24.皓月将軍と暁の魔女<中>
いくつかのことが同時に起きた。振り下ろされたちんぴらの剣がルスティナの短剣に触れると同時に、剣身がぶつかり合うのとは違う種類の色をした火花がいくつも、ルスティナの右腕の周りに飛び散った。それはさっきのグランの時と同じ現象だった。
違ったのは、火花が飛び散った瞬間、その火花を囲むように光の文字が円を描いて浮かび上がったことだった。
小さいがたくさんの数の法円が、ルスティナを護るように火花を受け止め、鮮やかに青白く輝いた。その法円を腕で突っ切って、ちんぴらの剣を短剣で受け止めたルスティナは、そのまま踊るように体を一回転させて相手の斜め後ろに回り込み、首筋に剣の柄を打ちこんだ。
物陰で様子を伺っていた男は、火花を受けても平気で相手を打ち倒したルスティナを見て、驚きの声を上げた。その声で、もう一人が隠れていることに気付いたルスティナが視線を向ける。グラン達と目が合うと、隠れていた男は慌てて木の陰に引っ込んだ。
切り札とも言える味方の存在を勘づかれ、焦った様子で残りの二人がグランに向かって構え直した、が。
「こいつら頼む」
声だけはルスティナに向け、グランは剣を握ったまま身を翻し、木の陰の男に向かって地を蹴った。すれ違いに、ルスティナは目だけで頷き、慌ててグランを追おうとする二人に向かって短剣を構える。やっと調子を取り戻したらしいエレムもその後に続く。
グランに狙いを定められたのに気付いて、物陰の男があたふたと後ずさった。そのまま背を向けて走ればいいのに、どうやら半分腰が抜けかかっていて思うように動けないのだ。視界の中で男の姿がぐんぐん大きくなり、グランは剣を握ったままの拳を引いた。男はグランを指さして、悲鳴のような叫びを上げた。
「ト……っ、トラボレヅンス!」
意味は判らないが、確かにそう聞こえた。その瞬間、グランが振り上げた拳の周りで、いくつもの火花が炸裂した。
いや、よく見ればこれは火花とは違うのかも知れない。火種になりそうなものはないのに、光だけが青白くはじけているのだ。だがその光は確かに、触れたものに刺すような強い痛みと痺れをもたらすようだった。
腕全体を刺し貫く痺れと一緒に、拳の先に焼き切れるような痛みを感じた。グランは必死で剣の柄を握りしめ、勢いに任せて男の顔を殴り飛ばした。痺れで腕の感覚がおかしくなって、殴り倒すのに精一杯だったのだが、男の体はかなりの勢いで宙を舞い、少し離れた場所の木の幹に背中からぶち当たった。
背後では、ルスティナとエレムが残りの二人を難無く片付けているのが見なくても判った。この男の変な攻撃さえなければ、その程度の相手だったのだ。
痺れのせいで柄を握っているのも辛くなって、グランは剣を投げ捨てた。どうせ奪ったものだ。
しかし、この男はどうすればいいのか。得体の知れない力を扱う者を、生かしたまま完全に無力化することなど出来るのだろうか。
男は痛みで息をするのも辛いようだが、こちらの腕に思うように力が入らなかったせいで、気絶させるところまではいかなかったらしい。木の幹にもたれて、逃げ場を探すように片手で地面を探っている。
とりあえず完全に動きを封じておこうと、肩で息を切らせながらグランは足を踏み出そうとした。それを遮るように、男の真横の地面に、いきなり光の文字が円を描いて浮かび上がった。
「わぉ、なかなか上物が釣れたって感じ」
光で描かれた古代語の法円の上に、唐突に若い女の姿が現れた。上から飛び下りてきたとか、物陰から飛び出してきたというわけではない。まるで蜃気楼のような幻が映し出され、そのまま本物になってしまったかのようだった。
肉感的な体に踊り子のように布の少ない服を身につけ、この風景の中ではとても場違いに鮮やかな存在感を持った愛らしい顔立ちの娘。その薔薇色の髪は、木漏れ日の下で更に燃えるように輝いている。夜中に出会った姿そのままだが、今のキルシェの手には、きらきらしたたくさんの石で柄を飾られた、美しい流線型の刃を持つ短剣が握られていた。
キルシェはグランに向けていたずらっぽく笑うと、突然自分の真横に人が現れてぎょっとした様子の男の喉元に、警告もなく短剣の刃を突きつけた。男が声にならない悲鳴を上げる。
酒場で好みの男を口説くような声で、キルシェは囁いた。
「あなたの契約主の名前をおっしゃい」
「け、けい……?」
