副官フォルツの勇壮なる帰還<9>
大国エルディエルの将相手では、ひとつ間違えば接待稽古のような空気になりかねないが、圧倒的な力量の差に、対峙する兵士は手加減などできない。見物にまわっているほかの兵士達や使用人、エルディエルの騎士達、アルディラの従者達も大盛り上がりだ。選出された兵士の上司であろう副官が、まいったなと苦笑いを浮かべているが、負けを責める気もなさそうだった。
「ある程度の技量を持つ兵士を選ぶようにいっておいたのだが、やはり格が違いましたな」
「良い経験になったであろう」
打ちかかった最後の一人が、緑の上着をひらめかせたオルクウェルに難なくかわされた上に、脇腹を剣の平で打たれてよろめいた。
観衆が大きな歓声を上げ、拍手を打ち鳴らす。
オルクェルは駆け寄ってきて膝をついた小姓に剣を渡すと、互いに手を貸しあいながら整列した兵士達それぞれに、握手と助言の一声をかけている。騎兵隊の長として、堂々とした振る舞いだ。
そして声がけが一通り終わったところで、オルクェルは、どこか得意げな表情でルキルア軍の高官が立つ方向へ目を向けた。そこでやっと、侍女達を引き連れたアルディラが、見物に加わっているのに気づいたらしい。
「ひ、姫、いらしてたのですか」
「兄様が剣を持った姿なんて、なかなか見る機会がないもの。兄様、とってもお強いのね!」
「いや、これは隊長を務める上で当然のことで……」
さっきまでの勇ましさはどこへやら、しどろもどろに答えるオルクェルに、後ろに控えていた侍女達の表情が、感嘆から生温かい微笑みに変わっていく。
「いやいや、今回の旅でも、間近でオルクェル殿の勇姿を見る機会はありませんでしたからな、さすがエルディエル軍一の武人であるよ」
「その通り、素晴らしい剣さばきだった」
「いや、その、それほどでも」
調子のいいだけのエスツファと、本心から感嘆の言葉を述べているように見えるルスティナに、オルクェルはまんざらでもなさそうに頭をかいている。アルディラは誇らしげにその様子を見やっていたが、ふと瞳をひらめかせた。
「……よければルスティナ様のご勇姿も拝見したいですわ。エルディエルにも、女性の兵士はおりますが、さすがに騎兵隊の長にはいないのです」
「え? 姫?」
さすがに戸惑った様子で、オルクェルが目を丸くする。様子を見ていた周囲のものらが、そこは思いつかなかったと目を瞬かせた。
「ヘイディアからも聞きましたが、ルスティナ様は指揮官としてだけではなく、騎士としても素晴らしい技量をおもちとのこと。わたしも、実際にこの目で見てみたいです」
アルディラの、どこか試すような笑顔に、ルスティナは戸惑うでもなく首を傾げている。顎を撫でてその様子を見ていたエスツファが、ぽんと自分の手のひらを拳で打った。
「なるほど、姫は軍部内における女性の地位向上にも関心がおありと見た。ルスティナ、ここはエルディエルで兵士を志す女性のためにも、是非姫のお言葉に応えるべきであろう」
もっともらしいが趣旨を明らかに意図的にはき違えたエスツファの言葉に、オルクェルは止めるべきか判断がつかない様子で、はらはらとルスティナとアルディラを見返している。ルスティナは、しかし、特に異論はなさそうで、
「構わぬが、どういう形にしようか?」
「オルクェル殿では、無意識に手加減してしまうでありましょうからな、ここは……」
と、芝居がかった動きでぐるりと周りを見回すと、
「お。いいところに。フォルツ殿、ルスティナと模範演習を頼まれてくれ」
「え? 自分?」
こっそりと、観衆の後ろでリオンと様子を見ていたフォルツは、直で名指しされて思わず素で聞き返した。気がつかれていたのは判っていたらしいリオンが、横で微妙な笑みを浮かべている。
「ほかの副官たちではやりにくかろう。貴殿なら、ルスティナに無用な手加減はしないからな」
「おれにも立場ってものがあるんだけどなぁ」
「勝ったらいつもの酒場で好きな酒瓶を一本おごるぞ」
「よし乗った」
「賭け事禁止と言っているのに」
即答したフォルツに、ルスティナが渋い顔でいさめ、周りの副官達から今更だと笑い声が起きる。端でひとり、笑いもせず立っている眼鏡の副官もいるが、咎める気はないようだ。
「なるほど、よい空気であるな……」
オルクェルが、思わずといった様子で呟いている。提案したアルディラ自身、エスツファだけではない、周りの柔軟さは予想外だったようだ。
「では、少し準備をしてお目にかけましょう」
なんの準備かと思ったら、下っ端兵士達がさっきの『演習』で荒れた地面を整えている間に、使用人達がこそこそと何人か建物に向かって走って行く。
ほどなく、観衆は倍近くに増えていた。修繕中の本館で作業していた事務方、庭師や厨房の調理人、図書室の司書まで見物人の中に並んでいる。準備という言葉の定義をリオンが再考察しているうちに、ルスティナとフォルツが向き合うことになった。
フォルツは「やりにくいなぁ」とこぼしつつも、兵士達が揃えてくる模擬戦用の剣や小手を手早く身につけている。
ルスティナも同じで、自分の剣を鞘ごと小姓に預け、代わりに受け取った刃のない剣を手にして、均衡や握り具合を確かめるように軽く振っている。そのたびに、何故か、主に女子からの黄色い声援が上がる。
