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ラグランジュ ―漆黒の傭兵と古代の太陽―   作者: 河東ちか
逍遥の游子と航夜の灯星
578/622

17.『絹の道』へ続く町<3/7>

「大丈夫ですの? 怪我してないのですの?」

「あ、ありがとう……」

 籾殻まみれで体を起こしたのは、ユカよりは少し上と思われる年頃の、女の子のようだった。

 何の変哲も無い長袖のシャツの腰部分を、ポーチをくくりつけたベルトで縛り、膝丈のキュロットを身につけた、ごくありきたりな服装だ。その上に腰くらいまでの外套(マント)を羽織っている。その顔を間近で見て、ユカは目をぱちくりさせた。

「あれ? さっきの方ですの?」

「さっきの?」

 聞きとがめたグランに、

「荷馬車が町に入ってすぐ、この方がものすごく驚いた顔をしてこちらを見上げてたのが見えたのですの。こっちもびっくりして声が出なかったのですの」

「……なんでそれを黙ってるんだよ!」

「お話ししたらグランバッシュ様がそうやって怒るからですの!」

「当たり前だろ!」

 こんな状況で言い合っている二人に、エレムもさすがにため息をついている。しかし今回はユカも怯まない。娘の体についた籾殻を払ってやりながら、結構な剣幕で更に声を張り上げた。

「なんにしろ、女の子をいきなり投げ飛ばすなんてひどいのですの!」

「あぁ? ああ、それは……」

 話をそらすなと怒鳴り返すかと思ったら、急に調子を落とした様子で、グランは麻袋の山から脱出した娘に目を向けた。

 娘の方も、いきなり投げ飛ばされたにしては驚いたり怯えたりという様子もなく、ただどうにも、挙動に落ち着きがない。

 先に進もうとしていたランジュと白龍を、リオンがちゃんと確保しているのを目で確認し、エレムは穏やかに娘に声をかけた。

「……ひょっとして、ずっと僕らについてきてました?」

「え、あっと、その……」

 エレムに問われ、娘は自分の外套を直しながら、気まずそうに視線を彷徨わせている。エレムは腑に落ちたようでグランに目を向けた。

「それで、町に入ってから、グランさんが落ち着かない様子だったんですね」

「あれからずっとついてきてたのですの? なにかご用だったのですの?」

 ユカは何の警戒心もなく、自分とそう背の変わらない少女に問いかけた。昏金色の髪の色に似た濃い紅茶色の瞳が、答える言葉に困った様子で落ち着きなく揺れている。

 その視線が、意を決したように、グランにまっすぐ向いた。それと同時に、

 わりと近い場所から、板をたたき割るような、大きな音が響いた。甲高い悲鳴と怒声、大きなものが壁にぶつかるような鈍い音、食器が割れる耳障りな音。

 振り返ると、自分たちが今出てきたばかりの通りで、民家のひとつの扉が大きく開いている。開いているというか、椅子でも投げつけられて内側からたたき壊されたというのが正しい。

「あんたやめて! 先生、逃げて!」

「落ち着けサンザさん!」

 叫び声とともに、バタバタと足音が聞こえ、足をもつれさせながら壊れた扉から初老の男が飛び出してきた。誰かともみ合ったように上着が乱れ、殴られたのか眼鏡が壊れてずれているが、そもそもの身なりは悪くない。

 老男は通りに飛び出してきたところで足をもつれさせ、前のめりに転んでしまった。起き上がろうとした老男を追いかけて、がっしりした体つきの中年の男が飛び出してきた。

 高地の住人特有の濃いめの肌に、彫りの深い顔立ちで、普通に見るならそのあたりに多くいる住人の一人だ。だが、見開かれた目は明らかに正気を失っており、叩き壊した椅子の背の部分を持って、転んだ老人にふらふらと近づいていく。

