27.街道の小さな事件の顛末<中>
ルスティナが袋の口を開くと、三枚のデュカト金貨が中から顔をのぞかせた。
大陸内中央部で流通している貨幣の中で、もっとも価値の高い金貨である。貴族でも王族でもない一般人には、一生のうちに一枚だって手にできるかどうかも判らないようなものだ。
「あの男は、各地を渡り歩く優秀な建築技術者だったようなのです」
あっけにとられて髪飾りと金貨を眺めている三人に、年かさの衛兵は続けた。
「持っていた家族からの手紙の内容からだと、男はここ一年ほど、エルディエルにある宮殿の補修に携わっていたようでした。どうやらこれは、その成功報酬のようです。水場の上の宮殿で、とても技術のいる仕事だったとかで……」
「ああ。第三公女のリディエラ様の居城です」
それまで黙って話を聞いていたエルディエルの兵士が、ルスティナの視線を受けて小さく頷いた。
「リディエラ様の居城は半分が湖の上なのです。今回は補修と一緒に塔の増築もあったので、かなり工事は大がかりでした」
「それはそれは……」
公女の城という時点で、どういう規模のものなのかまったく想像がつかない。気を抜かれたように答えたルスティナは、ふと首を傾げた。
「これだけの報酬をもらえるような者が、なぜ馬車も雇わずに歩いていたのだ? 日中なら乗合馬車も拾えたのでは?」
「それが……」
年かさの衛兵は、多少言いにくそうに、
「エルディエルのお姫様のご一行が通られるということで、街道沿いの各町には、その行列が通り過ぎるまで乗合馬車や騎馬での旅人は出立を控えるようにと通達が出ておったのです。なんでも、ここに来るまでに一度、失踪騒ぎがあったお姫様だとかで、国内で何かあったら大変だからとのお達しで」
「なるほど……」
エルディエルの騎兵が、なぜか申し訳なさそうな顔になった。あの件に関してはかなり改変されて噂が伝わっているとはいえ、外から見たらどうしても、ルキルアが一方的に迷惑を被ったように思える。触らぬ神になんとやらと思われても仕方がないだろう。
「それで、いったいこの髪飾りは、なんに使われるものなのであろう?」
「それが、理髪屋の女が理由を知ってまして」
「理髪屋の? なんでだよ?」
「閣下が理髪屋に来られた時の話を町の者にしたのが、エンス達がみなさんを待ち伏せるきっかけになったらしかったので、どんな話をしたのか聞きに行ったのです。その時に……」
今更もったいぶる必要もないのだが、年かさの衛兵はこころもち身を乗り出して声をひそめた。つられてグラン達も体を寄せる。
理由を聞いて、ルスティナはため息をつくように頷いた。
「……そういうことであったか」
「それで、間に合うならなんとかして戻ろうとしていたんですね」
控えめな身なりに似合わない、豪華な髪飾りと手つかずの金貨。理由が納得いって、グランも小さく頷いた。思案するように腕を組み、男達から視線をそらしたルスティナの瞳が、こころなしか潤んで揺れているように見えた。
「せっかく荷物も戻ったことですし、明日の朝早くにでも家族の者に知らせがてら、届けてやろうかと思っております。この町からも、理髪屋の女以外にも何人かが手伝いに乞われているようですから、その者らと一緒にいけば使うのに間に合いそうです。さすがに遺体だけは、家族の確認のないうちは届けてやれませんから、対面はもう少し遅れそうですが」
「そうか、この髪飾りは期日に間に合うのか」
少しの沈黙の後、顔を上げたルスティナは、形だけは問うように首を傾げてグランとエレムを見た。
「どうせ遅れついでだ、我らも事の顛末を見届けてゆかぬか」
疑問系だが、既に心は決まっているのだろう。いたずらっぽく光をひらめかせたその瞳に、グランとエレムはちらりと視線をあわせ、同時に肩をすくめた。
「この時間じゃ、今日はもうどんなに急いだって、エスツファさん達に追いつけませんしね」
「だったら今夜はこの町に宿をとって、明日は荷馬車ででも送ってもらったほうが楽だな」
「ということなのだが、構わぬか」
町の衛兵側としては、これだけ迷惑をかけたルスティナの言うことに嫌とも言えないだろう。年かさの衛兵が頷くと、ルスティナはふと自分のあごに指を当て、なにを思いついたのか小さく笑みを見せた。
「ついでといってはなんだが、もうひとつやってほしいことがあるのだ……」
まだ夜があけたばかりで、ひんやりとした朝の空気が心地よい中、荷馬車が二台と、数騎の騎兵が連れ立って町を出た。人数的には荷馬車は一台でも足りたのだろうが、片方の荷馬車には荷台いっぱいに真新しいたくさんの切り花が載っていて、一緒に数人の女達が、それぞれの仕事道具を抱えて乗り込んでいた。その中には、昨日世話になった理髪屋の女もいる。
グラン達は、衛兵が手配してくれたもう一台の荷馬車に乗せられ、花でいっぱいの荷馬車の後ろをのんびりと運ばれていた。町の若い衛兵と一緒に御者台に座り、こちらの荷馬車を操っているのは、雷の魔法を失ってただの人になってしまったシラグだった。
田舎の小さな町だから、「物取り目的でルキルアの将軍を襲った町の不良達が捕まった」という昨日の騒ぎはとっくに町中に知れ渡っている。しかし今のところ、それと街道で起きていた盗難事件の関連はまだ伏せられていた。
