47.道は縒り分かれ<7/8>
「私は山奥の小国の人間だから、宮殿の立派な寝室や豪華な晩餐昼餐はどうにも肩が凝ってしまうのだ。ここの部隊はいいな、気まぐれに立ち寄る集落のように垣根がない」
「あんたはいいだろうけど」
エトワールはにこにことしているが、どこからか感じる敵意に近い視線で首筋がチリチリするくらいだ。周辺を視線で探るそぶりのグランに、エトワールは、なにかに思い当たったようで、
「ああそうだな、エスツファ殿にも紹介はしてあるのだが……」
と、エトワールはすっと左手を自分の耳当たりまで挙げる。きっと手振りに何か意味があるのだろうが、それに合わせて、ずっと隠れていた気配が宙を舞ったのが判った。
どこを足場にしたものか、ほとんど垂直に近い形で宙から降り立ったアシオが、エトワールの左後ろに片膝をつく。
降り立った時も、足音どころか踏んだ砂がこすれ合う音すらほとんどしなかった。黙って見ていたコルディクスが片眉をあげ、フォルツがぎょっとして腰を浮かす。
「フォルツ殿にはまだ会わせていなかったな、私の従者のアシオだ。普段は姿を隠して護衛についている」
「こ、子供が……?」
「小さな頃から、特殊な訓練を受けていた子でね。本人も普通の生活は難しいというので、私の側につかせているんだ。普段は、本当に気配を消しているんだけど……」
形ばかり恭順に控えているが、髪の下の瞳はあからさまにグランを凝視している。そして、相変わらず敵意に満ちている。
「どうも、グランバッシュ殿にはなにか思うところがあるようで、姿を見ると平静でいられなくなるらしい」
「そいつ、あいつらと同じ匂いがする」
苦笑いで済ませようとするエトワールの言葉に、不満そうにぼつりと答える。
「あいつらはエドを傷つけた。おれは許さない」
「その話はもう終わったと言っているだろう。この人はわたしたちイムールの恩人で、味方だよ」
そこでエトワールは、口調を強いものに変えた。
「それに、お前の敵う相手ではないよ。絶対に手出しをしてはいけないよ」
「今は味方の『ふり』をしているだけだ、おれは騙されな……」
エトワールの言葉にかたくなに答えていたアシオの声が、不意に途切れた。
説得になにか感ずるものがあった……様子ではない。目の前のものよりもっと危険なものを察知したかのように体を硬直させている。思わずグランが眉を寄せると、
「んー、やっと頭が痛いのが治ったさ、おなかが空いたのさー」
大きく伸びをしながら、クロケが塔の出入り口から現れた。庭の中に点在する集まりの、どこに行こうか首を巡らし、グランたちがエトワールと向かい合っているのに目をとめた。
「あ、一番星色の髪の人さ。怪我、もうよくなったんさ? ……あれ?」
エトワールの足下に控える小柄な陰に気づき、クロケはなぜか、嬉しそうに笑みを見せた。
「かわいい鳥さんがいるのさ! その子、なんなのさ?」
「えっ?」
「ひっ」
エレムが目を丸くして問い返すのと、なぜかアシオが悲鳴を上げたのが同時だった。嬉しそうに目を輝かせるクロケとは逆に、アシオは顔を青くして無意識に後ずさっている。
「そういえば、カイチの村の教会建屋にいたときも、なにかいるなって思ってたんさ、ねぇねぇ、あんた、それ……」
「よ、寄るな!」
と、クロケが早足で近寄ってこようとした、それと同時に、アシオは悲鳴を上げてとびずさると、近くの木の幹を駆け上がった。そのまま、枝を飛び移り飛び移りで遠ざかっていくのが、木立が揺れる音で伝わってくる。
「な、なんだ……?」
剣呑な視線と気配があっという間に薄れ、グランはアシオが消えていった方向を見送ってぽかんとしている。クロケは腰に手を当てて不満そうに唇を尖らせた。
「なんさ? 失礼なのさ」
「いや、非礼だが許してやってくれ、これは無理はない」
グランとエレム、フォルツもあっけにとられているが、エトワールは苦笑いしている。一方で、ラムウェジもヘイディアも、妙に意を得た様子で、何も言わない。
「ラムウェジ殿、例の彼女かな」
「あ、そうそう。クロケちゃん。素敵な子を連れてるでしょ」
「ああ、見事なものだ」
エトワールは、クロケの背後を眺め、しきりと感心した様子で頷いている。一体なんの話をしているのか。
いや、グランには見えないが、クロケが『連れている』のは、強力な力を持った氷の精霊、オオカミの姿をしたフェリルのはずで、
「……なんだ? どういうことだ? 鳥ってなんだ?」
「あー、クロケちゃんは見たことないのね。あれはね、梟だよ」
グランの疑問は置いておいて、ラムウェジはクロケに補足している。
「ふくろう? あれがあの鳥さんの名前なのさ?」
「天敵はもっと大きな猛禽のはずだけど、やっぱり強い相手って判るんだねぇ」
「なに言って……梟?」
そこでやっと、グランも今までの違和感に思い当たった。
「アシオ、気配がどうしても人間には思えなかったんだ。ひょっとして、動物の精霊が憑いてるのか?」
「憑いてるか使ってるかどうかは判らないけど、連れてはいたさ」
クロケはアシオが消えていった方角を目で追いながら、ちょっと残念そうに答えた。
「あんなに怖がらなくていいのにさぁ。フェリルとも仲良くしてほしいのさ」
「本人はそうでもなさそうな顔をしているぞ」
と、エトワールは相変わらずクロケの背後を見ながら微笑んでいる。話しについていけずに
必死で頭を働かせていたらしいエレムが、やっと流れをのみ込んだ様子で、
「もしかして、エトワールさんは精霊が見えるんですか?」
「見えるというか、判るよ」
と、エトワールはあっさりと頷いた。
「君たちの周りにいる人やものが、どういった存在なのかも、大体判っているよ。判るだけ、だけどね」
と、エトワールは穏やかに、視線をグランに向けた。
「グランバッシュ殿、君の手のひらに在るものも。アシオには判らなかったようだけど」
グランは思わず、自分の左手に目を向けた。
グランの左手には、炎の精霊フィリスが棲み着いている。魔力による火は盾になって吸い取ってくれるし、自分が優位な場合は相手の魔力攻撃を打ち消したりもしてくれる、とても便利な存在だ。だが、グランの意思で操ったりはできないし、そもそも魔法で攻撃されるなんて滅多にないので、普段はグランも忘れている。




