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20.皓月将軍の休日<前>

 カオロは、この近辺では比較的賑わう町のようだ。だが、王都であるルエラから出てきたあとだと、これを「町」のくくりに入れていいものか戸惑うほどの規模だ。

 単純に、街道沿いにあった村に、旅人目当ての商売人が集まってきて大きくなったような、素朴な町だった。町を覆う外壁は石やレンガではなく、杭と板を組み合わせたものだし、頑丈そうに見えるのは街道に面している部分くらいのようだ。

 それでも、入り口の検問はそれなりに列ができていた。見た感じ、入る者より出て行く者の方が多い。近隣から市場に来た者が、必要な売り買いをあらかた終えて引き上げていく時間帯だからだろう。

 入る順番待ちの列に並ぼうとしたら、衛兵の方からこちらに気付いて声をかけてきた。死体を回収していった衛兵達が、三人の特徴を仲間に教えていたらしい。ルスティナがそこそこ上の立場らしい兵士と簡単に話をしたら、すぐに門を通ることができた。

 入ってしまえば、ごく普通の田舎町である。異国とはいえ、大陸の同じ地方だからそれほど文化に違いもあるわけでもないし、わざわざルスティナが見物したところで物珍しいものなどないだろう。と思っていたら、

「これはなんであろう?」

 グランはさっさと、衛兵から聞いた理髪店へ向かおうとしていたのに、ルスティナは道ばたに作られた水飲み場の横で膝をかがめている。

 後ろからのぞき込むと、大人の腰丈くらいの大きさの粗末な小屋があって、その中に木で作られた簡単な像が置いてあった。

 稔った麦の穂を抱き、なにかの葉で作られた冠をかぶった四本腕の、男とも女ともつかない人間の像だ。腕のうち上についた右手には稔った麦の穂を持ち、左手には水瓶らしいものを持っている。下の二本は葡萄や林檎らしい果物の入った皿を抱えていた。

 像の前には、花と一緒にひとつまみほどの麦の粒が小さな椀に盛られて供えられている。

「朝会った衛兵の方が言っていた、この地方の古い農業の神様じゃないでしょうか」

 グランと同じくルスティナの後ろから像をのぞき込み、エレムが物珍しそうに全体を観察している。

 レマイナやルアルグといった、古代神話以降に主流になった今の大陸の神から見たら、こういう地方土着の無名の神は精霊とか妖精といった「神以外のもの」に分類されるそうだ。だからといって教会が、積極的に排除したり忌み嫌ったりということは、今のところないらしい。

 そういうものが実際に存在するのだとしても、明確な姿形を持たないだけの同じ地上の命として、神の目線からも存在を認められているのかも知れない。

「見えないはずの神のかたちを造って、崇めたりするのだな。神なのに、人と同じ食べ物を求めるというのも面白い。こういう風習のある地区は、ルキルアでは聞かぬな」

「シャザーナの近辺まで行くと、こういう形の祀り方はけっこう多く目にするようですけどね。……どうしました?」

 エレムの最後の一言は、屈み込むのをやめて自分の左手を眺めていたグランに向けられている。

「なんか、左手だけ微妙に痒いような、熱いような……。変な虫の粉でも触ったかな」

「風で毛虫でも飛んできたんでしょうかね」

 首を傾げ、手袋グローブを外すと、エレムが今度はグランの左手をのぞき込んできた。

 といっても、見た目はまったく変なところはない。ルスティナまで立ち上がってのぞき込もうとしたので、グランは軽く手を振って、試しに水飲み場の水をすくって手のひらに流してみた。

 もともと気のせいのような違和感だったのが、水の冷たさに紛れてすぐになんともなくなった。

「……さっさと用済ませて飯でも食うか。逆でもいいが」

「ああ、もう昼時か」

 ついでに水筒に水を入れようとしていたルスティナが、驚いた様子で空を見上げる。まだ正午の鐘には早いが、街に寄ったついでというものだ。だがエレムは少しそわそわした様子で、

