35.旅人は昏きを航り<1/6>
「偶然ですが、お会いできて良かったです。次はゆっくりいらしてください」
しっとりした空気が夜の間に冷やされ、辺り一帯に薄もやとして漂う朝。
馬車に乗り込む一行を見上げ、今度は見送る側になったノクスは穏やかに微笑んだ。
「こっちまで来る用事もあんまりないけどね」
「用事がなくても、行きたいところに行くのがあなたじゃないですか」
「まぁそうだけどさ」
ラムウェジが肩をすくめる。
この広い大陸、ふつうは一度旅立ったら、次はいつ会えるかも判らないものだが、二人ともあっさりしたものである。ラムウェジの行動力をよく知っていそうだ。
荷物も減ったので、エルディエルの馬車に乗っていた組も、荷馬車に移ってきた。代わりにグランが馬車に行きたかったのだが、「まぁまぁ、みんな一緒の機会もそうないんだし」とやんわりと阻止されてしまい、御者の近くの席で頬杖をついている。
夜の間姿を消していた白龍は、出立のごたごたの中、いつの間にかまた現れて、ちゃっかりランジュの横に座っている。別に馬車で移動しなくてもいいくせに、こいつの考えていることはさっぱりである。
と思って顔を見ているこちらに気づいて、白龍は半開きの扇で口元を覆ってふふと笑っている。『散歩』の間に、いったい何を見たものか。
「わたしは、メルテ川の上流のサフアの町から来たのですの。水の巫女なのですの」
ざっくりフォンセの素性が判って更に気を許したのか、ユカがぺらぺらと自分の事情を語っている。あっちの町ではあんなこと、こっちの町ではあんなこと。うっかり『今の世界では起きなかったこと』まで話し出しそうになり、エレムに話をそらされたユカを見て、リオンが怪訝そうな顔をする、という場面もあったが。
フォンセは基本素直なのか、荒唐無稽とも思えるユカの話に興味深そうに耳を傾けていた。ラムウェジも、話を聞きながら調子を合わせて大げさに頷いたり驚いたりしている。その横でヘイディアは、いつも通りの表情の薄い顔で、静かに姿勢正しく控えている。
「エトワール殿下のご様子は、その後いかがなんですか?」
そのヘイディアに、エレムが小声で声をかけた。ヘイディアも、ユカの話を邪魔しないように控えめな声で、
「傷はもうすっかり癒えて、短い時間なら散歩も大丈夫という話です。もう少し体力が回復すれば、一度フオーリでカカルシャ王に面会した後に、帰路を検討するとのことでした」
「でも、帰り道も山中なんですよね。来たときは徒歩だったんでしょう?」
ユカの武勇伝に飽きてきたらしいリオンが、横から会話に入ってきた。ヘイディアは視線を動かして頷いた。
「イムール自体が山岳地帯なので、歩いた方が移動は早いのだそうです。でも、車輪のある乗り物が通れる道もあるそうなので、休みながら進めるようにそちらを利用する検討もされるのではないでしょうか」
そこまで答え、ヘイディアはちらりと目だけをランジュに向けた。すぐに素知らぬ顔で視線をエレムに戻し、
「街道沿いの道では、国家間の移動は苦労しませんが、山岳地帯の国々は、もともと山中に点在していた小民族集団から昇格したものだそうです。同じ国内でも、部族ごとに慣習の違いや微妙な力関係があり、外からでは把握しづらいようです。殿下にお目通りいただければ、お二人の今後の移動に関わることにも、有益な助言をいただけるのではないでしょうか」
ラムウェジがヘイディアを伴ってウカラまでやってきたのは、グラン達が直接エトワールと話せる機会を作るためだったのだろう。別の騒ぎが絡んで話がややこしくなってしまったが。
そのラムウェジは素知らぬ顔で、フォンセと一緒になって、楽しそうにユカの武勇伝に耳を傾けている。
ウカラに近くなって、賑やかになってきた街道を更に西に向かって戻る。カイチの村にたどり着いたのは昼にはまだ早い頃合いだった。
