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25.皓月将軍と暁の魔女<後>

 鈍い手応えがあって、剣の切っ先がめり込んだ。

 男の顔の、真横の地面に。

 刃に触れた男の髪の毛が、ぱらぱらと地面に散っていく。男は吹き損なった笛のような声を上げた後、泡を吹いて白目をむいた。エレムが後ろで、安心したように大きく息を吐いたのが判った。

 こんな小物、刃を汚す価値も無い。だが自分に手を出そうとしたのだから、それなりに怖い目は見せてやるべきだった。

 グランは肩で息をつき、剣の先を地面から引き抜いた。鞘に収めると、近づいてきたルスティナが男の顔をのぞき込んで、目をぱちくりさせた。

「見た覚えがあると思ったら、この若者は、今朝の荷馬車の御者ではないか?」

「ええっ?!」

 確かにグランも見た覚えがある。昼に、理髪店をのぞき込んでいた野次馬の中にもいたような……?

「なんだか見覚えのあるような気はしてたんですけど……」

「じゃ、こいつが今まで、街道の行き倒れから荷物を奪ってた犯人なのか?」

「雷に人の意識を奪う作用があるのかどうか判らないですが、さっきの感じだと、痺れて少しの間体の自由がきかなくなるのは確かなようです」

 人が意識を失って倒れているところに出くわした奴が黙って荷物を持ち去る、ということは、たまにならあるだろう。たまになら、だ。

 そういったことが頻繁に起きていたのが、既に不自然だったのだ。

「しかしなんだって、今になって人数揃えてこんなあからさまなことを」

「後ろ暗いところがある者は、追い込まれればなんでもするものだ」

 ルスティナが呆れたように肩をすくめ、倒れている男たちを見回した。

「僕らが衛兵の方と、行き倒れの死体についてあれこれ話していたことで、危機感を抱いたのかも知れないですね」

「いろいろ推理ごっこをやらかしてきたからなぁ……」

「とにかく、この者らは逃げないように縛り上げて、町に連絡してやらねばならぬな」

 ここまで歩いてきたのに、また逆戻りである。放り出して先に進むわけにもいかないし、仕方ないのだが。エレムが頷いて、気絶して動かない男達の持ち物から、縄の代わりになりそうなもの探り始めた。

 なんとなく痺れの残る右手をグランが軽く振ると、なにやら水滴のようなものが飛んだ。気がついてルスティナが手を伸ばしてきた。

「グラン、血が出ている」

 火花を受けたとき、灼けるような痛みがあったのだが、これがキルシェの言っていた『高熱の雷撃』の作用なのかもしれない。手の甲を覆っていた革の手袋が熱で裂けている。むき出しになった中指あたりの骨山の皮膚が切れて、軽い火傷のように赤く焼けただれて血がにじんできていた。右腕全体の痺れのせいで一時的に感覚が麻痺しているのか、傷自体の痛みはまだ感じない。

 自分は手だからまだよかったが、心臓に病を持った者が胸の辺りに喰らったら、確かにひとたまりもないかも知れない。

 利き手を怪我すること自体が、剣を扱う人間には既に失敗なのだが、今回は仕方ないだろう。手袋は換えなくてはいけないが。

「こんなの、たいしたモンじゃねぇよ」

「私のことは心配するのに、どうして私には心配をさせないのだ」

 思わず手を引っ込めようとするのを咎めるように、ルスティナは傷に触れないようにグランの右手を両手の指先でそっとおさえた。触れた部分に、さっきの火花のものとは違う、甘さを持った熱が伝わってきた気がして、グランは一瞬言葉に詰まった。が、

 触れているルスティナの指先が、細かく震えている。

 グランははっとしてルスティナの顔を見た。なんでもないような顔をしていたルスティナは、自分の震えを気付かれたのを悟ったらしく、今度は慌てた様子で手を離そうとした。グランはとっさに右手でルスティナの左手首を掴んだ。

 さっきよりもはっきりとした震えが伝わってくる。ルスティナはグランに見据えられ、珍しく、取り繕うようなぎこちない笑みを見せた。

「その……少しだけ、だ。もう大丈夫だ」

「……ったく」

 この期に及んで、怖かったとも言わないのかこの女は。掴んだ手首から伝わってくる震えはまだおさまる気配がないのに、大丈夫もなにもない。

 グランは言いようのない苛立たしさを感じて、ルスティナの手首を掴んだまま、あいていた左腕をルスティナの背中に回し、肩ごと抱き寄せた。驚いた様子でルスティナが身を硬くする。

「怖いは怖いでいいんだよ。俺だって、目の前で仲間が殴られたり傷ついたりするのを見るのは、今でも怖えよ。それもあんなよく判らない力で動けなくなるのを見たら、怖くねぇわけがねぇだろ」