「ちょっと、役場でこの周辺のことを調べたいので、少しの間別行動でもいいでしょうか。お昼とか、適当にお二人で済ませてもらって構わないので」

「どうせ待たせるだけなのだから、私は良いが」

「……街の中だから変なこともないだろうが」

 左手の水滴を振り払いながら、グランはエレムを軽く睨み付けた。

「本はほどほどにしておけよ、こんな所でまで時間を忘れてたとか言ったら、俺がぶん殴るからな」

「半時ほどしたら声をかけてくれるように、役場の人に頼んでおきます……」

「先にこちらが済むようなら、迎えに行けばよいだろう」

 顔を引きつらせたエレムに、ルスティナが微笑む。護衛されている当の本人が、まったく護衛されているつもりがないようだった。



 そのままエレムと別れて、教えられた通りの道を歩いていくと、教えられたとおりに理髪店の看板が掛かっている店を見つけた。

 こういうものは女と男では、専門にやっている店が違うらしい。教えられていたのは、若い娘を主に相手にしているらしい小綺麗な理髪店だった。

 中には割と大きな鏡が作り付けられた鏡台がある。大きいだけでなく、歪みもなく表面の透明度も高い。こんな田舎の町に、これだけ上等の鏡を持つ店があるとは思わなかった。

 その鏡台を使って、店の理髪師らしい中年の女が、若いの娘の髪を結い上げ、飾りをつけている。作業をしながら、お喋りにも花を咲かせているあたりが、女の器用さはすさまじい。

「髪を切る以外のこともするものなのだな……」

 扉を開けたものの、足を踏み入れるのに戸惑っていたルスティナが意外そうな顔で呟いた。ほかに店の人間はいないらしく、中のふたりのお喋りの勢いに割り込む隙を見いだせないでいたら、やっと理髪師のほうでこちらに気がついた。

「あ、もうすぐ終わるから、店の前で待っててもらえる?」

 そう言われても、髪を結うのはともかく、女同士のお喋りなどすぐ終わるはずがない。

 来る途中に揚げ物を売る屋台があったのを思い出し、待っている間に昼飯を済ませることにした。

「……いつもは、散髪とかどこでやってんだ?」

 グランが買ってきたのは、中に具の詰まったパンの揚げ物と、この辺りの特産らしい酸味のある桃色お茶だ。店の前の長椅子で二人並んで座ってそれぞれの分を手に取ると、グランはなんとなく聞いてみた。ルスティナは濃く味付けされた挽肉や野菜の詰まったパンを、物珍しそうに食べながら、小首を傾げる。

「前妃に仕えていた頃は、たまに侍女が揃えてくれていたな。黒弦に異動してからは、前髪が邪魔になると自分で切るくらいであった」

「……衛生兵に、調髪できる奴もいるもんじゃねぇ?」

「いるにはいるが、長いのを長いまま整えるのは難しいから城下の専門の店にいってくれと言うのだよ。そんな暇などないから頼んでいるというのに」

 男の兵士とは違って、ルスティナ相手に、失敗したら刈ってしまえなどと済ませられない。敬遠したくなる気持ちは判る。

「まぁ、伸びるとこんな具合に癖がつくから、揃っていなくてもおかしく思われないようでな」

 ルスティナの髪は柔らかく波打っていて、なにも言われなければこんなふうにわざわざ整えているのだと思うくらいだ。整った顔立ちとは裏腹に、普通の女たちがするようなことを気にかけない無頓着さが、周りからは逆に格好良く見えるのかも知れない。


 油で揚げてあるせいか、パンは意外に食べでがあった。揃って食べ終える頃になってやっと、先に髪を結っていた若い娘が気分よさそうに店を出て行った。もちろん、貴族の娘達がやるような凝ったものではないのだが、本人はとても満足そうである。ちょっと着飾って出かける用事でもあるのかも知れない。

