3.公女様のお気に入り<中>
「なんで俺なんだよ?!」
「もともと、グランバッシュ殿が同行すればという条件で、なんとかカカルシャ行きを承諾したのに、当のグランバッシュ殿は顔も見せてくれないと姫はお冠……もとい、寂しがっておられるのだ」
グランの視界の隅で、リオンが『またか』とでもいいたげな表情を作ったのが見えた。
「そんなの知らねぇよ、もともと俺はルキルアの部隊に同行するだけの話だったろ。ルキルアとそっちの部隊が合流って事でアルディラが納得したんだったら、俺がなんだかんだ言われる筋合いはねぇよ」
「姫がそんなことに聞く耳を持つわけがないのだ」
前にリオンが同じようなことを言っていたのをグランは思い出した。そこまでアルディラの性格が判っているのなら、うまくあしらう方法をもう少し考えてもよいのではないか。
「ヒンシアの町は大きすぎて、姫が町を歩くには危険も大きい。それならクフルのほうが、少人数でも差し支えなさそうなのだ。グランバッシュ殿は非常に腕も立つとのことであるし、私も同行するから、姫の護衛のつもりで半日ほど付き合ってもらえぬだろうか」
「やだよ、あんなじゃじゃ馬の子守なんか」
「そこをなんとか」
「嫌なもんは嫌だ」
だいたい、そうやって周りがいつまでもいつまでもいうことを聞いてやるから図に乗るのだ、あれは。一度びしっと言ってやればいいのに。
グランが腕組みをしたままそっぽを向いたので、オルクェルは助けを求めるようにルスティナとエスツファに視線を向けた。
だが、苦笑いしているエスツファも、気の毒そうな顔で様子を見ているルスティナも、積極的にオルクェルに荷担する素振りは見せない。彼らは形式上、グランとエレムの雇い主ではあるが、グランの嫌がるようなことは強制しようとしないのだ。
周りの誰も助け船を出してくれないことが判ったのか、オルクェルは意を決したようにひとつ頷いて、
「グランバッシュ殿、エレム殿、ちょっと」
「え、あ?」
言いながら、二人の腕を掴み、天幕の隅に向けて引っ張っていく。振り払ってもよかったのだが、なにやら表情が真剣だったので、ついグランも気圧されてしまった。それはエレムも同じらしく、戸惑った様子でおとなしく引っ張られている。
隅まで来ると、オルクェルはひとつ咳払いし、二人に額を寄せるように声をひそめた。
「……先日、出立早々ルスティナ殿が、二人と供に隊を離れて別行動していたであろう、それも二晩も。あれがいたくお気に召さなかったようなのだ」
「僕達だけじゃなくて、ルキルアの兵士のひとも一緒でしたよ。二日目の夜はそちらの騎兵の方だって……」
「ほかに何十人いようが姫には関係ないのだよ。要は、ルスティナ殿が途中に町に寄るのには同行できて、どうして自分のはダメなのかという理論なのだ」
グランとエレムは顔を見あわせた。単純な話、彼らは名目上、エスツファとルスティナの護衛としてついてきているからなのだが。その点を、アルディラはなにか勘違いしているのか。
「我らの理屈では姫は納得しないのだよ。姫の姉君達などもっとひどい。反論すると二言目には、『ルークには女心が判らない、鈍い、気が利かない、だから嫁の来手がないのだ』と、いやもう女人というのは……」
「ルーク?」
「あ、私の事だ、あまり気にしないでくれ」
オルクェルはぱたぱた手を振ると、訴えるように二人を見返した。
「姫にしてみれば、グランバッシュ殿とエレム殿は、初めて得た対等の友人のような存在であるのだよ。グランバッシュ殿は口は悪いが筋は曲げぬし、エレム殿は自分がエルディエルの公女であると知っても媚びずに、皆と同じように自分にも親切なのだと、ルキルアでのことを嬉しそうに話すのだ」
どちらかといえば、グランよりエレムの方がアルディラと接している時間が長かったはずだ。そう思ってグランが視線を向けると、エレムはさっきまでのあきれ顔がどこへやら、だんだんオルクェルを見る表情が同情的になってきた。
ひょっとして、オルクェルは自分を正面から説得するのが難しいから、エレムを味方につける方向で攻めてきたのだろうか。そこまで器用な奴には見えないが、無意識だとしたらそれはそれで侮れない。グランは内心身構えながら、横目でオルクェルを見やった。