 老人は動転した様子で起きあがろうとしたところを、男に横から蹴りつけられて今度は仰向けにひっくり返ってしまった。椅子の背を持った男は、笑っているとも怒っているともつかない怒声を上げながら、持っていた椅子の背を振り上げた。

 突然の光景にユカが悲鳴を上げ、とっさにユカをかばおうとエレムが振り返る、それよりも更に早く、

 椅子の背を振り上げてがら空きになった男の腹を、踏み寄ったグランが大きく回し蹴った。


 膝蹴りをまともに食らい、男は一瞬宙に浮くと、今出てきたばかりの扉に逆戻りした。戸板は既に破壊されていたので、男の体は家の中の、地面と変わらない土間の床にたたきつけられた。中に残っていた住人が、避けながら改めて悲鳴を上げた。

 腹に蹴りを受けたうえの背中からの衝撃だ。気絶しなかったとしても、普通は痛みでしばらくは動けないものだ。だが、男は少しの間もがいただけで、すぐによろよろと上半身を起こした。グランが眉を寄せる。

 目は開いているが、焦点があっていない。あっていないのだが、男は立ち上がりながら、そばに転がっていたガラス瓶をたぐり寄せ、首部分を握っている。エレムに助け起こされた老人が、幽鬼のように再び起き上がった男に気づき、恐怖に顔をゆがませる。

 グランは面倒そうに息をついた。正気を失っている人間は、通常では考えられない力で暴れるから、手加減も難しい。市民をうっかり死なせても面倒なだけだから、できれば放っておきたいくらいだ。しかし今は子供たちもいるし、止めないわけにもいかない。

 さすがに剣は抜かず、素手でそれなりに相手にしようと身構えた、その脇を、

 昏金の光の尾を引いて、小柄な影が通り抜けた。

「え? おい?!」

 足音を感じさせないくらいの軽快さで、身をかがめた昏金の髪の娘が男に向かって駆けていく。走りながら娘は、自分の腰の後ろに左手を伸ばした。引き抜かれたのは、黒い鞘に収まったままの短剣だ。

「すべてのものに等しき眠りを与えるカーシャムよ」

 グランを追い抜きざま、娘はそう呟いた。まるで、呪文のように。

 立ち上がった男は、向かってくる娘に向けて、手に持った瓶を振りかざした。一方、娘は左手に握った短剣を、鞘がついたまま横に構え、

「その懐に、行き場を失った幼子の想いを迎え入れたもう!」

 男に瓶を振り下ろす時間も与えず、娘は横にかざした短剣を男の胸に押しつける形で突っ込んだ。男の胸に触れた瞬間、短剣が宙空に黒い光円を放ったような気がして、グランは目を見開いた。

 娘が飛び込む勢いを真正面から食らって、男が再び後方にふっとぶ。体ごと一緒に突っ込んでいくかと思われた娘自身は、男を突き飛ばすと同時に、後方に飛び退いている。

 なかなか派手な勢いで部屋の棚に背中から突き飛ばされた男は、崩れた棚板となだれ落ちてくる皿や椀に埋もれ、今度こそ動かなくなった。手に持っていた瓶が床に転がって動きを止め、おっかなびっくり見守っていた家人たちが、おそるおそる近づいていく。

 出入り口の扉近くに飛び退き、短剣を抱きしめるように立っていた娘は、男が動きを止めたのを見届けて、ほっとしたように肩の力を抜いた。短剣を腰のベルトの背中部分に収め、振り返る。

 そして改めて、ぎょっとした様子で立ちすくんだ。

「すごいのですの! どんなお方なのですの?!」

 扉の外にうさんくさそうな顔で立つグラン、その後ろに隠れるように家の中をのぞき込み、ユカは単純に感嘆の声を上げている。娘は口元をこわばらせた。



「また、なんぞ釣り上げたようじゃのう」

「お魚がいるのですかー?」

 リオンに誘導され、少し離れた場所の木箱にランジュと並んで腰をかける白龍が、もらい物の焼き菓子をかじりながら、面白そうに呟いた。

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