33.月が標すもの<4/5>
フォンセの視線を追って、ノクスが、ラムウェジとヘイディアが振り返る。
破片画の月が、月だけが、床で輝く『太陽』と同じに青白い光を放っている。まるで、「太陽の光を受けて」輝いているかのように。
『月』は、しかし、『太陽』の光を反射して全体を輝かせるのではなく、鏡のように一方向に向けてその光を伸ばしていた。円筒形に伸びた光が、薄暗い道場の空間を横切り、まっすぐに伸びていく。
『太陽』の上に立つ三人を照らし、フォンセを照らし、道場の入り口をくぐるようにその先まで伸びたあたりで、光筒の先はさすがにおぼろに判別がつかなくなった。
「あっちって、ひょっとして、北ですか?」
必死で地形と地理を頭の中で照らし合わせていたらしいリオンが、フォンセとノクスを交互に見やりながら声を上げた。
「月が、『北を指している』……?」
足下の太陽から、壁で輝く月に視線を移し、エレムが唖然と呟いた。全員が、月の示す光の先を認識した頃には、足下の太陽はおぼろに光を失って、道場はまた、燭台で淡く照らされた薄暗いだけの空間に戻っていった。
今の現象をどう解釈すればいいのか。身動きできずにいるグランとエレム、その側できょとんとしているランジュを、周りの全員が言葉もなく見守っている中、
「それは……いえ、その子は」
驚愕した様子のフォンセが、明らかにさっきまでとは違うものを見る目で、ランジュを凝視している。
「その子は、なんなんですか……?」
「これが、あの絵を隠していた彫刻画なのね」
食堂の壁に掛けられた大きな彫刻画を見上げ、ラムウェジが感嘆の声をあげた。
半歩下がって見上げるユカは、興味半分、怖さ半分といった様子で、それでも好奇心を隠さずまじまじと観察しているあたりがユカらしい。
調査団が壁を解体し、取り外したというそれは、古い時代の神話を思わせるような彫刻画だった。
彫刻画なので、色はついていない。しかし描かれているものは、まるでそこに本当にあるかのような存在感をそれぞれまとっている。
空には月と星と太陽が揃って輝き、化け物とも獣ともとれる亡骸が地を埋めている。その中で、跪いた一人の戦士が、片目を眼帯で覆った戦女神から長剣を賜っていた。
どんな背景のある絵なのかは、一見ではよくわからない。背後の亡骸も、戦士が屠ったのか、女神が倒したものかも定かではない。これが作成された時代背景を調べないと、由来は判らなそうだ。
「レマイナ教会の美術班が探してたくらいなんだから、相当貴重なものなんじゃないですか? こんな所に飾っておいていいものなんでしょうか?」
自分たちの荷馬車に乗せてきた果物を切ってもらってご機嫌のランジュの隣に腰掛け、リオンが首を傾げる。
利用している神官たちはもう夕食を済ませた後だったので、この食堂にいるのは自分たちだけだ。神官の何人かが厨房で片付けをしながら、ノクスとフォンセがグランたちのために軽食を用意するのを手伝っている。
「カーシャムの神官は皆、大国の騎士に劣らない剣の使い手ばかりなのですよ、リオン」
全員を見守るように一つ距離を置いて、姿勢正しく腰掛けているヘイディアが、静かに答える。
「剣の実力だけで言うなら、建物の中にグランバッシュ殿が何人も常駐しているようなものです。これ以上に安全な保管庫はないと言えるでしょう」
「な、なるほど……」
字面通りに建屋の各所にグランが配置されているのを思わず想像したらしく、リオンは首をすくめている。すぐにはっとして、文句が飛んでこないかと視線を巡らせたが、当のグランは、エレムと一緒に自分たちから少し離れた場所に座り、なにを話すでもなく難しい顔でそれぞれ黙りこくっている。
グランはともかく、エレムならそつなく、厨房で作業するフォンセたちの手伝いに回りそうなものだが、そんな気も回らないらしい。
「お二人が、静かになってしまったのですの」
「まぁ、いろいろ考えるものがあるんでしょ」
やれやれと、ラムウェジは首を回し、ヘイディアたちの近くの椅子に腰掛けた。ユカもそれに倣う。相変わらず、まわりをきょろきょろと見回してはいるが。
同じ食堂の端と端である。
