1.夏の夜の怪談話
その山小屋には、近くに住む者なら誰でも知っているいわくがあった。
何年か前に男女が殺されて、殺した男もそのあと自殺した、というものだ。
殺されたのは、木こりを亭主に持った妻と、その愛人だったという。二人は、木こりの亭主が仕事に出ていた間に逢い引きしていたのが、とうとう見つかってしまった。
「……恐ろしい形相で斧を振り回し、追ってくる亭主から逃げようと、二人は必死にその山道を駆け上がった。しかし亭主は木こりだけあって、体力もあるし山道にも慣れている。なかなか振り切れず、追い詰められて二人はとうとう行き着いたその山小屋に逃げ込んだんだ」
同じたき火を囲み、順番が回ってきた中年の兵士が淡々と話を続ける。
聞き手はグラン達のほかは、同じたき火で夕食を済ませた、一〇人ほどの若い兵士達である。
軽く酒も入っているから、聞き始めは皆余裕があったし茶化すような雰囲気もあったが、さすがにこれで三人目の話だ。聞いている方も半分くらい本気で耳を傾けているので、話し手の男の声が妙によく通る。
「扉を閉ざし、二人が小屋の中で震えていると、追いついてきた木こりは最初、ものすごい勢いで扉を叩いていた。もちろん開けるわけがない。そうするとそのうち、ほかに入れる場所がないか探そうとしたんだろうな、斧をずるずる引きずるように音を立てながら、小屋の周りを回り始めた」
ランジュの隣で真剣な表情で話を聞いているリオンが、唾を飲んで話し手の男を凝視している。移動する部隊の野営での暇つぶしなど、酒か女の話かこういう怪談話くらいなのだが、リオンはこんな場に混ざるのも初めてなのだろう。ランジュは平気な顔で、たき火で焼き上がった芋をエレムからもらって皮をむいている。
「木こりは外側から、どこか壁に弱いところがないか、ガタガタ揺らしたり、叩いたりもしていた。その音がやんで、足音も聞こえなくなったと思ったら、扉の方から……」
それまで淡々と話していた男は、一旦口を閉ざして聞いている者たちの顔を見回すと、
「『ガツガツッ、ガツガツッ』」
不意に形相を変え、大声と一緒に斧を振り下ろす仕草をした男に、周りの聞き手数人とリオンが驚いた様子で身を引いた。話慣れているらしく、なかなか間の取り方もうまい。
「……騒ぎを聞いて追いかけていった村の役人がたどり着いた時には、男女は小屋の中で頭をかち割られて血まみれになって死んでいて、殺した木こりも近くの木で首を吊っていたんだそうだ」
「うわぁ……」
「そんな小屋、さっさと壊してしまえばよかったんだが、なければないで、夏の間に猟師や山菜採りが山に入るのに不便だったから、結局床板と扉を変えただけで小屋はそのまま残したらしい。ただその事件の後、二人連れがその小屋に泊まると、木こりの男の亡霊が現れるという噂が流れ始めた。
ある冬の日、その山小屋に、別の山から獲物を追ってきた猟師二人が辿り着いた。
二人は木こりの亡霊の話を思い出して、どうしようかと思ったが、その時には日も暮れて雪がちらついてきていた。もうここで一晩あかすより仕方ない。中で火も焚けるし、迷い込んだ人間が使えるように薪の用意もある。外で凍死するよりはと、二人は腹をくくって、そこで夜明かしすることにした。
幸い食料も酒も持ち合わせがあった。火で体が温まったら、歩き続けていた疲れもあって、気がついたらすっかり寝入ってしまっていた。
……真夜中になって、くべていた薪の火が弱まり、少し肌寒く感じて片方の男が目を覚ました。
高いところにあかりとり用の小窓があるだけで、小屋の中で灯りになるのは、燃えている薪だけだ。変なときに目を覚ましたなと思って、薪を足したところで、外からなにか音がするのに気がついた。
まるで、何者かが扉を開けようと、ガタガタ揺すっているようだった。食べ物の匂いにつられた動物が入る隙を探しているのかと思ったが、動物が体当たりしているような音ともまた違う。
怖くなってもう一人を起こしたところで、扉が外からドンドンと叩かれ始めた。
事件の話を思い出して、二人は声も出ないまま、抱き合うように小屋の中で震えていた。外にいる何者かは、しばらく扉を叩き続けた後、なにかを引きずるような音をさせながら、小屋の周りを回り始めた。時折、壁の弱い部分を探るように叩いたり、揺すったりしている様子もある。
そのうち、外が静かになって、二人が安心したところで、再び扉がドンドンと叩かれ始めた。ここで亡霊に殺されるのかと、二人は恐怖で気を失ってしまった。
……二人が気がついたときにはもう明るくなっていて、外もすっかり静かになっていた。怖くて仕方がなかったが、さすがに明るくなったら亡霊もいないだろうと、おそるおそる扉を開けようとした。
だが扉は外から何者かが押さえているかのように開かない。
