2.公女様のお気に入り<前>
グランは流しの傭兵である。
本当の名前はグランバッシュだが、大体はグランと呼ばれている。しかし今世話になってるルキルア軍の兵士達には、『元騎士』と呼ばれることの方が多い。
もちろんグランにそんな経歴はない。ただのあだ名のようなものだ。
ここしばらくは、大地の女神レマイナの神官であるエレムと組んで旅をしていたが、最近になってそこにお荷物がひとつ加わった。見かけ一〇歳程度の少女を姿をしたランジュがそれである。
ランジュの正体は、『手にした者に望むものを与え、成功と栄光を約束する古代の秘法、あるいは秘宝』と噂される、『ラグランジュ』そのものだ。
グランは別にそんなものは欲しくなかったのだが、たまたま気に入って手に入れた剣に、『ラグランジュ』のありかの手がかりが記されていたので、ためしに見に行ってしまったらこれである。
持っていると、持ち主が望みを叶えるまで、勝手に『機会』とか『試練』などといいながら厄介ごとを呼び寄せるらしい。しかも、ランジュ自体は本当になんの役にも立たない。迷惑きわまりないので、これは拾った場所に返品に行く途中だ。
ただ、周りにはランジュが伝説の『ラグランジュ』だなどとは言えないので、事情があって預かった子供を関係者に送り届けに行くところだ、程度にぼかしている。知っているのはグランとエレムと、ルキルア軍の高官であるルスティナにエスツファ、それに、ルキルアの王子カイルくらいだ。
エスツファは、ルキルアの黒弦騎兵隊総司令である。ルキルア軍には最高司令官と呼べる立場の人間が二人いて、その片方がエスツファだ。
基本的には、白弦騎兵隊が主に国内の治安維持を受け持つのに対して、黒弦騎兵隊は外事担当という立ち位置らしい。ただ状況によって柔軟に双方の役割を割り振れるのは、白弦の総司令との長年の信頼関係があるからだろう。
エスツファも、ランジュの正体が人間ですらないかも知れない、というのは判っているはずだ。だが、やはり見た目の印象は強烈なのだろう。もとからが面倒見がよいのもあって、ランジュの相手をしているときは、まるで父親といっても違和感がないくらいだ。
部隊の野営の天幕の、ほぼ真ん中にあるふたつの天幕が総司令用だった。
必要最小限の人数の移動だから、本当ならひとつで済ませたいところだろうが、白弦騎兵隊総司令ルスティナは女なので、それなりの配慮が為されている。もちろんルスティナ本人は構わないというのだろうが、周りが困る。
周囲のあちこちでは、さっきまでの自分達と同じようにたき火を囲み、兵士達が話に盛り上がっている。その間をかきわけて、ルスティナの天幕の近くにまでいくと、見覚えのある馬が二騎、杭につながれているのが目に入った。
片方の、豪華な鞍を積んだ馬を使っているのは、今のところグラン達が知る限りでは一人しかいない。その横には、ルキルア軍の兵士ではない男が、居心地悪そうに馬の側に突っ立っている。
彼はやってきたグラン達を見ると、なぜかほっとした様子で居住まいを正した。いつぞや、隊と別行動をしていたグラン達の様子を見に来た、エルディエルの若い騎兵である。
「……こんな時間まで、お役目大変ですねぇ」
「いえ、うちの隊長がなにかとお騒がせしております……」
エレムも覚えていたらしく、こころなしか気の毒そうに声をかけた。騎兵だから兵士として下っ端ではないはずだが、きっと同じ隊の中でも、使いやすい者とそうでない者がいるのだろう。
「……の領主の館は、人工の湖に浮かぶ島の上にあるというのですよ。戦乱時にヒンシアの町が砦になっていたときの名残なのでしょうな」
開けっ放しの天幕の入り口から、とくとくと語る男の声が聞こえてくる。天幕の支柱にぶら下がったランタンに照らされて、裾の長い上質の深緑色の上着を姿勢良く羽織った、褐色の髪の男の後ろ姿が目に入った。公女護衛の部隊を率いる、エルディエルの騎兵隊隊長オルクェルだ。
「なんでも、敵陣が川を閉ざし町を水に沈めようとしたものの、城のあった小島より上にはなかなか水位が上がらず、逆に周りの水位が上がったおかげでそれ以上攻め込まれずに籠城し続け、駆け付けた援軍に敵陣が制圧されたという記録があると」
「なるほど、歴史ある町なのだな」
「そうなのですよ。小さい町ながら、湖畔は遠く水の都と唄われるレネーシアを思わせるような風景で、そこから見る湖上の城はそれはそれは美しいとのことで」
熱っぽく語るオルクェルの説明に、ルスティナが感心したように頷いている。そこそこ広い天幕だが、ほかには誰もいない。中央に置かれた低いテーブルの上に、話のきっかけになったらしい大きな地図が広がっている。