道場での出来事の後、ここに通されるなり、『ちょっと考えさせてくれ』とグランとエレムは隅のテーブルではす向かいに座ったまま、言葉も交わしもせず黙りこくっている。グランは足を組んで腕組みし、エレムも釈然としない顔で頬杖をついたままだ。
一行は急遽一晩厄介になることになり、ラムウェジとその一行という突然の賓客に、ほかの神官たちは今手分けして食事や寝室を整えてくれている。有名人でなおかつノクスとゆかりのあるラムウェジが来ているのだから、集落の住人が押し寄せて騒がしくなってもおかしくなさそうなものだが、その辺はノクスが配慮してくれているようだ。
「ラムウェジ様がおっしゃってたアムタウヤって、どういう国なのですの?」
「うーん、名前自体は、古代文献にも出てくるんだよね。古い記録には、神王国とか聖王国なんて呼称がついてることもあるんだけど、実際にどんな神を崇拝してるとか、正直よくわからない」
ラムウェジは記憶を呼び起こすように顎をなでている。
「古代文献とか、各地の古い記録なんかでなんとか読み取れるのは、アムタウヤの立ち位置は常に、歴史的な『傍観者』とか、記録の『継承者』とか……。周りから、一歩距離をとった感じで表現されてて、詳細な記載はない。古代の魔法文明圏ともどういう関わり方をしてたかも、よく判ってないんだけど、……フォンセちゃんの短剣といい、道場の法円といい、明らかに古代文明の技術を利用してるんだよね……」
「古代文明時代の主要国と交流があって、なんらかの技術共有をしていたとか、ですか」
「そう考えるのが妥当だねぇ。従属でも同盟でもない、友好国的な交流があったのかもしれないね」
リオンのざっくりとした問いに、ラムウェジもざっくりと答える。
黙って耳を傾けていたヘイディアが、表情の薄い顔のまま淡々と口を開いた。
「ラムウェジ様は、アムタウヤに行ったことが、おありとのことでしたが」
「うん、ずーっと前にね。最初から行こうと思って行ったわけじゃなくて、近くを通ったときに王室の関係者の方とご縁ができて、成り行きで訪問したの」
「どのような所だったのでございますか」
「それが、……あのときは町には出なかったんだよね。なにしろ崖に囲まれた高地にあるから、地形的な問題で、王宮と、民間人が暮らす区域が離れてるみたいなんだ。だから、一般の人がどういう暮らしぶりをしているかはよくわからなかったな」
ラムウェジは懐かしむように目を細め、すぐに表情を戻す。さようでございますか、と、ヘイディアは淡々と頷いた。
「わたしでもその程度の知識なのに、一人で行こうと思うフォンセちゃんもそうだけど、止めないノクスもどうなんだとは思うよ。せめて信用できる誰かと一緒に、とか考えなかったの?」
最後の問いかけは、ヘイディアではなく、厨房から鍋を抱えてやってきたノクスに向けられている。その後ろからは、パンの盛られたかごと重ねられた皿椀を乗せた盆を持って、フォンセがついてくる。煮込まれた野菜の香りがふわりと漂って、ランジュが嬉しそうに顔を上げた。
「もちろん最初はそう提案しましたよ」
ノクスは穏やかに言いながら、木製の鍋敷きの上に鍋を置いた。
そつなく立ち上がったリオンが、その鍋の中身をフォンセが並べた椀に盛っていく。ぼけっと座っていたユカが、一周遅れてはっとした様子で立ち上がり、皿にパンをのせて配りはじめた。
「不定期巡回するレマイナの神官に同行するなり、ある程度ウカラの商人と交流して、信用できる行商人などを紹介してもらうなどして、情報を集めながら機を待った方がよいのではないかと。しかし言われてしまいました、『行く先が示された今こそが、絶好の機会なのではないか』と」
「かっこいいのですの」
ユカが無責任に目を輝かせる。それを言ったという本人はといえば、匙を配りながら、恐縮そうに肩を縮めてもじもじしている。
グランとエレムの分はどうするのか、ノクスに視線で問われ、ラムウェジは軽く首を横に振った。
椀とパンが配られ、それぞれが感謝の祈りを終えて食事をはじめると、様子をうかがっていたフォンセが、意を決した様子でラムウェジを見た。
「ラムウェジ様、……あのお二方は、なぜ北に向かっているのですか?」




