副官フォルツの勇壮なる帰還<3>
「アルディラ様がおとなしいんですよ」
そんな深刻な顔のリオンに、フォルツが話しかけられたのが、明日にはルキルアの領内にさしかかるという頃合いの、午後の野営地だった。
カカルシャからはグランとエレムも、くっついていた子供達もいなくなり、ルキルアの部隊は特に大きな騒ぎもないまま順調に帰路を過ごしていた。たまにオルクェルが「打ち合わせ」と称して、ルスティナの顔を見にやってくるくらいだ。
「おとなしい、とは?」
リオンは妙に深刻な顔をしているが、話しかけられたフォルツはどう答えていいか判らない。そもそも中途合流のフォルツは、アルディラとほとんど接触の機会がなかった。出立前にルキルア城でも会っているが、あれは城内の案内役程度だったので、たいした話はしていない。
「全然わがままを言わないんですよ。寄り道を主張したのは途中のウーニュ湖ぐらいだし。行く道はことあるごとにぎゃーぎゃー騒いで、あれもしたいこれもしたいって騒いでたのに、嘘みたいです」
それはよいことなのでは?
と口にする代わりに、フォルツは目をしばたたかせる。
確か部隊が往路で、本来の予定から南にそれてぐるっと遠回りをしたのは、アルディラのわがままからだったという。その動きにあわせるようにあっちでは地震、次は川底が崩壊して地域一体の水の流れが変わり、ククォタでは(これは外には伏せられているが)お家騒動に巻き込まれ、同行していたルキルア軍も巻き添えを食って大変なめにあった。
ヒンシアあたりの騒ぎからあわせても、いろいろと「持っている」姫のようだというのが、巷の見解である。
それが帰り道は打って変わって、大きな騒ぎはなにも起こらない。運悪く帰り道にあたった国や町はヒヤヒヤしていたようだが、エルディエルの部隊が通って経済特需をもたらした以外は特筆するような騒動はなかったから、結果的にただただありがたがられて終わっている。
しかしリオンは妙に深刻な顔のままだ。ここでフォルツが一笑に付して終わらなかったのは、フォルツ自身が白弦騎兵隊副司令として、ある程度の人の上に立つ身でもあるからだ。これでもいわゆる中間管理職なのである。
「……オルクェル殿はなんと?」
「穏やかで助かるって」
ならいいのでは?
とは思っていても言わない。リオンにはそれなりに不安に思う理由があり、それをエルディエルの従者の中では話題にできないから、わざわざこちらに顔を出したのだろう。
とりあえず無碍に話を打ち切られることはなさそうだと思ったらしく、リオンは視線を走らせて周囲の様子をうかがうと、少し声をひそめた。
「……フォルツ様は、ルスティナ閣下の耳飾りが片方だけになっているのに、お気づきです?」
「えっ?」
いきなり話が切り替わって、フォルツは再び目をしばたたかせた。
ルスティナは上級軍人だから、軍服自体が割と凝っている。房付きの肩章に銀糸を織り込んだ外套はそれだけで壮麗で、皓月の名にふさわしい。
その一方で、自身はあまり装飾品にこだわりはないようだ。普段から身につけているのは簡素な銀の耳飾りくらいで……
「そういえば、片方、……あれ?」
気がついたのはいつだったろう? なくしたのかな、くらいで自分の中で終わってしまったのは、ウーニュ湖あたりだったろうか? どっちがなくなっていたっけ?
フォルツが記憶を探りはじめたのが判ったらしく、見上げていたリオンはなにかを察した様子で細いため息をついた。
「いえ、いいです。僕、オルクェル様からエスツファ様に伝言を頼まれて来たんですけど、どちらにいらっしゃいます?」
「え? ああ、幌馬車の中の資材を確認しに別の奴らと……」
「ありがとうございます」
フォルツが指で示すと、ぺこんと頭を下げ、リオンはさっさと歩き去って行った。
フォルツは思わず腕組みをし、首を傾げた。
リオンの期待通りの返答ができなかったのはさすがに察したが、アルディラが大人しいことと、ルスティナの耳飾りとに、なにか関係があるのだろうか?
その後、それまでエスツファがやっていた仕事がフォルツに振られてしまったので、リオンとエスツファがどんな話をしていたのかは最後までよく判らなかった。
どうやらリオンが持ってきた「オルクェルからの伝言」というのは、ルキルア本国に着いたら、修繕中の城の視察をしたいというアルディラからの要望だったらしい。自分が原因で他国の城を半壊させたという責任感からだろうかと、フォルツは勝手に感心していた。
しかし城には、あの偏執的……もといこだわりのある庭の手入れのためにと、第一王子カイルが残って生活している。修繕に携わる職人は一般市民だし、その中にアルディラが来るとなれば、警備の兼ね合いやらでいろいろ調整しなければならないことも出てくる。
リオンが戻っていった後、フォルツはエスツファに呼ばれて天幕に顔を出した。リオン経由でのオルクェルの伝言をそのまま聞かされて、フォルツは腕組みして首を傾げた。
「城の視察がご希望なら、修繕は一日休みにしてもらって、ざっと順路を組んで回ってもらって、その後王子と会食って感じかな?」
「視察もまぁ、そうであろうが」
顎に手を当てて考え込んでいたエスツファは、フォルツのつぶやきに、何故かおかしそうに笑みを漏らした。その自分の笑いで、なにかを思いついたらしい。
「そういえばフォルツ殿、おれ達が出立した後から、王子は庭園を活用するために面白い試みをされていると言っていたな」
「え、ああ……? 孤児院の子供達を招いて庭を見学させたり、市井の画家等を招いて写生会を行ったりしているな。王も妃も留守の今だからこそできることだが」
「そういうときの警備は当然……」
「ヴェルム殿が中心になって仕切っているよ」
「なるほど」
なにがなるほどなのか。エスツファは自分の顎を撫でると、
「フォルツ殿、おれはちょいと王子とヴェルム殿に頼みたいことがある。手紙を作るから、貴殿は一足先に帰還して、姫を迎える準備をしていてくれ」
「え? それはまぁ、いいが」
面食らったものの、フォルツはすぐに気を取り直して頷いた。
本来であれば、自分はラレンスで折り返していたはずだったのを、ずるずるここまで付き合ってきたのである。むしろ「帰還が遅い」と、ほかの副官達からどやされかねないくらい留守をしていた。
それはそれとしても。
「なにを思いついたんだ? エスツファの旦那」
遊び仲間の気分で問い返したフォルツに、エスツファはにやりと口の端をあげた。
「女人の言葉を、言葉通り受け取るだけではだめだと言うことであるよ。ルスティナを見ていると、ついつい忘れそうになるが」
「?」