「特に、東から昇る月に照らされる湖上の城は素晴らしいとの話であるのです。我らの部隊が通りかかる時期はちょうど満月の頃合いであるので、ぜひ一緒に見られればと……」
「そうであるなぁ、ルキルアにはそのように大きな湖はないし、皆も喜ぶであろうな」
「いや、皆というか、その……」
のんびりと返したルスティナに、慌ててなにかを言い募ろうとして、オルクェルはやっとルスティナの視線が自分ではない方に向いているのに気付いたらしい。手振りまでつけて熱っぽく語っていたオルクェルは、ぎこちない動きで天幕の入り口を振り返った。
揃って並んでいるグラン達から、ひややかな視線を一身に浴びて、オルクェルはそのまま硬直した。エスツファだけが多少気の毒そうな顔をしているが、内心では絶対面白がっているのがグランにはありありと伝わってくる。
「……そ、その通り。滅多にない機会であるし、お互い、隊の皆に見せられれば、よい土産話もできようかと……」
「さすがオルクェル殿、兵や従者達に対する心配りも細やかであるな」
とってつけたように言い直したオルクェルの言葉に、ルスティナはしきりと頷いている。
オルクェルの真意などほかの者には丸見えなのだが、仕事では辣腕を振るい皓月将軍という異名まで持つルスティナは、そっち方面にはまるっきり鈍かった。オルクェルの話が一旦途切れたので、ルスティナもグラン達に向けて笑みを見せた。
「就寝前にくつろいでいたのに、呼び立ててすまなかったな。ここから先の進行計画を決定するに及んで、オルクェル殿が相談があるそうなのだ」
言いながら、ごく自然にルスティナが懐から麻袋を取り出した。ランジュが目を輝かせたのに気づき、エスツファが肩から下ろしてやる。
ぱたぱたと走り寄ったランジュは、ルスティナに頭を撫でられながらその麻袋を受け取ると、隅の敷物の上に座って中身を広げた。出てきたのは、親指の先ほどの大きさのガラス玉が十数個。ランジュはもう周りのことなどどうでもよくなった様子で、勝手に遊び始めている。
たまに見せる大人顔負けの知識や話し方といい、ランジュの中身は絶対一〇歳程度ではないとグランは踏んでいる。だが、普段の遊び方や食べ物の好みは、そこらの子どもとそう変わらない。飽きるまでの集中力も、飽きたときの露骨な関心の失い方も、子どもそのものだ。
リオンはランジュの側で面倒を見たがっている素振りだったが、オルクェルの手前そうもいかないらしい。ルスティナが地図を改めてテーブルに広げ、全員がそれを囲むのを、エレムと一緒に少し下がって眺めている。
「今のこの野営地から丸一日進むと、ヒンシアという大きな町に着く。当初からの予定で、そこの郊外に三日駐留し、交代で全員が一日半の休暇を取ることになっている。希望者は町での宿泊も許可している」
示された地図だと、現在地から街道の更に先に大きな湖がある。ヒンシアというのは、さっきオルクェルがルスティナに言っていた、湖上の城がある町だろう。
「で、その手前、明日出立しても昼にならないうちに通過してしまうような位置に、クフルという町がある。ほかの町からの道が合流するため、町の規模もそこそこで、休憩地としても条件は悪くなかった。だが近くにヒンシアがあるので、ここは通過する予定であった」
ルスティナの指は、湖畔に続く街道の少し手前を示している。この町は湖へ続く大きな川に寄り添っているから、きっと水上を利用した物流の面でも利便の良い町なのだろう。そこまで言って、ルスティナはオルクェルに視線を移した。
説明しているルスティナの横顔を、見とれるように眺めていたオルクェルは、いきなりルスティナと間近で目があってぎょっとした様子だった。
どうやらこの先は、オルクェルが説明することになっていたのだろう。オルクェルは若干赤くなりながらも、慌てて真面目な顔つきを取り繕って地図に視線を向けた。それを見て助け船を出すでもなく、エスツファが一人で笑いをこらえている。
「で、急な話ではあるのだが、一日あればヒンシアにいける距離でもあるし、一部がクフルで一足先に休憩を一日とっても差し支えないのではと」
「一部って?」
「……ここにいる者の、一部が」
グランの問いに、オルクェルが気後れしたように笑みを見せた。
「実はその……アルディラ姫が、一日くらいゆっくり異国の町を見てまわりたいと言い始めて」
「勝手に見せてやればいいじゃねぇか」
「だから、どうせなら気心の知れた者と見て回りたいと言ってきかぬのだ」
オルクェルの言葉と同時に、その場にいた全員の視線が一斉にひとりの人物に集中した。……グランに向かって。