32.月が標すもの<3/5>
半時(一時間)も経たないうちに、わりと開けた場所に出た。オヴィル山脈の山並みに向けてゆるやかな山林が広がる中、切り開かれた集落があった。小さいが、周辺との人の行き来が比較的多いらしく、周辺を囲む石造りのしっかりした市壁が作られている。その入り口では、軽装だが武器を背負った門番が常駐しており、採集やら商売やらで立ち寄る者たちと声を掛け合っていた。
とはいえ、こんな辺鄙な場所の集落にはめったに立ち寄らないであろう、二頭立ての立派な馬車がやってきたものだから、門番の二人の男も驚いた様子である。勢い込んで近づいてくる門番に気づき、小窓からノクスが顔を覗かせ声をかけた。
「驚かせてすみません、皆さんわたしの知り合いなんです」
「なんだ、司祭様か」
ほっとした様子で、簡単に人数を検め、門を開く。グランたちの素性は特に聞かれなかった。ノクス自身がよほど信用されているのかも知れない。
市門付近は、古いが石造りのしっかりした建物が多い。戦乱期時代からある町だと言うから、その頃の名残なのだろう。そして、門からそう遠くないところに、目的地のカーシャム教会があった。
意外と建屋は大きく、古い石造りの建物と、新しい木造の建物とで大きく分かれている。古い石造りの方が、例の道場があるという建物らしい。
門番役の神官の誘導で、庭外れの停車場に馬車を止めると、玄関先でランタンに火をつけていた年配の神官が気づいて出迎えにきた。
「先に道場を見ますので、その間に皆さんをお泊めする準備をしてもらえませんか、急で申し訳ないですが」と頼まれ、年配の神官は建物の中に戻っていった。そのノクスは一行を道場に向けて案内しようと先に立って歩き始めた。
ぞろぞろと全員が後に続く中、
「? 来ないのですの?」
その場から動こうとしない白龍に、ユカが声をかけた。白龍は半開きの扇の下で口元をほころばせた。
「童子は少しあたりを散歩してくる。気にせず話を聞いてくるがよい」
「?」
そのまま、ふわりとした足取りで、門を出て行った。ランジュは不思議そうにその後ろ姿をみやったものの、特に何を考えたわけでもなさそうで、素直にエレムと手をつないでついてくる。
ノクスは道場の入り口にかけられたランタンを手に取り、扉を押し開けた。
夜になり、使う用事もなくなったらしい道場は火が落とされ、中は真っ暗だ。ノクスは先に中に入ると、ランタンの炎を壁の燭台に移していく。
「外した彫刻画は、母屋の食堂で保管しています。今は、壁の破片画をそのまま見ることができますよ」
説明の間にも燭台の灯りが広がり、人が歩いて入れるくらいにあたりが明るくなる。とはいえ、燭台の灯りだから、奥まではっきり見通せるほどではなく、大きな壁一面に描かれているらしい破片画の全体が、ぼんやり浮き上がっているように見える程度だ。
ずかずか入っていくかと思ったら、ラムウェジもヘイディアも、戸口に立ったまま慎重に内部を見回している。二人が先に進まないので、リオンもそうだが、さすがのユカも入るのを遠慮しているようだ。
彼らの頭越しに、グランもぐるりと中を見回したが、特に変わった印象はない。ただ広いだけの薄暗い部屋にしか見えない。エレムも同じらしく、首を傾げてラムウェジとヘイディアの様子を伺っている。
「ど、どうぞ、中に進んでください」
一行の一番後ろで、フォンセがおずおずと全員を中に促した。ユカが目をぱちくりさせる。
「フォンセ様は入らないのですの?」
「わ、わたしが入ると、『なにもなくなる』現象が起きてしまうので、どうぞお先に、中のご確認をなさってください」
「そうね、先に普段の状態を見てみましょう」
とりたてて変わったことは感じなかったらしく、ラムウェジがやっと中に足を踏み出した。ヘイディアとリオンがその後に続く。見送るフォンセを残念そうに一瞥し、ユカも後に倣う。
ラムウェジもヘイディアも、歩きながら注意深く床に視線を走らせているが、特に変わったことが起こる様子はない。おっかなびっくりの足取りだったリオンも拍子抜けした様子だ。
後に続いて中に入ろうとしたグランは、ふと空を振り仰いだ。濃い青から黒へと移ろっていく夜の空一面を覆うように、白く淡い光が広がっていく。
「……白龍くん?」
グランの視線に気づいたらしく、エレムも顔を上げ、目をしばたたかせた。
「なにやってるんでしょう」
「散歩じゃねぇの」
グランはどうでもよさそうに首を回した。意識して見なければ気づかないような淡い淡い光だが、巨大で強大な「ちからのかたまり」に戻った白龍が低空を漂い、自分の体で一面の空を覆っているのだ。
二人の視線などお構いなしに、エレムと手をつないでいたランジュが、中に入っていく一行に続こうと、そわそわと足を踏み出している。手を引っ張られたエレムが苦笑いして後に続いた。
「確かに、月、だねぇ」
先に入ったラムウェジたちは、奥の壁際、破片画の真ん前で集まり、ノクスがかざすランタンの光に浮かび上がる大きな月を眺めている。
破片画の中央に描かれた円、それは確かに月だった。濃淡のある黄色や白、灰色のタイルを精密に組み合わせ、月の表面に見える模様を精巧に再現している。その上に重なって描かれた短剣も、まるで本物の剣をそのまま埋め込んだかのような立体感がある。
絵の左端に輝く七つの星の配置も、確かに北の空にある柄杓星をあらわしているように見えた。
「すごいですね、これって、このあたりの伝統的な技法なんですか」
「材料や顔料を集めるだけでも大変そうですの」
「これは、いたずらや気まぐれで作るようなものではございませんね」
「計画的に作って、意図的に隠した……? 古代遺跡の一部の遺物に、通じるものがあるような……」
単純な感嘆の声を上げる子供たちと、表情の薄い顔で淡々と眺めているヘイディア、一人だけ困惑で頭を抱えそうなラムウェジを、ノクスは穏やかに見守っている。わくわくと足を進めるランジュに引っ張られる形になり、背をかがめてエレムが歩き、グランがけだるげにその後に続いた。
直後。
ラムウェジとヘイディアとリオンが、揃って同じ時機で振り返った。ヘイディアですら、驚いているのが表情から読み取れる。
その様子にエレムが目を丸くし、自分たちの背後に何かあるのかと振り返ろうとした。が、
「エレム、下! 足下!」
「え?」
ラムウェジに言われて、エレムとグランは足を止めた。
彼女たちが通ったときはなんの変わりもなかったはずの床に、青白い光が模様を描きながら浮かび現れているのだ。それは幾度となく自分たちの前に現れた、
「『古き太陽』……?!」
ラムウェジの声に応えるように、淡く、微かだった光が次第に強くなっていく。グランは思わず身構えた。
今までの『古き太陽』は、転移の法円が作動する前段階として現れた。なにがきっかけになったかは判らないが、条件が揃ってしまって転移の法円が発動したのなら、どこに飛ばされるか判らない。エレムも同じことを考えたらしく、ランジュの肩に手を伸ばし、両手で支えている。
しかし、青白く輝く太陽は、それ以上輝きを強めようとせず、めまいに似た浮遊感も表れない。一方で声を上げたのは、道場の入り口で、全員の様子を遠くから見守っていたフォンセだった。
「月が、輝いています……?!」




