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ラグランジュ ―漆黒の傭兵と古代の太陽―   作者: 河東ちか
逍遥の游子と航夜の灯星
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49.月明かりの先に

 夜も更けた庭の片隅で、兵士が守る松明の明かりとは別に、焚き火が揺れている。白龍が自分の居場所にしている焚き火だ。

 並べられた椅子に、今夜はリオンの姿はない。アルディラを交えた話し合いの中で今後の方針が決まったことで、「出立までに、ヘイディアさんに教わりたいことがあるから」と、リオンはエルディエルの部隊に与えられた離宮に戻ってしまったのだ。

「人の子は、ほんの一瞬で、いろいろ変わるものじゃ。我らなど数千年もなにも変わらぬのに」

 焚き火の上に組んだ木の棒に鉄鍋をぶら下げ、湯を沸かしていた白龍は、今日は誰も座らない椅子に目を向け、呟いた。特に感慨はない、単純に、事実を確認するだけのような口調だ。

 そこで白龍は、塔の出入り口に目を向けた。ぽてぽてと、ユカが焚き火に向かって歩いてくる。

「眠れぬのか、水の子よ」

「たくさんいろんなことがあって、頭が疲れたのですの」

 要は目が冴えてしまったと言いたいのだろう。ユカは、昨日までリオンの定位置だった場所に、当然のように腰を下ろした。その髪の間から水でできたトカゲのチュイナが現れ、するすると頭によじ登り、ぽてんと首をのばしてくつろぎだす。

 茶の準備をしていた白龍は、椀を一つ増やし、花の香りのする南方の茶葉で茶を淹れはじめた。

「明日からは、ラムウェジ様が、旅の心得とかを教えてくださるそうですの。ルスティナ様とエスツファ様は、明日改めてエルディエルの皆様と会合して、帰投の日程を詰めるのだそうですの」

 ユカは頬杖をつき、聞かれてもいないことを勝手にしゃべっている。白龍が勧めた茶を遠慮なく受け取り、息で冷ましながらも、口の動きは止めない。

「……フォンセ様はとりあえず、エトワール様と一緒に行くという形になりそうですの。グランバッシュ様はまだ不機嫌だったのですの。でも仕方ないのですの、ああいう方なのですの」

「のう、水の子」

 ひとしきりしゃべらせると、白龍は自分も椀を手で抱え、声をかけた。

「なんですの?」

「童子と契約せぬか」

 なんの特別感もない、穏やかな話しぶりだった。ユカは聞き流しかけ、はたと気づいて目をしばたたかせた。

「なにを言ってるのですの?」

「これからも、月の主の周りでは、いろいろなことが起こるだろう。理が渦巻いて周りのものを巻きこんでいくのだから」

「?」

「龍はな、水と関わりが深いのじゃ」

 体を休めていたチュイナも、身を起こして座り直した。ユカの疑問符は置いておいて、白龍はもっともらしいことを並べはじめた。

「童子もその気になれば天候だって変えられる。そなたの力が、水がなければ役に立たぬというなら、童子がいれば使い放題じゃ。そなた、月の主の役に立ちたいのであろう?」

 ユカはいまいち話が飲み込めない様子だ。身動きもせず頭を働かせているユカの頭の上で、チュイナが代わりに首を傾げている。

 どうやら、白龍が自分を勧誘(スカウト)しているのだと察したユカは、

「……わたしが、なにも聞いていないと思ってるのですの?」

 と、椀を置いて立ち上がり、腕組みして白龍を見下ろした。チュイナもあわせて、ユカの頭の上で胸を張る。

「あなたは自分が自由になるために、龍臥谷の洞窟で会ったわたしとリオン様を利用したのですの。リオン様を動かすために、わたしの命を利用したのですの」

 それは計画的ではなく、あくまで偶発的な事態を白龍が利用しただけなのだが、まぁ、ユカを人質に取ったような形になったのは否定できない。

「それなのに、うまいことを言って今度はわたしを利用しようだなんて、甘々なのですの。わたしのそばにいたいというのなら、あの時の非礼を償うために、今後はわたしに誠心誠意仕えたいと頭を下げるべきなのですの!」