法術師でもない者が、雷の魔法を使って悪さをしていた、ということからが公の形で説明しにくいのもあるし、当の本人は既に力を失っている。町の連中も、昨日の騒ぎにシラグが関わっているのはうすうす判っているらしいが、気の弱いシラグが評判の悪いエンスに脅されていたのだろうと思っている様子だ。花屋の荷馬車に乗っている女達も、あまりシラグを冷たい目で見たりはしなかった。
ルキルアとエルディエルとコルハトと、三カ国の騎兵を護衛につけるなど、ルスティナも初めての経験だったろう。
その彼らが目的の町に入ると、朝も早いというのに町全体が賑やかにわきたっていた。粗末ではあるが精一杯に着飾った子供達や若い娘達が、入り口近くの広場を紙の花や色とりどりの布で飾りつけていた。
騎兵と一緒に見慣れない荷馬車が入ってきたので、何事かと思う者もいたようだ。それでも、荷台から慌ただしく切り花がおろされて広場に運び込まれていくので、ほかの町からの来た手伝いの者とその護衛だろうと勝手に解釈したらしい。
ルキルアとエルディエルの騎兵は荷馬車のそばで待たせることにして、グラン達も荷馬車を降りた。理髪師の女に先導される形で、ぞろぞろと歩いていく。どうやらこの小さな町の中でも、多少裕福な層の住む区画に向かっているようだ。
若い衛兵に連れられて、シラグもおどおどと後をついてくる。自分がなぜここに連れてこられたのか、シラグは知らされていない。この町にいる間は口をきいてはいけないとも、言い含められているはずである。
案内された屋敷では、四〇を過ぎたほどの品の良い身なりの女が訪問者を出迎えた。理髪師の女と顔見知りらしいが、後ろに続く衛兵やグラン達を見て多少驚いた様子だ。仕事道具を抱えた理髪師の女が先に上がって姿が見えなくなると、年かさの衛兵は辺りに気を配りながら説明を始めた。
町に戻る途中の街道で、心臓の病気でこの家の主が亡くなっているのが発見されたこと。その荷物の中から、家族にあてた手紙と贈り物が見つかったから、先に届けに来たのだと。
いろいろはしょってはいるが、嘘は言っていない。詳細の説明は、家族が改めて遺体の確認をする時でいいだろうと、ルスティナが勧めたのだ。
「そうですか、連絡はあったものの、まだ戻って来ないから、仕事が長引いたのかと心配していたのですが。帰ってきてくれようとしていたんですね……」
受け取った手紙を読み終えた女は、髪飾りの入った木箱と金貨の袋を抱え、涙ぐみながら頷いた。なにかを堪えるかのようにしばらく黙った後、女は大きく息を吸ってグラン達を見回した。
「夫は、自分が貴族とは名ばかりの貧しい家の出だというのをずっと苦にしていて、若い頃に苦労して学んで、建築の知識と技術を身につけたのです。腕が買われて、あちこちの国に乞われては働きにいって、おかげで私たちは不自由なく暮らすことができました。自分が貧しくて苦労したから、子供達には惨めな思いはさせたくないのだと言っていました」
なにを思いだしたのか、女は小さく笑った。
「だから、今回の娘の結婚話を、最初は頭から反対していたのです。相手はとてもいい青年なんですけどね、ろくな領地もない下級貴族に嫁いだって苦労するだけだって。夫は、自分の知り合いの若い技術者に娘を紹介したかったみたいです。それでも根気よく手紙でやりとりして、渋々ながらも承諾を得て、やっと日取りも決まって……」
仕事を一区切りさせて、男は娘の結婚式のために家族の元に戻ろうとしていたのだ。自分は最小限のことにしか金を使わず、娘のために髪飾りをあつらえ、最後の報酬は持参金にでもさせようと全く手をつけていなかったのだろう。
「夫が亡くなったことは、今日の式がきちんと終わってから伝えることします。改めて、新しい息子と一緒に迎えに行きますので、もうしばらく夫のことをよろしくお願いします」
丁寧に頭を下げられ、年かさの衛兵は静かに頷いた。女は顔を上げると、笑顔を作って家の中に戻りながら、大きく声を張り上げた。
「お父さんから、手紙とお祝いの贈り物が届きましたよ。お式で使って欲しいんですって……」
家の中で、女達の賑やかな歓声があがったのが聞こえてきた。きっとあの髪飾りが映えるように、理髪師の女がこれから腕を振るうのだ。
もう長居は無用だろう。年かさの衛兵に視線を向けられ、ルスティナも頷いた。揃って馬車に戻ろうと何歩か歩きかけ、グラン達は揃って足を止めた。
後ろで若い衛兵と待っていたシラグが、呆然とした様子で立ちすくんでいた。自分がなぜここに連れて来られたのかが判ったらしい。
顔色を失ったシラグに、年かさの衛兵も若い衛兵もなにも言わず、歩くように促した。
シラグの様子を眺めていたルスティナは、グランの視線に気付くと少し寂しそうに頷いた。
荷馬車に戻ると、待っていた騎兵が、花を載せてきた荷馬車の荷台を片付けて、三人が快適に乗れるように準備していた。シラグの荷馬車は衛兵達と町に帰り、シラグ自身は留置場でほかの者らとともに処分が決まるのを待つことになる。グラン達はここから、ルキルアの隊に向けて送り届けられる事になっている。
最後の挨拶でもしようとしたのか、こちらに近寄ってきた年かさの衛兵が、ふと立ち止まって今来た道を振り返った。