「な、なんかすごく盛り上がってますね」
フォルツを見送って、人混みの中、アルディラ、オルクェルのと一緒のエスツファの側まで近寄ってきたリオンが、圧倒された様子で周りを見回している。
「黒弦はよくこうやって庭で訓練しているが、白弦は市街の警備が主だから、兵士の鍛錬は城外にある詰め所の訓練場をよく使うのだ。ルスティナが直々に指導する場面は、使用人達はなかなか見られないのだよ」
「それにしたって、すごい人気ですね。さすが、皓月将軍の二つ名を持つだけはあります……」
背の高いルスティナは、フォルツと対峙してもまったく頼りなさがない。フォルツも手加減する気はないようで、気負わず、気を抜かずといった体で、二・三度軽く剣を振った後で、ルスティナに目を向け、気を引き締めるように姿勢と表情を正した。
「よし、酒場で飲み放題のために、此度こそ連敗の雪辱を晴らすぞ、ルスティナ」
「飲み放題とは言ってない」
観覧席のエスツファがぼそりと呟くが、口上に反応した観衆の声援がその声量を上回った。対峙するルスティナは、わずかに肩をすくめただけで、軽く剣を構えた。審判役の兵士が、エスツファの視線に促され、手振りで開始を伝える。
ルスティナとフォルツ、足を踏み出したのは同時のはずだったのに、構えから剣先をあげ、振り下ろした時点で、ルスティナの方が半秒早かった。それを見て取れたのは、ある程度戦い慣れた兵士達、副官やエルディエルの騎士達、そしてオルクェルぐらいだったろう。使用人達やアルディラの侍女達、そしてアルディラ自身には、最初の時点ではまだどちらが優勢なのか判別できなかったはずだ。
二人の眼前で、打ち合った剣先が銀色の火花を散らす。続けざまに二合、三合、鋭い音がすると、より力のあるはずのフォルツがわずかずつだが後ずさり、一方で、ルスティナは勢いを緩めず踏み込みながら合を重ねていく。ここまで来ると、誰が見ても明らかに、フォルツが圧されているのが判った。
使用人達からは主にルスティナへの声援、兵士達からはフォルツへの煽りと激が飛ぶ。そこで、応戦一方だったフォルツが、ルスティナの剣をはじく代わりに一旦受け止め、ひきつけて、力で押し返そうとした。
ルスティナが飛び退く間に、フォルツ自身も背後に距離をとり、体勢を立て直す。
つもりだった。
ルスティナは押し返そうとしたフォルツの剣の力を、わずかに自身の剣の角度を変えて受け流した。盾としてルスティナの剣を受け止めるはずだったフォルツの剣は、力の流れをそらされ上向きに滑る。ぶつかり合う力を利用して背後に飛びずさろうとしていたフォルツは、想定外の力の流れに戸惑い、わずかだが前のめりに均衡を崩した。
そこを、ルスティナの剣がフォルツの剣を絡め取った。引っかけるように下に入った剣の鍔が、フォルツの剣の鍔をすくい上げる。
周囲が、あ、と思ったときには、銀の弧を描きながらフォルツの剣は後方へ大きく弾き飛ばされた。静寂の中、思わず視線で剣を追おうとしたフォルツの喉元に、
銀色の刃が制止した。
わずかに肘をあげ、フォルツの剣を跳ね飛ばした形で、ルスティナは動きをぴったり止めている。このまま肘を落とせば、刃がフォルツの首も落とせる位置だ。
剣の刃越しにルスティナと見つめ合う形になったフォルツは、自身も体を硬直させると、息と一緒につばを飲み込んだ。
「ま、参りました……」
情けない降参の声に、ルスティナは表情を消していた顔に、わずかに笑みを戻した。背筋を伸ばして剣を引くと、まだ姿勢を正せないフォルツの肩を左手で軽く叩く。
一拍おいて、静まりかえっていた観衆が大きな歓声を上げた。苦い顔で頭をかくフォルツの横で、ルスティナは観衆に目を向け、穏やかな笑顔で手を上げた。
ルスティナへの単純な声援、フォルツへの揶揄、歓声の内容は様々だが、見ている者達の視線に嫌みはなく、表情は明るい。特に使用人達、侍女達は、普段天然気味のルスティナの勇姿に、うっとりとした様子で頬を上気させている。
「あー、やはり護拳はこういうときに大事よなぁ」
「す、すごい……」
頬を掻きながらため息のようにこぼすエスツファの横で、リオンが呆然と呟いた。近くに立つオルクェルは、驚嘆を、崇拝に近い感嘆の表情に変え、声援の中心に立つルスティナを見つめている。
なんとルスティナは、相手の体に刃を当てもしないまま、勝負をつけてしまった。しかも相手は、部下とはいえそれなりの訓練を受けた、軍の上級将官なのだ。
戻ってきたフォルツは、見ていた白黒両弦の副官達にからかわれもみくちゃにされ、情けない笑顔を見せている。観衆の中で、禍根も侮蔑も残さず場を納められるのも、フォルツであればこそだった。
周囲の歓声も、後ろで盛り上がる侍女達の嬌声も聞こえていない様子で、アルディラは想定外の早さでついた決着に目を丸くしている。エスツファはその横に立つと、誇るでもなく、穏やかに口元をあげた。
「姫、黒弦も白弦も象徴は月、我らともにルキルア軍の頂でありますよ」
「そう、……そうでしたね」
結局無用だった小手を外し、自分の剣を帯き直しているルスティナを目で追いながら、アルディラは気が抜けたように頷いた。