刃から必死で喉を遠ざけようとするように体を反らし、恐怖に引きつった顔で男が問い返した。キルシェは少し言葉を選ぶように、可愛らしく小首を傾げ、
「あなたに力を与えた神の名前をおっしゃい」
「そ、それは……」
言い淀んだ男の喉元に、キルシェは更に刃を近づけた。愛らしい笑顔とは裏腹に、その動きにはなんの慈悲もなかった。もう刃を横に動かせば、すぐに喉を掻き切れるほどだ。
男は青ざめて、あきらめたように口を開いた。自分の意思で口を開いたのだろうが、そこからの唇の動きはなにかに操られているかのようだった。
「サ……サヌアフ」
男が言った名前をそのまま、キルシェの唇が繰り返した。ひとつ息をついて、キルシェは可愛らしく舌で自分の唇を湿した。
「ごちそうさま」
満足そうに言いながら、腿に固定した鞘に慣れた手つきで短剣を収め、キルシェは右の手のひらを肩の辺りで上に広げた。その手のひらの上に、炎で形作られた小さな鳥が現れた。一拍遅れて、今度は光の鳥が炎の鳥と一緒に肩の上に舞い上がった。
光……というよりは、グランには火花でできた鳥に見えた。さっきグラン達を攻撃してきた正体のわからない火花が凝縮されたように、時々翼の先をぱちぱちと爆ぜさせながら、蝶のように漂っている。白く輝く新しい小鳥を愛おしそうに眺めて、キルシェは納得したように頷いた。
「なるほど、行き倒れさんの服が焼け焦げてたのは、たまたま起きた高熱の雷撃から引火したからだったのね。だから今もフィリスが出てこなかったんだ」
「……どういうことだ?」
グランはだいぶ痺れの薄くなった右腕を左手でさすりながら、キルシェを見返した。キルシェは上目遣いに微笑んだ。
「あなたにはフィリスの守護がついてるのよ? この人が純粋に火の魔法を使ってあなたに危害を加えようとしたら、フィリスがその炎を食べてくれてたはずだったんだけど、出てこなかったでしょ。この人に力を貸してたのは、雷撃の力を扱う『神』だったからよ」
そういえば、グランがキルシェの契約主の力を奪ったとか、言ってた気がするが。グランはふと思いついて、自分の左手をひろげた。
「それじゃ、あの水飲み場の像のところで、手が熱くなったのは……」
「そういうこと。ちゃんとフィリスが警告してくれてたのに、火の鳥に水なんかかけたらダメじゃない」
キルシェはくすくす笑うと、指先でくるくると光の鳥を遊ばせた。
「火の跡はあるのに、火の精の匂いがしなかったから変だとは思ってたのよね。おかげで予想外に大きな収穫だったわ。ご苦労様、グラン」
「お、おい」
「もうこの人はただのひと。好きに料理するといいわ」
言いながら、可愛らしく唇に指を当てる。グランをからかうようにに輝いていたその瞳が、一瞬真面目な表情になって視線を移した。グランの後ろで、エレムと並んでキルシェを見ていたルスティナに。
「借りは、返したわよ」
さっきルスティナを火花から護ったのは、古代文字の法円だった。ルスティナが頷いた気配を感じるのと、片目を閉じたキルシェが、唇に当てた指先をグランに投げるように動かしたのはほぼ同時だった。キルシェの足下に光の法円が浮かび上がり、現れたときと同じ唐突さで、キルシェの姿がかき消える。
残ったのは、風にそよぐ葉擦れのかすかな音と、遠くでさえずる鳥の声くらいだった。
「僕たち、キルシェさんが新しい力を手に入れるのに、利用されたんでしょうか……」
半分呆然と、エレムが呟いた。
そうかも知れない。契約主の名前を奪うことは、力を奪う事だと言っていた。グランにはいまいち理屈がよく判らないが、ああいう力を使いこなせる者にはきっと特別な意味のあることなのだろう。
エレムに答える代わりに、グランは無言で足を踏み出した。彼らがキルシェとやりとりしている間、必死で腕と脚を動かして這うようにこの場から逃げだそうとしていた男に向かって。
立ち上がらないのは、腰が抜けたからだろう。グランが近づいてきたのに気付いて、男は口元を引きつらせ、それでも必死で距離を取ろうとしている。
グランは難無く追いつくと、大きく息を吸って、男の脇腹をつま先で蹴り上げた。くぐもった悲鳴を上げて、仰向けにひっくり返った男の胸を、右足で踏みつける。
ほぼ真上から男の顔を見下ろしながら、グランは逆手に柄を持って剣を抜き、大きく振り上げた。
「グランさん、殺すのはダメです!」
男が恐怖で目を見開いた。必死に咎めるエレムの声には構わず、グランは男の顔に向けて剣を振り下ろした。