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ラグランジュ ―漆黒の傭兵と古代の太陽―   作者: 河東ちか
 ― 番外編 ― 副官フォルツの勇壮なる帰還
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副官フォルツの勇壮なる帰還<8>

「これは、あらかじめ寝かせておいた生地です」

「寝かせる?」

「材料を混ぜ合わせて、少し置いておくと、膨らみやすくなるんです。パンなども同じ理由で、生地を練ってから少し置いておきます。この行程を『寝かせる』というんです」

「休むことも、立派なお仕事ということなのね!」

 合点がいったアルディラが目を輝かせる。

 アルディラは、調理過程の菓子や料理など見たことがない。原材料は知っていても、実際にどのようなことが行われているか見るのは、初めてのようだ。一緒に加わっているアルディラ付の侍女も、こうした作業はさすがに初めてなのか、興味津々の様子だ。

「この生地をこの棒でのばします。こう、均等に」

「こういうものにも専用の道具があるのね」

「アルディラ様もやってみますか?」

「ええ、もちろん!」

 侍女達と同じ服に前掛けをつけたアルディラが、板の上におかれた生地に棒を押しつけ、伸ばしていく。ほかの侍女たちはなんでもなさそうにやっているが、弾力のある生地を平たく伸ばしていくのもなかなか力加減が難しいようだ。

「伸ばしましたら、こうした型を使ってくりぬいていきます。大変なときは、棒状に丸めたものを、均等に切りわけていくと、同じ形のものがたくさん作れます」

「なるほど。でも型を取った方が、楽しそうね」

「木の実なども練り込むと、風味が変わって楽しみが増えます。水気の少ないクルミや、ニチリンソウの種、干しぶどうなどがよいようです」

「そういえばランジュは、ニチリンソウの種が入ったのを、とても喜んでいたわねぇ」

 別の娘が何気なく口にして、周りもうんうんと頷いている。

「あら、皆さんもランジュの世話をしていたの?」

「ランジュは、最初は元騎士様やエレム様とは別に、カイル王子付の侍女見習いとして城に来たのですよ。なにか、ルスティナ様方のご配慮があったようなんですけど」

 実はイグの差し金で、アルディラの偽物として使われるために送り込まれてきたのだが、その点は侍女達には伏せられている。

「素直で、聞き分けが良くて、入った頃からみんなにかわいがられてました。でも、あの騒ぎの中でも、王子のおそばを最後まで離れなかったのよね」

「今にして思うと、有事の際には元騎士様に王子の居場所を知らせるお役目を賜っていたのではないかしら。あんなに小さいのに」

「でも本人は、なにを聞かれてもきょとんとしていて。大事なことは話さないように言われてるんでしょうけど、普段は本当に子供らしくて、不思議な子です」

 本人がまったく意図しないところで、周りが勝手に推測して高評価をつけている。グランが聞いたら、どこかで見た光景だと思うに違いない。

 話している間に、型を取ったものが天板に並べられていく。ものによっては、後から飾り付けにごまなどをのせられるものもある。

「これを、窯で焼いてもらうのです。さすがに私たちは火を扱えないので、窯の専門の職人にお願いしています」

「焼き上がるまで、皆でお茶でもいかがでしょうか? よかったら、姫様の従者様方も一緒に」

「そうねぇ、楽しそうね……」

 にこにこと応じようとしたアルディラは、窓の外から漏れ聞こえてきた歓声に、おやと首を傾げた。不測の事態があったというよりは、なにかをはやし立てるような歓声に聞こえる。

「あら? 外が騒がしいようね。どうしたのかしら?」

 アルディラの疑問符にあわせるように、廊下から小走りにやってきた黒弦付の兵士が、気配を消して控えていたヴェルムに耳打ちした。ヴェルムは眉を動かすでもなく、

「どうやら、庭でオルクェル将軍が、うちの兵士達相手に手合わせしてくださっているようですな。うちの上官が無理をお願いしたようで」

「手合わせ? 兄様が皆に剣の稽古をつけているの??」

「稽古というか、まぁ」

 ヴェルムは堅物らしく表情を変えない。変えないのだが、珍しく返答を濁している。一方で、周りの侍女達は心得顔で目配せし合っている。

「きっと勝ち抜き戦ですわ、姫様」

「勝ち抜き?」

「なかなか見られない趣向だと思います、せっかくですから、姫もオルクェル様の稽古の様子をご見学なさってはいかがかしら」

 そう言いながらも、侍女達は皆そわそわと、前掛けを外して使用人達にあとの指示を出している。どうやら、アルディラが行くと言えば、一緒について行きたい様子だ。

「そういえば、兄様がどのような稽古をされているか、あまり見る機会はなかったわ。ヴェルム殿、わたしも稽古を見学して良いかしら」

「では、急ぎ準備いたしましょう」

 眼鏡の位置を指先で正しながら、淡々とヴェルムは頷き、伝えに来た兵士に耳打ちしている。


 庭の一角に、人だかりができていた。稽古というから兵士だけが集まっているのかと思いきや、気づいた使用人や侍女達も見物に集まっている。

 その人だかりの一カ所だけ、周囲にロープが張られ、長椅子が並べられた場所がある。その側には、銀のマントを輝かせて立つルスティナ、その横に黒いマントのエスツファが立ち、ヴェルムに伴われてやってきたアルディラを見つけて手を振った。