 ユカは言い切って胸を張った。

 それは、自分に頭を下げて助力を乞えと言ったジェームズを逆に脅したグランの、模倣でもあったろう。

 もちろん、あれはジェームズがグランに苦手意識を持っていたから成立した駆け引きというか恫喝で、人間相手に何の恐れもない白龍には、意味のない虚勢だ。

 白龍は目をしばたたかせた後、どうだとばかりに胸を張るユカを見て、

「……なるほどな、そなたら、面白いのう」

 半開きの扇で口元を隠し、くつくつと笑いはじめた。

 むっとした様子のユカに、まぁ待てと手をあげて、ひとしきり笑ってからやっと笑いをおさめる。

「心得た、契約はなしだ。童子は勝手についていくが、そなたの必要があればたまーには助けてやろう。面白そうで、童子の気が向いた時に限るが」

「そういう上からな言い方はだめですの、誠心誠意謝るというのは……」

「水の子、そなたには、童子の真名を教えてやろう」

 ユカの説教など意に介さず、白龍は勝手に続けている。

「そうだな、……なにをしてもどうにもならない、人の力ではどうしようもない唯一無二の難局だと思ったときに、一度きり、この名を使うことを許そう。その時だけは、童子の気分が乗らずとも、そなたの頼みを聞いてやる」

「そ、そんなことを言って、いざそのときが来たら、また条件を出すに決まってるのですの。精霊は油断がならない存在だって聞いたのですの」

「別になにを引き換えにする必要はない。そなたがなにをもってして『人生でたった一度きり』と判断するのか、興味があるだけじゃ。まぁ、覚えておくに越したことはなかろう」

 まあ座れと、小さな手でユカを手招きする。ユカはうろんそうながらも、椅子に座り直した。その耳もとに、まるで子供が他愛ない秘密ごとでも囁くような仕草で、白龍が顔を寄せる。ユカの頭の上のチュイナも、まるで耳をそばだてるように、首を白龍の方に傾けていた。



「いない間に話が終わっちゃっててがっかりだなぁ。おいらの情報収集(どりょく)をどうしてくれるのよ」

 離宮の塔の近く物置小屋の屋根に腰をかけ、白龍とユカがなにやら話しているのを眺めながら、リノが大げさに呟いた。その隣で、虚空の三日月に腰掛けるように浮いているキルシェが、呆れた様子で、

「こうなるのは判ってたって顔してるわよ」

「まぁねぇ、山を越えるために王太子殿下が口を利いてくれるなら、それにこしたことはないよね」

 リノは飄々とうそぶいている。

「荷馬車を使えそうな道も殿下は知ってそうだし、地元のことに詳しい人が一緒なのが一番よ」

 リノは自分の馬と荷車を持っているから、道の選択肢も限られてくるのだ。

「おいらは方向が一緒だから、もうしばらくはグランの兄さんについていこうと思うけど、姐さんはどうするの?」

「あたし? グランについて行くに決まってるじゃない。こんな面白いだしもの、なかなかないわ」

 と視線を物見用の塔に移す。夜も更け、灯りがともっている窓はわずかだ。

「グランがイムール経由をあんなに渋ってたってことは、逆になにかしら面倒ごとが起こるんでしょうからね。あの人、魔力はないけど、勘はいいのよね」

「どこに行ったって、あの面子(メンバー)ならなにかが起こるんだろうけど、お宝の匂いもするしで、おいら楽しみだよ」

「こそ泥くんは言うことが違うわね」

「魔道具狩人って呼んでおくれよう」

 深慮な先読みが他愛のないやりとりに変わっていく。

 庭の小さな焚き火の周りの小さな影らと、屋根の上の剣呑なやりとりを、食べかけの焼き菓子のように欠けた月がひっそりと見下ろしていた。



<逍遥の游子と航夜の灯星・了> 

次は番外、フォルツくんのお話です。

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