「あんたといい、リオンといい、なんでそこまでアルディラに甘いんだよ? いくら公女だって、できないことはできない、ダメなもんはダメでいいんじゃねぇの?」
「……アルディラ姫は、人を差別せぬのだよ」
オルクェルは、困ったように笑みを見せた。
「アルディラ姫は相手が、それこそ大公であろうがあのように臆せず自分の意見を主張するし、相手の地位によって顔色をうかがったりせぬのだ。それでいて、血がつながっているとはいえ側室の子の一人に過ぎぬ私を、兄様兄様と慕ってくれる。兄馬鹿と言われるのであろうが、私には可愛いくて仕方がないのだよ」
言いながら、所在なげにこちらを見ているリオンにちらっと目を向ける。
「リオンだって、本当なら先日の騒ぎでとっくにお役御免になっていてもおかしくはないのだ。もともとただの乳母の息子が、たまたま法術の素質があったから遊び相手からそのまま世話係になっただけで、ほかにも適任と思える者はいくらでもいる。それが、あんな事があった今も変わらず世話係を任せられている。逃げる相談をされていたのになぜほかの者に知らせなかったと、リオンを責めようとした侍従達に、姫自らがリオンは悪くないときちんと説明したからなのだ。姫は我が強くはあるが、自分の言ったことの責任をほかの者に押しつけるようなことはせぬし、自分の仲間だと思ったものは、なにがあっても守ろうとする。それが判っているから、どんなにわがままを言われても、できる限り望みを通してやりたいと思ってしまうのだよ」
「……そういえば、ルキルア城が攻撃を受けていたときも、はっきり、自分に非があるんだとエルディエルの皆さんに呼びかけてらっしゃいましたねぇ」
「おいおい」
「あの時、アルディラさんはどこでエルディエルの部隊に呼びかけていたか、グランさんに話してませんでしたっけ」
なにを思いだしたのか、エレムは少しオルクェルを気にするように視線を動かした。
「街の中で一番高い場所ですよ、レマイナ教会の鐘楼です。僕もあの時初めて入りましたけど、階段で上がれるのは三分の二ほどで、塔の最上部に行くには、ほぼ吹き抜けの塔の内部を鉄の梯子で登るんです」
グランは、城から見えていたルエラの町並みを思い出して言葉に詰まった。確かに、あの町のレマイナ教会は高台にあるから、城の二階からでも塔の先端が見えるのだ。
グランの顔を見て、どういうところか想像がついたらしく、オルクェルがぎょっとした様子で二人を交互に見返した。
「リオンくんの法術がまだ力不足なので、高い場所から呼びかけろというグランさんの指示は的確だったんですけど、あの年頃のお嬢さんが、慣れない梯子をよじのぼって塔の上部をめざすのは大変だったでしょう。内心、とても怖かったろうと思いますよ」
「……それは、もとはといえば、あいつがやらかしたことの結果じゃねぇか。自分のやったことの始末を自分でつけるのは当たり前だろ」
「その当たり前のことを、できていないひとの方がどれだけ多いと思ってるんですか。グランさんもあの時、お城で大変な思いをされてたのは判ってますけど、アルディラさんがああやって呼びかけてくれたのは、第一に僕らを守るためだったんですよ」
「それは……」
自分達が誘拐犯扱いされたら困るからと、必死でルスティナを動かしてアルディラの説得に行かせたのは確かに事実なのだが。
「当たり前だからですませるのは簡単ですけど、こうまで慕ってくださってるのに、あまり頭から邪険にするのもどうかと思いますけどねぇ」
いや、それはそれ、これはこれじゃないか。なんだか居心地が悪くなってきて、グランは慌てて反論の言葉を考え始めた。間違ったことは言っていないはずなのに、なんなんだこの、自分が意固地なだけのような雰囲気は。
「グランバッシュ殿に関しては、ルキルア側との兼ね合いもあるし、今回は私も譲れない部分は譲れないと根気よく説明してはいるのだ」
エレムが自分の側についたのを悟ったらしく、オルクェルはすがるような目で、ここぞとばかりに追い打ちをかけてきた。