 食べた後を片付けて中にはいると、店の女が、鏡台の周りを簡単に掃いていた。さっきは娘との話に夢中で気付かなかったらしいが、改めて二人を見て驚いた様子である。それはそうだ。

 グランはともかく、明らかにルスティナの姿は軍の高官のものだ。普通はこんな田舎町の散髪屋に、気軽に寄ったりはしない。

 それでもこういう仕事をしていると、いろいろな種類の人間に会う機会はほかよりも多いのだろう。簡単に事情を説明したら、物怖じするでもなく引き受けてくれた。

 狭いが、店の中は若い娘が好むようにあれこれ飾り付けられていた。花も毎日代えているのか、不快ではない程度に濃い香りが漂っている。田舎の娘達には、ちょっとした贅沢気分の味わえる場所なのだろう。

 ルスティナのマントと剣を預かって、グランは待合い用の長椅子に腰を下ろした。ルスティナはマントの代わりに、切った髪を服につけないためのケープをかけられながら、自分を映す大きな鏡台を感心したように眺めている。

「古いが見事な鏡であるな、これほど大きくて美しい鏡は、城でも数えるほどしかない」

「ありがとうございます、これは、店を始めたときに、古物商のボータンさんがお祝いだって安く譲ってくれてねぇ。もとはどこかの貴族の館にあったのを買い取ったらしいけど、鏡だけのものとは違うから、売れにくいんですって」

「ほう」

「ボータンさんは奥さんも真面目でいい人なのに、子供達には甘くって……あら」

 そのまま延々と町の噂話に突入してしまうのかと、さすがにグランも心配になりかけたところで、話ながらルスティナの髪に櫛を入れようとした女が何故か戸惑った様子で声を上げた。

「……御髪おぐしは毎日櫛でとかしてらっしゃいますか?」

 切るどころか、まず櫛を通す所でつまずいているらしい。霧吹きで水を振ってやっても所々櫛が引っかかるので、女は戸惑っている。

「いや、忙しいから大体手で」

「毎日櫛でとかすだけで、手触りが良くなったり、艶がでるというのはご存じです……?」

「そういえば馬のたてがみは、よくブラシで整えるな」

 馬で納得するなよ。

 グランと同じ感想を抱いたのか、女はあっけにとられた様子で鏡に映るルスティナを眺め、グランに目を向けた。

「そっちのお兄さんのほうが、よっぽどちゃんとしてそうだねぇ」

「グランはなにか手入れをしているのか?」

「外じゃあんまりやらねぇけど、櫛ぐらいは使うぞ。髪を洗った後は油も使う」

「油?」

「花の種からとった油とか。馬の油もいいらしいぞ」

「……なんのために?」

「いや、なんのためっていわれてもなぁ……」

 単純に髪質も見栄えも良くなるからなのだが、そういうものをあまり気にかけない相手にそこから説明するのは面倒だ。店の女が苦笑いして、鏡の中のルスティナに視線を戻した。絡んだ髪をちぎらないように気を遣いながら、また櫛を通し始める。

「同じ年で同じような体つきの馬なら、より見栄えのいい方が高く売れるでしょう? 人だってそうですよ」 

「ほう」

「同じ値段の品物を扱う店なら、きれいでよいものを扱う店に行きます。同じ味の果物なら、色や形の良いものを選びます。それと同じ」

「なるほど、我らも職務の時の身なりはきちんとするよう、兵に指導するな。周りに良い印象を与えるのを心がけることはよいことだ」

 なんだか微妙に違うような気もするが、ルスティナが納得した様子だったのでグランも余計なことは言わなかった。

 ふと通りに面した窓を見ると、町の住人達が、物珍しそうに立ち止まって中を伺っている。変わった客が来ているのに気付いたのだろう。

 気のせいか、その中にどこかで見たような顔もあるのだが、どうにも思い出せない。グランが本格的に記憶を探る前に、ひょっこりとエレムが横から顔をのぞかせた。 

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