エトワールが滞在していることで、村の入り口は町から派遣された衛兵が固めていて物々しい。それでも、エルディエルの立派な馬車と、ラムウェジの存在があり、一行はすんなり通された。なぜ立派な馬車は空で、全員が商人の荷馬車に乗っているのかは不思議そうだったが。
「驚きましたよ、昨日来られるはずが、急に予定が変わったって言うんですから」
「ごめんごめん、予想外の旧知に会っちゃって」
ラムウェジ到着の知らせを受けたのか、前方から小走りに現れたレドガルが、停車場に誘導されて緩く走る馬車と併走しはじめた。大きな体に似合わずなかなか軽快な足運びだ。
「きみ、出て来るのずいぶん早かったけど、外にいたの?」
「エトワール殿下が今、庭に出ておられるんですよ。体調が良ければ、短い時間に休み休みでも散歩がてら歩くようにと診療担当者から勧められたので」
「それはいいわね。お若いから、歩き始めればすぐに体力も戻るでしょう」
ラムウェジがのんきな感想を述べる一方で、レドガルは横目で荷馬車の様子を確認しながら眉を寄せている。
「……どうも面子が増えているような気がしますが、今度はどこで拾ってこられたので?」
「わたしじゃないよ、ていうか常にいきものを拾ってきてるような言い方はやめてよ」
「昔からそうじゃないですか……」
不服そうに答えたラムウェジに、ぼそりとエレムが呟いている。フォンセは困った様子で肩を縮めている。
停車場に荷馬車を停め、御者のムルバが全員が降りるために足台を準備し始めた。ここから先はカカルシャ軍に別の馬車を都合してもらえるが、あんたはどうするかと問うと、ムルバは、
「ナグジャさんにちゃんとお役に立てと言われているから、皆さんをフオーリまで送り届けさせてくれ」
というので、エルディエルの馬車と一緒に待機してもらうことになった。
グランたちはそこから徒歩で、レマイナ教会の建屋に向かった。
建屋の周りは、村の入り口以上にものものしい。建屋につながる道という道に、必ず兵が配置されている。エトワールが『賊に襲われていたところをラムウェジに助けられた』という表向きの事情があるので、その賊が捕まっていない今の段階でエトワールになにごとかあったら、カカルシャの面子に関わるからだ。
それでもラムウェジのおかげで、フォンセも特に誰何されることはなく、正面入り口から全員が敷地に入った。知らせを受けて待ち構えていたミンユが、一行を見て嬉しそうに手を振っている。
「皆さんお揃いですね、エトワール殿下は今、中庭を散策されてます」
と、建物横手の、木立の並ぶ小道を示した。
先導するミンユに続いて、ラムウェジに連れられる形でグランとエレムが続き、リオンとユカがついてくる。その後を、仲良ししているつもりのランジュにおとなしく手をつながれて白龍が歩いているが、あれはこれから新しく会う人間相手に、子供らしい印象を与えるための算段だろう。そのあとを、気後れした様子のフォンセが続く。気後れのあまり自然と歩みが遅くなるが、ヘイディアがそれとなく寄り添っていた。
ほどよく木立の残された歩道を進むと、周囲を木立に囲まれた開けた場所に出た。周りを、よく整えられた花壇が囲んでいるので、まだ建屋の敷地内なのだろう。
その木立からこぼれる光が差し込んで、ひときわ輝いている場所があった。
花のついた背の低い木と花壇を愛でるように、こころもち背をかがめた細身の人影がある。腰まで覆うゆったりとしたシャツに、控えめだが丁寧な模様が織り込まれたくるぶし丈のズボン姿。特に印象的なのは、陽光を受けて、一番星のように鮮やかに輝く金色の髪だった。
「殿下、お待たせいたしました」
ひらりと駆け寄ったミンユの声に、人影が顔を上げる。