「アルディラ姫、どうぞこちらに」

「皆さんも見学ですか? 稽古といってましたけど、恒例の行事なの?」

「稽古というか、娯楽……いやいや」

 軽口を続けかけたエスツファは、横のルスティナに横目で見られて、笑顔のまま言葉を濁した。促され、アルディラも長椅子に腰をおろす。ついてきた侍女達は、アルディラの後ろの長椅子だ。

 見物人がとりまく中、裾の長い緑の上着をはためかせたオルクェルが、周囲をルキルアの兵士に囲まれて軽く身構えている。持っているのはお得意の槍ではなく、ほかの兵士達と同じ形の刃のない剣だ。元は十人だったらしい兵士のうち三人は、斬られた形で地面に横たわっている。

「これは、どういう趣向なのですの?」

「オルクェル殿に、うちの兵士代表十人が同時に手合わせして頂くのであります。刃が当たったら離脱、オルクェル殿に誰かの剣がかすったらこちらの勝ちという……」

「稽古に勝ち負けはないのでは?」

 と、アルディラがもっともな突っ込みを返す。エスツファがすっとぼけた顔で、

「エルディエルの騎兵隊長殿を相手に、一対一で稽古をつけていただいても実力が違いすぎますからな。せっかくなので、エルディエルの騎兵隊長たるオルクェル殿が、多勢をどう捌くのか拝見し、皆の勉強にさせたく思い……」

「エスツファ殿はこうやって時々、圧倒的に強い相手に兵士がそれぞれどのように立ち回るかを見定めるのだ」

 すらすらともっともらしいことを並べるエスツファの言葉を引き継いで、ルスティナが肩をすくめる。

「実戦に近い状況で、経験を積ませたいのだろうと、あえて好意的に捉えてるようにしている」

「実際の戦場ではなかなか経験できませんからな」

 実戦でこんなことをやったら確実に死人が出る。顎を撫でてうそぶくエスツファに、なんといえばいいのか思いつかなかったのだろう。視線をオルクェルの方に移し、アルディラはすぐに息をのんだ。

 この会話の間にも、動ける『敵』は一人減っている。

 背筋を伸ばし、周りに視線を走らせるオルクェルに、緊張している様子はない。剣を持つ腕の動き、足さばきに全く無駄がない。呼吸を合わせて同時に打ちかかってきた二人の『敵』の、片方の剣の動きを剣先で軽くそらして姿勢を崩し、たたらを踏ませて構え直している間に、もう一方の剣を正面からうけとめ、はじき返し、即座に脇腹に切りつける。

 アルディラの前でおろおろする姿からは連想できないほど、無駄のない、切れのある動作だった。

 アルディラの後ろに座った侍女達が、思わず立ち上がり声を上げている。見物している使用人達も、どちらに声援を送っているか判らない盛り上がりようだ。

「もう半分か、さすが、グランより早いな」

「元騎士殿は、手足が出そうになるのをこらえながらであったからなぁ」

「グランもこんなことをしていたのですか?」

「もちろん」

 というより、エスツファの部隊では時々行われることなのだろう。使用人や侍従侍女達の反応を見るに、彼らの娯楽にもなっているようだ。

「剣の鍛錬であるので、剣以外のもので相手を倒しても勝ち点にはならぬのですよ。元騎士殿なら、剣を抜く以前に、手足で蹴散らして制圧した方が楽であったでしょうな」

「普段の戦い方の違いであろうな」

 騎士として剣に槍にと常日頃から鍛錬し、実際の戦場でもそれなりの実力者と多く対峙するであろうオルクェルと、経験も武器獲物も千差万別の敵相手のグランでは、そもそもの戦い方が違うのだ。この場の規則では、剣で訓練慣れ、戦い慣れしているオルクェルの方がより分がある、ということなのだろう。

 一気に半分まで減った『敵』たちを、オルクェルは目だけで一瞥すると、一番近い場所で身構える兵士に向かって素早く足を踏み出した。相手はとっさに受け止めるが、守勢にまわった時点で受け止める剣の勢いが違う。二合、三合、打ち合っただけで力負けし、腕ごと横にはじかれてがら空きになった脇腹に剣の平を受けて倒れ込む。

「さすだな、相手に先制させる隙を与えない」

「元騎士殿は、見せ場を作るために出方を見ていたからな」

 ある意味、娯楽としての空気も理解していたグランは、相手に考える余裕も与え、踏み込ませた上で 野次馬の期待する打ち合いもしてみせた。生真面目なオルクェルとはやはり対照的だ。

「すごい、お兄様、本当にお強いのね……」

 そんな比較などできないアルディラは、圧倒的な勢いで『敵』を制圧していくオルクェルに、素直に感嘆の念を抱いている。

「大公が『ご子息方の中で一番の武人』と評価していたと聞き申すが、そのような御仁に手合わせしてもらえるなど、彼らは光栄でありますよ」

 その間にも、オルクェルは続く二人を相手に、両側から打ちかかる相手の剣をほぼ同時に受け止めて打ち返し、押し返すという離れ技を見せている。

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