランもエレムも、今日はよろしくね」

「よろしくお願いします」

 エレムはアルディラに対して特に苦手も得手もないから、いつもどおりである。アルディラがオルクェルから離れるのに合わせたように、侍従がうやうやしく丸い箱を両手に持って、アルディラの後ろに控え、箱を開けた。オルクェルが慌てたようすで、なぜかランジュを馬から下ろしてきた。

「これ、ランジュのね」

 言いながら、アルディラが箱のなかから、斜めがけできるように紐のついた小さな布の鞄と、麦わらで編まれた帽子を取り出した。それぞれに、布で作った花が飾り付けてあって、いかにも子どもの小物といった感じだ。

 アルディラから直接、鞄を肩にかけられ、帽子を頭に乗せられて、ランジュは少しの間きょとんとした様子でアルディラを見上げていたが、すぐににっかりと笑顔を見せた。

「ありがとうございますー」

「どういたしまして」

 満足げに頷くと、自分も揃いの帽子をかぶり、つばを軽く片手で押さえながグランを見上げて微笑んだ。本人は、きっと淑女を気取っているのだろう。グランには、散歩に行く子どもにしか見えないが。

「じゃ、グラン、行きましょ」

 当然のように手を出され、グランはまばたきをしてアルディラを見返した。オルクェルがあたふたと飛んできて、グランをアルディラの横に押し出すと、グランの左腕を勝手に折り曲げた。

 その腕に抱きついたアルディラに引っ張られるように歩き出したグランを、馬車の周りの従者や兵士達が、面白そうな気の毒そうな顔で眺めている。誰もうらやましそうな顔をしていないのが、この場合救いなのかなんなのか。



「……で、なんでこうなるんだ?」

「いやぁ……」

 店の隅の、長椅子で区切られた区画でランジュを遊ばせていたエレムは、やっと解放されたグランを見て言葉を探すように軽く首を傾げた。

「まぁ、……良くお似合いですよ」

「そりゃ似合うだろうが」

 町に入って、すぐ連れてこられたのがこの店だった。街の中でもそこそこ高級な区画にある仕立屋である。女ってこんな歳から服を見るのが好きなんだなぁと、呑気に構えていたら、店員に取り囲まれたのはグランの方だった。

 なにしろ相手は全員一般市民なので、下手に力を入れて振り払うわけにもいかない。気がつけば剣だけ残し、上から下まですっかり換装されていた。白いシャツに、ズボンと共布の丈の短い上着を羽織らされ、白い手袋に革靴のおまけつきだ。これで銀の盆なんか持たされたら、晩餐の給仕と変わらない。

「わぁ、やっぱりグランってなにを着ても似合うのね」

 窓際のテーブルに腰掛け、白磁の茶碗で紅茶を飲んでいたアルディラが、グランを見てきらきらした目で立ち上がった。後ろに控えていたオルクェルも、改めて感心したように頷いている。

「やはり、見目だけは貴族にもひけをとらぬなぁ……」

『だけ』ってのはなんだ。そう抗議する間もなく店から押し出された。外で待っていた従者たちが、グランを見て今度は一様にどよめいた。

 グラン自身、この格好を鏡で見たときには、さすがに自分に惚れ惚れとしてしまったからその辺は仕方ない。元がいいというのはそれだけで罪かも知れない。

 街の中に入ったので、ついてきているのは荷物持ちを兼ねた一〇人ほどの侍従侍女だけで、護衛役と言えるのは、彼らのほかには、銀の錫杖を持った灰色の髪の女くらいだった。

 グランはやっと思い出した。あれは出立前に一度、オルクェルと城に挨拶に来た、ヘイディアという神官だ。相変わらず感情の見えづらい硬い表情で、あの女の周りだけは空気まで硬い気がする。普通にしていればそこそこ美人なのに、もったいない。

 他の侍女達は、執事か給仕かといった姿で現れたグランに、かなりざわめいた様子だった。だが、アルディラにひっぱりまわされるグランを見るヘイディアの視線には、冷ややかなものが含まれているようにさえ感じる。

 いや、グランだけではない。ランジュと交互に手をつないで歩くリオンとエレムを見る目つきにも、あまり好意的なものが伺えない。こんな子守みたいな一行について歩くのは不本意なのかも知れないが、そんなことをいったらエルディエルと無関係なのにこんなめにあっている自分が一番不本意なのだが。

「じゃあ、次は市場にいってみましょう。このあたりで作る織物とか、布細工のお店があるんですって」

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