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18.暁の魔女と皓月将軍 <後>

 よほど物騒な場所や、寝たら死んでしまうような暑さ寒さの中でもないなら、いつだって、どこでだって寝られる。今は屋外とはいえ季節は夏だ。他に人が来る気配もない場所で、起きて見張っているのが二人もいる安全な状況なのだ。眠れないわけがない。

 だが、どうにもグランは寝た気がしなかった。

 ずっと目を閉じてじっとしていたから、知らない間にいくらか眠っていたかとは思う。だが、木の幹の反対側で、小声でなにやら話しているエレムとルスティナの声が妙に耳につく。

 自分に気遣って小声だったのも判るし、眠気醒ましに他愛のない話をしているのも判る。グランだって別にうるさいと思っていたわけではない。ないのだが。

 空が徐々に白み始めて、朝の早い田舎の農家の住人達が活動するような時間になっても、結局グランはまともに眠ることはできなかった。そうこうするうちにすっかり夜は明けてしまった。

 明るくなった頃合いに、集落の住人が彼らの朝食用にとパンやゆでた卵などを持ってきてくれた。あわせるように、役目を果たした兵士二人がこれからの指示をルスティナに仰ぎに来る。周囲が慌ただしくなってきたところで、やっとグランも眠気がさしてきた。

 死体の番は街道を巡回する衛兵が来るまでという約束だから、それまではここで足止めである。田舎の兵隊なんてのんびりしたものだし、昼頃に来ればいい方だろう。

 まだ時間はあると、離れたところでグランがうつらうつらとしていたら、予想以上に早い時間に、荷馬車の車輪の音が聞こえてきた。

 見ると、昨日エスツファ達を見送った方向から、この国の兵服を着た兵士を乗せた二騎の馬が、空の荷馬車を先導しながら走ってくる。

 荷馬車といっても、田舎の農家が野菜などを乗せて街にでも持って行くような、粗末で小さなものだ。引いているのはあまり若くないロバだから、さほど速さもない。御者は粗末な身なりをした、一七・八ほどの少年だった。

 騎兵達はルスティナの姿に気付くと、お互いに頷きあって馬を寄せてきた。

 こうなると、もうグランだけ寝ているわけにもいかない。頭を振って立ち上がり、適当に格好を直して出て行くと、馬から降りた騎兵二人が、出迎えたルスティナにへこへこと頭を下げていた。

「ただの行き倒れの死体の番を、ルキルアのルスティナ将軍にさせてしまうなど面目ない話で……」

「番をしていたのは彼らであるからな。私は勝手に残っただけだから気になさるな」

 後ろで控えている二人の兵士を示してそこまで言うと、ルスティナは近寄ってきたグランに気付いて小さく微笑んだ。その後ろで、エレムが様子を伺うようにこちらを見ていたが、ルスティナはまったく変わりがない。

「グラン、この先にあるカオロの街に常駐している衛兵だそうだ。昨日のうちに、エスツファ殿が知らておいてくれていたらしい」

 やたら到着が早いのはそのせいのようだ。

「朝一番で来るつもりだったのですが、運搬用の荷馬車を用意するのに手間取りまして……」

 言いながら年かさの衛兵が、道の脇に荷馬車に目を向けた。御者の少年がロバを休ませながら、荷台からおろした餌と水を与えている。きっと、朝の市場に荷物を運んだあとの、空になった荷馬車を捕まえてきたのだろう。

 しかし、野菜や食べ物を運ぶためのものだろうに、死体など積んでもいいのだろうか。もちろん納得ずくで来ているのだろうが。

「そのカオロの街は、ここから徒歩だとどれくらいかかるんですか?」

「半日もかからんですよ。ルキルアの部隊は郊外に野営して、我々が街を出るのと入れ違いに出立していきました」

「一日歩けば、夜までには追いつけそうだな」

 グランの会話の横で、もう一人の衛兵と、ルキルアの兵士二人が、布にくるまれた死体を荷馬車へと運んでいる。多少青ざめた御者の少年が、離れておどおどと作業を見守っていた。判ってはいたのだろうが、実際に死体が乗せられるのは気分がいいものではないだろう。

 エレムが一通り、死体の状況を年かさの衛兵に説明すると、彼は少し首を傾げ、

「服が火で焼けているというのは初めてですが、ちょっと前から街道沿いで起きている、妙な盗難の話はあります」

「盗難?」

「被害に遭っているのは、旅人が主なんですがね。街道の人気のないところで意識を失って倒れていて、気がついたら持ち物だけがなくなっていたという訴えが、何件かあるのは聞いております。いずれも倒れたときに出来た擦り傷や打ち身以上の怪我はなく、誰かに襲われた様子はありません。きっと、具合が悪くて倒れでもしていたのを、通りがかりの誰かが介抱もせず荷物だけ持ち去ったのではないかと」