 グランは吐き捨てるように言葉を続けた。

「怖いは怖いでいいんだ。なんで怖かったのか、理由を考えて、ちゃんと怖かったことを呑み込んで自分のものにしちまうんだ。そしたら、次は少しは怖いのも減るし、どうすればいいのかも考えられる」

「……」

「でも、怖かったこと自体から目を逸らして、なかったことにするのはダメだ。次に同じようなことがあった時、今度は頭も体も動かなくなっちまうぞ。だから今のうちに、ちゃんと怖がっておけ」

 頭を縦に動かしたルスティナの体から、硬さが抜けたのが判った。ルスティナはけして小柄でも華奢でもないし、肩も腕もそれなりに筋肉がついて弾力はあるが、それでもやっぱりグランの片腕の中に収まってしまうほど肩は細く、驚くほど柔らかかった。

 ふと目を動かすと、男達を縛り上げていたエレムが、あっけにとられたように二人を見ている。にらみつけたグランが無言のままあごで残りの男達を示したので、まいったなとでもいうような顔でまた作業を再開した。つきあい長いんだから、少し察しろよまったく。

「ついでだから、そのままで聞け」

 汗で湿ったのか、ルスティナの髪からかすかな花の香りが立ち上っている。頬に時折触れる柔らかさな栗色の髪に気を取られないように、グランは少し遠くに目を向けた。

「あんたが男に引けを取らないほど強いのも知ってる。ひょっとしたらエスツファよりも剣の腕は立つのかも知れない。でも、やっぱりあんたが女だってだけでどうしても、できるだけ危険がないようにって、考えちまうんだよ。……今みたいな事が起きたとき、男なら殴られて怪我すれば済むことでも、女はそれだけじゃ済まない時もあるだろ。そういうのを考えるのが嫌なんだよ。やっぱり可能な限り安全にって考えるし、怪我をさせたかもしれないと思えば慌てちまうんだ。別に、女だからダメだなんて言いたいんじゃない。でも、どうしたって男とまるっきり一緒には扱えない部分があるんだよ。それを、差別だって言われたら、うまく言い訳できねぇけどさ」

 なにか言おうとしたのか、ルスティナの体が動いたのが判った。グランは肩を抱く手に少し力を込めた。

「たとえあんたが俺より強かったとしても、女だから怪我はさせたくないと思うんだ。逆に、自分が多少痛い思いをしたって、あんたが大丈夫ならいいんだよ。女の前なら、強がって、いい格好したいんだ。ずっとこんな風に生きてきて、今になって、男とまるっきり同じ扱いをしろって言われたところで、いきなり変えられねぇよ。先回りして心配して、あんたには嫌な思いをさせてたかも知れないけど、別に、女だから劣ってるとか、思ってるわけじゃないんだ」

 なんで俺は、必死になってこんな事を言ってるんだろう。言ってる途中からちらっと思いもしたが、やはりこれがどこかで引っかかってて、いつもはできていた判断ができなくて、結局こんな風に危ない目に遭わせてしまったのだ。キルシェが出てこなかったら、もっとまずいことになっていたかも知れない。事前にきちんと考えていれば防げたかも知れないと、後悔するのは嫌なのだ。

 それ以上はなにを言えばいいのか、グランにはもう思いつかなかった。腕の中に収まっているルスティナの体温がなんだか心地よくて、腕を離すのも忘れてしまっていた。しばらく黙り込んだ後、ルスティナが顔を上げようと体を動かした。

「グラン」

「……ん?」

「胸当てが痛い」

 そういえば、外用の装備だった。どおりで、これだけくっついていればもう胸に当たるはずの温かさというか、柔らかさが感じられなかったのか。いや今大事なのはそこではない。

 グランは慌てて、肩を抱いていた腕の力を緩めた。もうルスティナの震えはおさまっているようだった。

 ルスティナは何度か大きく息を吸うと、ゆっくりと顔をあげた。どこか、問うような顔で。

「……私は別に、男と全く同じ扱いをして欲しいとか、そうされないのは差別だなど、思ってはないが……?」

「え?」

「確かに、そう思っていた時期もあったが、それはグランとエレム殿が来るよりも、……私がこの役職に就くよりも、もっとずっと前のことだ。今は、私が女であったからこそ、私にしかできないやりかたでできる仕事を与えられたのだと思っている。まるっきり男と同じように働くことはできないからこそ、皆が支えてくれているのだと感謝しているよ」

