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28.街道の小さな事件の顛末<後>

 ふわふわの白いドレスを着た、ランジュと変わらない年頃の少女が、両手で大きなかごを抱えてこちらに駆けてくる。かごのなかには、参列者に配るためのものらしい、小さな紙袋がいくつも入っていた。

 少女は息を切らせて追いつくと、誰に話しかければいいか少し迷った後、ルスティナに向けてかごを差し出した。

「おねえちゃんがね、おとうさんのおてがみをとどけてくれて、ありがとうだって」

 ルスティナは驚いたように少女を見返すと、柔らかく目を細めてかごの中の紙袋を受け取った。そのまま片膝をついて少女と目線を合わせる。 

「今日のお嫁さんは、そなたのお姉さんか。お父さんもきっと喜んでいるであろう。おめでとう」

 そっと髪をなでられ、少女はくすぐったそうに笑った。

 少女は、たぶん姉に言われたとおりに、その場にいた全員の前で同じようにかごを差し出してきた。衛兵達にも、シラグにも分け隔てなく。

 ただついてきていただけだった騎兵達も同じようにされて、戸惑ったようにルスティナを見る。ルスティナが黙って頷いたので、礼を言いながら紙袋を受け取っていた。

 一通り配り終わると、少女は全員をもう一度見回して、ぺこんと頭を下げた。空になったかごを抱え、笑いながら来た道を駆け戻っていく。

 グランは、受け取った紙袋から、ほのかに甘い匂いがするのに気付いた。焼き菓子でも入っているようだ。

 よく見ると紙袋ひとつひとつに、新郎と新婦の簡単な謝辞が書かれていた。立ち上がったルスティナは、改めて衛兵達に顔を向けようとして、途中で動きを止めた。

 受け取った紙袋を持ったシラグが、声もなく涙を流していた。

 自分がなにをやったのか、シラグはやっと気がついたのだ。歯を食いしばって嗚咽を噛み殺しているシラグの肩を抱えてやりながら、年かさの衛兵がルスティナに視線を向ける。

 ルスティナは静かに微笑んで、少女が駆けていった道の先を振り仰いだ。広場から響く鐘の音が、日差しの強くなった夏の空に吸い込まれていく。



 荷馬車というのは基本的に、荷物を運ぶためのものだ。乗り心地はあまり快適とは言えない。御者役の衛兵は揺れに気を遣ってか、あまり速度をあげなかったが、それでも歩くよりはだいぶ早かった。エルディエルの騎兵は、ルスティナが合流する連絡も兼ねて先に隊に向かって戻っていて、ルキルアの騎兵が先導するようにゆっくりと先を走っている。

「ルスティナさん、お見事でしたね」

「私はなにもしておらぬ」

 荷台の縁で後ろ向きに腰を下ろし、ゆっくり流れていく景色を眺めていたルスティナは、エレムの言葉に静かに首を横に振った。

「どれだけ周りが口うるさく言葉を並べても、当人が悟れなければなんの意味もない。自分のしたことの結果を見せてやるのが、一番よかろう」

 時折顔にかかる髪を指で耳まですくい、ルスティナがグランに視線を向けた。

「悔いて涙を流せるのなら、きっとあの者も良い方向に立ち直れるであろう。なぁ、グラン」

「……さぁな」

 少し離れて同じように座っていたグランは、頬杖をついてそっけなく答えた。

 ああやって泣いてはいたが、自分のしたことの結果に耐えきれず逃げ出すことだって、今後あり得る。世の中、おとぎ話の結末のようにうまくいくとは限らない。

 エレムが咎めるようにグランを見たが、ルスティナはたいして気にしていないようだ。ふと思い出したように、そばに置いたままだった紙袋に手を伸ばす。

 袋を破らないように慎重に開いて中を覗き込んだルスティナが、男二人がびっくりするくらい無邪気な笑顔で眼を輝かせた。あまりにもあどけない反応の仕方だったので、グランとエレムは思わず身を乗り出して、差し出された袋の中を覗き込んだ。

 形も厚さも焼き色も揃っていない、簡素な焼き菓子である。葉っぱや花の形にきれいに型抜きされたのもあれば、なんだかよくわからない形のものもある。ルスティナがつまみ上げたのは、かろうじてひよこか小鳥かと推察できるものだった。ご丁寧に、目のようなものまでついている。

「みんなで、一生懸命作ったんでしょうね」

 花嫁とその姉妹達が、揃って粉をこねて型を抜いている光景が見えるような不揃いさだ。納得したように笑みを見せ、エレムもつられて指を伸ばした。

 ルスティナは宝石でも眺めるように焼き菓子を自分の目の前にかざし、大事そうに口に放り込んだ。笑顔で何度か頷いているから、まずくはないのだろう。

 グランがその様子をぼんやり眺めているのに気づいて、ルスティナが紙袋を差し出してきた。

「いや、俺はいいよ」

「いいから、ひとつくらい味を見てみるが良い」

 正直、食べているルスティナの反応を見ているほうが、グランには美味しい。グランが手を出さないので、ルスティナは袋の中から焼き菓子をもう一枚つまみあげ、グランの口元に突き出してきた。無意識でなんの含みもない行動なのだろうが、グランは少し戸惑い、仕方なく焼き菓子のはしをくわえて顔を引いた。