「ふむ……」

 たまたま倒れていた者の持ち物を、出来心で持っていく奴はいるかもしれないが、同じような事例が短期間に頻発するなど、そんな偶然があるものだろうか。グラン達は揃って顔を見あわせた。

 その間に、夜の間三人が使っていたむしろが、今度は荷馬車に積まれた死体にかけられた。もう外から一見したくらいでは、積み荷がなにか判らない。

「……エスツファ将軍には、できれば皆さんを全員乗せられる馬車もと仰せつかったのですが」

 年かさの衛兵はそう言いながら、恐縮したように頭をかいた。盗難事件そのものに関しては、あまり深く考えていないようだ。

「なにしろ小さな町でして、あれを用意するので精一杯だったのです。街までは死体と一緒でよければ、もう二・三人は乗れそうですが、どうしましょう?」

「うーん……」

 昨日は、こんな田舎で特に何事もないだろうと思って、ルスティナが残ることにはグランはなにも言わなかった。

 しかし、夜中のキルシェの一件もあるし、盗難騒ぎもなにかひっかかる。ここはちょっと窮屈だとしても、ルスティナと兵士二人は荷馬車で送り出して、早めに部隊に合流させた方がいいかもしれない。自分とエレムだけならどうとでもなる。

 と、グランは言おうとしたのだが、

「それなら、彼らを乗せていってもらえぬか」

 ルスティナは当然のように兵士二人を示した。

「交代とはいえ一晩死体の番をさせていたのだ、少し楽をさせてやりたい」

「でもルスティナ将軍は」

「私は歩いて行くことにするよ。この二人はこう見えて、一個小隊に匹敵する戦力であるのだ」

「はぁ……」

 ルスティナの言葉に、年かさの衛兵は気の抜けた様子でグランとエレムに目を向けた。

 評価してもらえるのは有り難いが、問題はそこじゃないだろう。グランは小声でルスティナに話しかけた。

「あんたも乗っていけよ。キルシェだって何者かもよく判らないし、こうなるとあんたは早めに部隊に合流してくれたほうが安心だ」

「夜までに追いつければ問題ないであろう。せっかく他国を通るのだし、時間に余裕があれば街の様子も見てみたいものだ」

「そりゃいくらなんでも呑気すぎないか」

「なぁ、グラン」

 ルスティナは不意に体ごと向き直り、瑠璃色の瞳で真っ直ぐにグランを見上げた。

「もし、これが私ではなくエスツファ殿であっても、同じようなことを言うのか?」

「え……」

 すぐに答えが出てこなくて、グランは言葉に詰まった。

 これがエスツファなら……

 仕方ない、キルシェのことは気になるが、夜までに部隊に追いつけるなら大丈夫か。途中の街も見たいだなんて、どこに行っても呑気なおっさんだよな。

 その程度で終わって、三人揃ってのんびり歩いていくだろう。

 エスツファは『おれが残っても同じならルスティナでいいのか』と言っていた。エスツファもルスティナも今は立場は同じなのに、なぜ自分は、エスツファならなんでもないことが、ルスティナだとダメだと思ってしまうのだろう。

「すまぬ、少し意地が悪かったな」

 まるでグランの頭の中を見透かしたような瞳で、ルスティナは笑みを見せた。

「心配は有り難いが、今回は、もう少し歩くのに付き合ってくれぬか」

「まぁ……あんたがそう言うなら……」

「エレム殿も構わぬか」

 口を挟みかねて様子を伺っていたエレムは、グランとルスティナを見比べて小さく頷いた。ふと思いついたように、彼らのひそひそ話を居心地悪そうに見守っていた年かさの衛兵に顔を向ける。

「このあたりで、火で悪さをする精霊の昔話とか、火を使う古い神様の話ってありますか?」

「さぁ……秋になると、古い農耕の神様のお祭りが行われる村があるくらいですが」

「……そうですか」

 土地の昔話なんか、調べようと思ったら町の役場にでも聞きにいった方が早そうだ。しかし今回は、そこまですることもないだろう。

 誰かがなにかをしたことで死体の服だけが焼け焦げたか、あるいは誰のせいでもないただの偶然だったのか、どちらにしろ考えるべきなのはこの国の衛兵であって、自分達ではないのだ。

 来たときよりも幾分車輪をきしませて、騎兵に先導された荷馬車がごとごとと遠ざかっていく。荷車の後ろには、死体の番に当たった二人の兵士が並んで座っている。見送る三人を眺めながら、これでいのだろうかと彼らが内心で自問自答しているのが、グランには手に取るように判った。

「今日も良い天気でよかったな」

 少し気温は上がってきたものの、不快な暑さではない。未だに戸惑いの抜けないグランとエレムの間で、ルスティナは大きく両腕をあげて気持ちよさそうに伸びをした。

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