4.公女様のお気に入り<後>
「別に、無理にご機嫌を取ってくれなどとは言わぬ。ただ少しの間、普段どおりのままに相手をしてもらえればそれでよいのだ。なんとか頼めないものだろうか」
下手をしたら本気ですがりついてきそうな勢いである。
こいつもルスティナの手前、あまりみっともないところは見せたくないだろうに。なんだか気が引けてきて、グランは大きくため息をついた。
「……ほんっとうに、護衛でついていくだけだからな? 気の利いたことはなにもやらないぞ?」
「それでよいのだ。引き受けてくれるか、ありがとうありがとう」
オルクェルは目に見えて表情を明るくし、渋い顔でそっぽを向いているのなどお構いなしで、グランの手をがっしり掴んで礼を繰り返している。男に手を掴まれても、ありがたくもなんともないからやめてほしい。よかったよかったと横で頷いていたエレムは、グランに睨まれてわざとらしく目をそらした。
「……おや、もう話がついたのであるか?」
オルクェルの感激ぶりに気付いたらしく、やれやれといった感じでエスツファが声をかけてきた。いつの間にか、残った三人はテーブルを囲んで茶を飲みながら和んでいて、こちらの話の結果を聞こうともしない。どうやらグランが押し切られるのは想定内だったようだ。
「我らとしても、アルディラ姫が気持ちよく旅をされるのに越したことはないと思っておるし、グランさえ承諾すれば構わないであろうと話していたのだ」
かいがいしくグラン達の分の茶も用意し始めたリオンの隣で、ルスティナが笑みを見せる。
ひょっとして俺って、根はとてもいい奴みたいに思われてるんだろうか。断じてそんなことはないんだが。グランは反応に困って、出された茶に無言で口をつけた。
「元騎士殿とエレム殿には、ヒンシアで改めて休暇を一日とれるように計らうので、そうだな、嬢ちゃんも連れて、散歩に行くつもりで町を歩いてくればよい」
「……ランジュも?」
「せっかくだから、たまには馬と無骨な兵士以外のものも見せてやるのが……おや」
言いながらエスツファは、一人おとなしく遊んでいるランジュに目を向け、苦笑いを浮かべた。ルスティナも気付いて柔らかく微笑んだ。
「静かだと思ったら、子どもはもう寝る時間か」
ガラス玉を転がして遊んでいたはずのランジュは、いつの間にか敷物の上に丸くなって眠り込んでいる。すっかり世話係になりきっているリオンが、慌てた様子で立ち上がりかけるのを、ルスティナが片手で制した。代わりに自分が立ち上がり、天幕の隅に畳んで置かれたタオルを手にとって、そっとランジュの頭の下に入れてやっている。
「構わぬよ、今日はそのまま私が預かろう。町に出るのなら、それなりに身支度もさせてあげたいしな」
「はぁ……」
「では簡単に、明日以降の日程を決めてしまおうか。……オルクェル殿?」
話を振られ、うっとりとした様子でルスティナに見入っていたオルクェルは、慌てた様子で居住まいを正した。まったく懲りない男だ。
この野営地を立った後からは、一旦ルキルアの部隊がエルディエルの部隊に先行して進み、ヒンシアに入り次第郊外に拠点を整えた後、交代で休暇を取る。エルディエルの部隊は、アルディラの護衛分の人数をクフルに残して随時ヒンシアに入り、あとは同じように交代で休暇、という手はずになるらしい。両部隊をあわせれば結構な人数になるので、一度に市街に入れる人数はやはり制限される。
ルキルアの隊を離れた、グランとエレムとランジュの三人はクフルに丸一日立ち寄って、町を出るのは翌朝になる。聞いてみれば、もうとっくにアルディラや従者達のものと一緒に、グラン達の分の宿の手配も済んでいるらしい。
ということは、半日どころか、翌日ヒンシアにたどり着くまでの丸一日以上、アルディラと一緒ということになるのだろうか。グランがそれに思い当たった時には、待たせていた連れの騎兵と一緒に、オルクェルが自分達の野営地に戻ってしまっていた。
なんだか、うまくしてやられたような気もする。腑に落ちない気分で揃って天幕を出ようとしたら、
「グラン、エレム殿」
敷物の上に広げた自分の夜具に、寝入ったままのランジュを移したルスティナが、追いかけるように天幕の外に顔を出して二人を呼び止めた。一緒に留まろうとしたリオンは、エスツファになにやら促されて、こちらを気にしながらも先に歩いていった。
「……二人とも、手の具合はどうである?」
「手?」
グランは思わず自分の右手を見下ろした。火傷で焼き切れた傷跡も、今はすっかり乾いて固まって、握った時に多少ひきつれた感じがするだけになっている。無理矢理かさぶたをはがさなければ、もう二・三日ですっかり気にならなくなるだろう。
エレムは、手袋の甲を軽く炎がかすってこげた程度だ。見栄えは多少悪いが、どうせ手袋など消耗品だ。
「もとからたいした怪我じゃなかったし、もうなんともねぇよ。なぁ」
「そうですね、僕は手袋が焦げた程度ですし」
「そうか、それならよかった」
わざわざそんなことで呼び止めたのか。二人の返答に、ルスティナは少しほっとしたようだった。
今になって、気にしているのだろうか。グランはうまい言葉が思いつかず、黙って頭をかいた。あれは別に、ルスティナのせいではないのだが。
「あの時、グランは手袋がダメになってしまったし、エレム殿の手袋は白だから気になるであろう? クフルの近郊は、革や布の加工品が特産というから、手袋などもよいものが見つかるかも知れぬ。機会があったらその類の店に寄ってみるといい」
「あ? ああ」
あのじゃじゃ馬相手に、そんな暇があればだけどな。微妙な顔で答えたグランを、ルスティナはなにか言いたげに見返すと、すぐにその瞳にいつもの静かな笑みをかぶせた。
「では、明日に備えてゆっくり休むといい。おやすみ」
「あ、うん……」
「おやすみなさい」
なにか言いたいことがあったのか、問い返す暇もなかった。天幕の扉代わりの布が閉じられると、その場にそのままいる理由もない。
もう天幕の外で起きて火を守っているのは夜番の兵士だけで、辺りの空気はすっかり落ち着いてしまっている。二人は割り当てられた天幕に向かって歩き出した。