34.月が標すもの<5/5>
ラムウェジは一瞬きょとんとした後、フォンセの視線を追ってグランとエレムの方を見てから、はっと思いついたように笑顔を見せた。
「ああ、ランジュちゃんをね、親戚のところに送って行ってほしいって、わたしが依頼したの。いろいろ、事情があってね」
言われて、フォンセは釈然としない表情で、ランジュに目を向けた。
そのランジュは、果物の皿は一旦横に置いて、スープに浮かべたちぎったパンを、匙で頑張ってすくっている。こぼさないように、横のリオンがはらはらと見守っている。
なにか言いたげではあるが、なにを言うべきかを思いつかなかったらしいフォンセが、困った様子でノクスに目を向けた。ノクスはすました顔で頷くと、
「彼らがラムウェジ様の依頼で動いているのなら、彼らのためにそれなりの根回しもされてるのではないですか」
「移動中に不測の事態が起きたら、レマイナ教会を通じて彼らの身元をわたしが保証するってことにはなってる。ただ、山岳地帯の国家では、それがどこまで通用するか判らないけどね」
「でもまだ、一介の旅人よりは、庇護を受けられるということですね。どうやら、フォンセは絶好の機会を捕らえたようです」
ノクスの笑みに、ラムウェジは肩をすくめ、
「フォンセちゃんが同行できるかどうかを決めるのは、あの二人だからね。わたしは彼らの行動に、決定権はないから」
「グランバッシュ様とエレム様にランジュを預けたのは、ラムウェジ様なのですの?」
横で聞いていたユカが小首を傾げる。
「だったら、お二人の依頼主ということですの。ラムウェジ様なら、フォンセ様の同行をお願いできるのですの?」
「だって、依頼主は雇用主ではないもの」
ラムウェジは肩をすくめた。
「彼らには彼らのやり方がある。依頼の時ならともかく、後出しで条件を増やすような真似はできないよ」
「商人と客は対等ということですよ、どちらが上というものはないのです」
よくわからない様子で首をひねるユカに、ノクスが穏やかに言い添えた。ユカはいまいち飲み込めないようだが。リオンはそれには構わず、片手を挙げて話に割り込んだ。
「グランさんもエレムさんも、すっかり真面目な顔してますけど、さっき現れた古代法円に、なにか特別な意味があるんですか? 確かにこの旅の間でも、古代遺跡と縁があったから、なにか気になるのかも知れないけど……」
「それは……」
なぜか嬉々とした様子で唇を開こうとしたユカは、はっとしてラムウェジに目を向け、慌てて口を閉ざした。リオンは怪訝そうにラムウェジとユカを見比べ、どうにも釈然としないようすで眉をひそめた。
「そうね、いろいろ騒動続きで、さすがに慎重になってるのかもしれないね」
ラムウェジはざっくりそれだけ言うと、
「勢いでここまで来てしまったけど、明日は帰り道すがら、エトワール殿下にご挨拶に行くよ。助けてくれたみんなにもお礼を言いたいってご希望だし、ユカちゃんも会ってくれるよね?」
「星の王太子殿下からお言葉を賜れるのですの? 光栄なお話なのですの」
ユカは指を組んでうっとりと宙を仰ぐ。切り替えが早すぎて、リオンはいろいろと聞きたいことが突っ込めない。
「……わたしも、それに同行させていただいて、良いでしょうか」
決死の様子で、フォンセが顔を上げた。
「ん? わたしについてくるのならいいよー? エトワール殿下なら、イムール内の移動についてもいろいろ情報もってるだろうしね」
ラムウェジの回答はとても軽い。
「どうあっても、グランさんたちの行動には口出ししないつもりなんだね」
リオンが感心した様子で呟いた。ラムウェジは、フォンセの今後に関しては、意図的に干渉を避けている。それはつまり、グランとエレムにこの先も同行したいなら、フォンセが自分で頼みこんで了解を得ろと言うことだ。
フォンセはラムウェジからランジュに視線を移すと、なにか言いたげに口を開きかけ、結局黙り込んだ。
静かに見守っていたヘイディアが、なにかを考える様子でわずかに首を傾けた。
「……フォンセさんの事情は判りました」
視界の端に見えるラムウェジたちの様子を、しかし直接伺うことはしないまま、エレムはテーブルの上を意味もなく眺めて顎をなでている。グランに話しかける言葉も、離れているラムウェジ達には届かないくらいの小声である。
「どうやら、フォンセさんの持つあの短剣は古代文明の技術と何らかの関係はある。関係はあるだろうけれど、でも、それとグランさんが『ラグランジュ』の返品に向かう話は、また別の話ですよね」
「これ見よがしに、関係があるかもしれないぞってちらつかせられてるのが、気に入らねぇけどな」
ラムウェジたちには存在すら判らなかったのに、遅れて中に入った自分たちには反応した道場の床。人ならざるものの存在に敏感なはずのフォンセは、あのときになって初めて、ランジュの存在が異質であることを勘づいた。
多分あの法円は――『太陽』は、あのとき、ランジュに反応して存在を示したのだ。
「……グランさん、ちょっと不穏な考えかもしれないんですけど」
微妙に言いにくそうに、エレムが息を継いだ。
「これまでにも、道場の床の法円の存在はなんとなく判っていたようですけど、ランジュが……僕らがここに入って初めて、法円の『太陽』が目に見える姿を現した。ということは、フォンセさんが『月』の示す先に行くには、ランジュの存在が必要になるってことなんじゃないでしょうか」
「……否応なくフォンセの用事に巻き込まれるかもしれないってことか」
「それも、グランさんの必要とは関係なく」
「うーん」
というか、訳がわからないまま勢いでここまで連れてこられてしまった時点で、既に厄介ごとに足首を掴まれている感はある。こめかみをぐりぐりしているグランを、エレムは微妙に気の毒そうにみやり、
「まぁそれはあえて切り離して考えたとして、ですが」
と、思考を切り替えるように背筋を伸ばした。
「フォンセさんが、僕らと一緒に北に向かいたい、という希望だけを考慮するなら、それ自体は問題がないかも知れません。どうやら悪意はなさそうですし、方角が同じなら途中まで同行する、という条件でなら、了承して構わないとは思います」
「まぁ、フォンセ自身、実力はありそうなんだよな」
グランに捕まったときや、サンザに対する動きを見るに、確かに自分の身を守るだけの実力はある。旅慣れていない点には、多少不安はあるが。ユカを連れ歩くよりはまだましかもしれない。
「そもそも僕らも、同じ方向に向かうルキルアの部隊と同行して、いろいろ助けられてきたんです。そのぶん、誰かの助けになるのも悪くないかと思いますけどね」
「苦労も半端なかったけどな……」
しかしその苦労も、ルキルアやエルディエルのせいではなく、『ラグランジュ』の効力、ひいては持ち主である自分に起因していると思われる。ルスティナたちは、ルキルアを間接的に救った自分たちを、厚意で庇護しているだけなのだ。
「ま、今後の状況次第だな。それに途中までは同行したとしても、俺たちがアムタウヤまで行くかどうかはまた別の話だ。そこに、ラグランジュの返品に役に立つような情報でもあるって言うならまた別だが」
全く浮かない顔で腕組みしているグランに、エレムは結局、黙ったまま曖昧に肩をすくめて見せた。