なんとか二人で必死に、扉を押し開けると、そこには……」
「そこには……?」
リオンが思わず聞き返すと、もったいをつけるように、話手の男は周りの者たちを見回した。
「右足を怪我をした見知らぬ男が、扉をふさぐように倒れて、冷たくなっていたんだそうだ」
最初、あっけにとられたように説明を待っていたリオンと周りの聞き役達が、だんだん意味を呑み込んだらしい。なあんだと、ほっとした様子なのが半分、じわじわと別の意味の怖さを覚えてきたらしいのが半分。
「どっちにしても怖いじゃないですかぁ……」
「ああ、そっかー。たまたま、生きてる人が助けを求めてやってきたんですねー」
引きつった口元をこぶしでおおっているリオンの隣で、むいた芋に塩を振ってかじっていたランジュが、感心したように頷いている。
「引きずっていたのは、斧じゃなく、怪我した足だったんですねー。かわいそうですねー」
「お嬢ちゃんはなかなか手強いなぁ」
半分は、リオンやランジュをからかうために始めた夏の夜の怪談話なのに、理想的な反応をしているのはリオンだけだ。ランジュはけろっとした顔のままである。話を終えた中年の男が、苦笑いを見せた。
「よーっぽど普段から、元騎士殿に脅かされて鍛えられてるんだろうなぁ」
「なんで俺なんだよ」
「エレム殿や元騎士殿は、なにかネタはないのか?」
話を振られて、グランは首を傾げた。ないことはないが、自分の持ちネタは怪談じゃない上にしゃれにならない。エレムも判っているらしく、曖昧な笑顔で首をすくめている。
「おばけとかでてこない怖い話なら、ありますよー」
芋をすっかり食べ終えて、エレムから糖蜜湯のカップを受け取ったランジュが、よせばいいのににこにこと声を上げた。のっけからきつい話が続いていたせいか、周りの兵士達も、ほっとしたような笑顔でランジュに視線を向けた。
「へぇ、どんな話かな」
「んーっと、ある町に、とっても綺麗な女の人がいて、お金持ちだったので近くの町や村から、若くて綺麗な女の人を使用人としてたくさん集めてたんだそうです」
「うんうん」
「でも、たくさん集めてるはずなのに、いつまでたっても、使用人を集めるのをやめないし、働きに行った女の人たちも誰も館から出てこないんです」
ランジュの笑顔につられて相づちを打っていた男達の表情が、なにか不吉なものを感じたかのように固くなってきた。
「で、さすがにおかしいと思って、町の領主が兵隊を連れて様子を見に行ったら、館の女主人は生温くて真っ赤なお湯で体を洗ってて……」
横にいるリオンも、さすがに話の展開が判ったらしく、半分体を引いてランジュを見下ろしている。
「館の地下には五〇〇人以上の死体が山積みになってて、それがみんな使用人として集められてきた女の人たちだったそうです。その地方では、若くて綺麗な女の人の生き血が、若返りと美しさによく効くという迷信があったそうで、生き血を取るために、槍のような刃物をたくさん仕込んだ棺桶に、連れてきた生きたままの女の人を入れて……」
「うわぁぁ……」
隣にいた兵士に半ばすがりつきながら、リオンが変な声を上げた。
今までの話では平気な顔をしていたエレムも、さすがに硬い笑みで汗をかいている。周りの兵士達が揃って、咎めるような目でグランを見た。
「元騎士殿、なんてえぐい話を子どもに教えてるんだ……!」
「なんで俺なんだよ!」
「あとは、自分のご主人と恋人を含めて四人の男の人を、蝋漬けにして地下室に隠してた女の人とか……」
「もういい、もういいから」
中身はどうだか知らないが、ランジュの見た目は一〇歳程度の少女である。さすがにこれは笑えない。グランと周りに止められて、ランジュはきょとんとした様子を見せたが、すぐに糖蜜湯のカップを抱えて飲み始めた。
「……ここだけ葬式のような空気になっているが、どうしたのだ?」
兵士達の天幕の様子を見に来たのか、エスツファが怪訝そうに声をかけてきた。怖い話比べで、いい大人がランジュに話し負けしたとも説明しづらく、全員がひきつった笑みを見せる。
「子どもがいる時は、よからぬ話で盛り上がるのもほどほどにな」
いや、そこの見かけの一番小さいのが元凶なんだけどな……。
ランジュの頭をぽんぽんと撫でるエスツファに、全員が内心で同じ返事をしているのが、グランには手に取るように判った。
「で、酒も入っているのに悪いんだが、元騎士殿、ちょっとこっちの天幕まで顔を出してもらえないか」
「なんかあったのか?」
「あったというか、あるかもしれぬ。エレム殿にリオン殿も」
「はぁ」
自分達が揃って呼ばれるなら、内容も大体察しが付く。正直あまり気が進まなかったが、カップを抱えたままのランジュの体をそのまま肩に乗せて、エスツファがさっさと歩き出したので、グランも仕方なく立ち上がった。