 なんてことはない、粉の味だった。城で、宮殿からたまにまわってくる上等の菓子とは、甘さも香りも口触りも比較にならない。

 でも、誰かが誰かのために損得抜きで作ったのが判る、素朴な味だった。

「……うまいな」

「であろう」

 ルスティナはなぜか誇らしげに頷くと、大事そうに紙袋を閉じた。こういうものを喜ぶような人柄だから、ほかの兵士達がちゃんとついてくるのかも知れない。

「大変だったが、こういうのもたまには楽しいものだな。国に帰るまでにもう一度くらい、こんなことがあってもよいな」

「ええっ」

「勘弁してくれよ!」

 こんなことは一度あれば十分だ。思わず揃って声を上げたグランとエレムを、ルスティナはきょとんとしたように交互に見比べ、口元をおさえて声を殺して笑い始めた。またツボにでもはまってしまったらしい。

 グランはなんとも言葉が浮かばず、黙って頭をかいた。こんなによく笑う女だったんだなぁ。



 三人がルキルアの部隊に追いついたのは、兵士達の昼の休憩が終わる頃だった。先に走らせていたエルディエルの騎兵の知らせもあって、荷馬車が追いつく頃にはエスツファがランジュとリオンを連れて隊の後尾で待ちかまえていた。

「予定より遅れてすまなかった。変わったことはなかったか」

「いや、こっちは特に何事もなかったが……」

 なにに驚いたのか、荷馬車から降り立ったルスティナを見るエスツファは、妙に怪訝そうな顔つきだ。

 後ろで眺めているほかの兵士達は、怪訝を通り越し、眩しいものを見るような顔つきで戸惑っている。グランとエレムはなんとなく察しが付いて、思わず目を見合わせた。

 ルスティナもあの村に同行すると聞いた理髪店の女が、昨日の夜は宿にまでやってきて、髪の洗い方や油を使った手入れの方法に、肌につける水の使い方まで教えてやっていたのだ。髪も切り揃えた後で、顔のうぶ毛も剃刀であてて、眉なども整えているから、出立前とは見た目の印象が変わっている。

 だが、おしろいや頬紅などといった判りやすい変化ではないので、ルスティナのなにが違うのか、男達にはよく判らないのだ。

「髪がつやつやして綺麗なのですー」

 エスツファに手を引かれ、グラン達を待っていたランジュが、うっとりした様子でルスティナに駆け寄り、ぱたぱたと足下をまわりはじめた。

「いい匂いがしますー」

「ああ、これかな」

 ルスティナは笑って、手に持っていた紙袋をランジュに差し出した。たぶんランジュは髪の匂いのことを言っていたのだが、中に入っているのが焼き菓子だと気付いたとたんにほかはどうでも良くなったらしく、目を輝かせて受け取っている。現金なものだ。

「グランさん、ひどいですよぅ」

 別に見た目はぼろぼろというわけでもないのだが、明らかに精神的に疲れ切った様子のリオンが、泣きそうな顔でグランとエレムに近づいてきた。

「皆さんが二日も隊から離れるから、アルディラ様が爆発寸前で、ぼくもあっちに戻るに戻れないですよぅ。自分はずっと馬車で窮屈な思いをしてるのにずるいとか大騒ぎで、ぼくどうしたらいいんですかぁ」

「馬鹿正直に話すからじゃねぇか、こっちだって遊んでたわけじゃねぇんだよ」

「そんなこと、アルディラ様が聞く耳もつわけがないですよう」

 まぁそれもそうだ。グランは面倒になって、自分の分の焼き菓子の袋をリオンに押しつけた。

「なんですか、これ」

「俺からだ。とでも言って渡してみろ」

「こんなのでごまかされてくれるかなぁ」

 そのへんはうまくやれよ……。不服そうながらもとりあえずリオンが静かになると、今度はなにかに化かされてでもいるような顔のエスツファが、こちらに近寄ってきた。

「元騎士殿、ルスティナとなにかあったのか?」

「なんで俺限定なんだよ、いろいろあったけど、特に俺とってわけじゃねぇよ」

「いや……」

 ルスティナはごく自然にランジュと手をつないで、ほかの兵士達となにやら話をしている。それ見ながら、エスツファが首を傾げた。

「では誰がルスティナに魔法をかけたのだ」

「魔法、ねぇ……」

 グランとエレムはなんとなく顔を見あわせた。焼け焦げた髪を一房、平気で切り落とそうとしていたほど無頓着な女が、たった一日二日でそれとわかるほど印象が変わっているのだから、確かに魔法みたいなものだろう。

「……暁の魔女かな」

「魔女?」

 片方の魔法使いはもうただのひとになってしまったが、キルシェとはどうも妙な縁ができてしまった気がする。

『ラグランジュ』の持ち主を「見に来ただけ」と言っていたが、ラグランジュの厄介ごとを呼び寄せる力に便乗して、自分の力の源になるものを集めたいのかも知れない。こちらの害にならなければ、今のところはどうだっていいが。

「まぁ、いない間の話は後だ。妹思いの兄様が、また様子を見にいらしたようだぞ」

 そろそろ出発の列を整え始めたルキルア隊の前方から、緑色の上着をはためかせた男を乗せ、馬が駆けてくる。げんなりしたグランを見て、エスツファとエレムが冷やかすように笑った。

 それと一緒に、若い娘の楽しげな笑い声がかすかに聞こえた気がした。だがグランが振り返った道の先には、彼らを乗せてきた荷馬車が小さく遠ざかっていくのが見えただけだった。


<皓月将軍と暁の魔女・了>

ご覧いただいてありがとうございます。

第三章開始まで少々準備のお時間を頂きます。


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