「だ、だってあんた」

 妙な汗が浮いてくるのを感じながら、グランは慌てて言葉を探した。

「エスツファならよくて、自分ならダメなのかって、朝……」

「ああ、あれは」

 ルスティナはなぜか恥ずかしそうに目をそらした。

「グランとエスツファ殿は、本当に気があっているようだから、きっとエスツファ殿となら死体の番も、町まで歩くのも、渋らずに楽しくやるのだろうなと思ったら、少しうらやましかったのだよ。別に、エスツファ殿は男だからいいのだろうとか、私が女だからダメなのだろうなどと、責める気はなかったのだ。なにやら要らぬことを考えさせてしまったのなら、すまない」

「いや、だってさ……」

 夜中にしていた、ヘイディアの話から、女はどうとか女だからとかいう流れの後に、あんな事を言われたら、どうしたってそれと絡めて考えてしまうではないか。とうとう言葉もなくなってグランが口をぱくぱくさせていたら、ルスティナもやっとそのことに思い当たったらしく、

「な、なに笑ってるんだよ」

「まぁ、その……」

 今度はグランの肩当てに額を押しつけて、ルスティナはくつくつと肩を揺らしている。ひとしきり笑うと、涙で瞳を潤ませながら顔を上げた。

「グランは、良い男だな」

 なんだろうこの、「いい人なんだけどね」的な残念さは。絶句したグランの顔を見て、またおかしさがぶり返したのか、顔を隠すようにまたグランの肩当てに額を押しつけて肩を揺らしている。

 ばっかみてぇ、俺。半分むくれていたら、少し笑いの波が引いたらしいルスティナが、息を整えながらもう一度顔を上げた。

「そうそう、グランの思うとおりに扱ってくれて構わぬから、せめて怪我をしたときぐらいは、私にも同じように心配くらいさせてくれ。友が痛い思いをしたら、胸が痛むのは私も一緒だ」

「え、あ……と、友?」

「仲間と言い換えてもいいが、……そのようなものであろう?」

「あ、ああ……」

 これはなんだ? 「いいお友達でいましょう」的な? いや、この女のことだから言葉以上の含みはないのだ。判ってはいるが、なんだか変なところに刺さる。

 グランが微妙な顔をしたのがおかしかったらしく、ルスティナは口元をおさえ、また肩当てに額を押しつけた。そのまま声を殺すように肩を揺らして笑っている。

 もうどうにでもしてくれ。グランは軽く息をついた。なんだかんだで、女の笑顔というのは悪い気がしないものなのだ。男っていうのはしょうがない。

 もう少しこうしていたかったが、倒れている男達全員を縛り上げてひとまとめにして、自分は切り株に座ったエレムが、いつまで待っていればいいのだとでもいうように頬杖をついてそっぽをむいている。ほかに人も通らないようだし、そろそろ衛兵を呼びにいかないとまた暗くなってしまう。

 グランは肩を抱いていた手を離すと、ルスティナの頭を撫でるようにぽんぽんと叩いた。顔を上げたルスティナは、グランの視線を追って、やっとエレムを待たせていたことに気付いたらしい。笑いを収めるように自分の頬をはたきながら体を離した。

「あ、グラン、手は……」

「乾いちまったよ」

 嘘ではない。グランは右手をひらひらさせて肩をすくめた。乾いて血が止まったからといって、痛くないわけではないのだが、きちんとした手当は少し落ち着いてからでいいだろう。ルスティナが口を開きかけたが、グランはなにかが近づいてくる気配に気付いて視線を道の先に向けた。

 荷馬車ではなく、人の乗った馬が二騎、彼らが向かおうとしていた方から駆けてくる。エレムも気がついたらしく、やれやれといった様子で立ち上がった。ちょうどよく巡回の兵士でも来たのなら有り難い。

「……閣下? 元騎士殿?」

 こちらに気付いて馬を寄せてきたのは、見覚えのある顔のルキルアの若い騎兵だった。もう一人は、エルディエルの兵服を着た、こちらも若い男である。さすがに一日に何度もオルクェルは様子を見に来られず、代わりの者をよこしたのだろう。

「おお、いいところに」

 いいところにって、こいつらあんたの様子を見に来たんだろう。自覚なく明るい声をあげるルスティナと、縛られて山になった男達とを見比べて、若い騎兵は目を白黒させながら馬から降りてきた。

「副官……じゃない、エスツファ様に言われて、閣下がどの辺りまで来られてるか見に来たんですが、これは……?」

「簡単に言うと、昨日の死体を襲った犯人と、その一味ってとこだな」

 簡単すぎたのか、若い騎兵はいまいち飲み込めない様子でグランを見返した。目をしばたたかせ、もう一度気絶した男達の山に目を向ける。まぁ、無理もない。

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